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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #5

■2006.12.17 「脳内パラダイス」初日公演

2006年12月17日。ついにチームK3rd.「脳内パラダイス」公演初日当日を迎える。しかし、当日午前中の時点で私は公演に入る権利を持っていなかった。K3初日の入場券については「オールメール抽選」が採用され、遠方枠、一般枠ともにハズレだった私は、購入キャンセル待ち整理券を
もらうために秋葉原に来ていたのだが、トガブロ(※AKB48公式ブログのこと。当時の劇場支配人・戸賀崎智信氏が更新作業を行っていたことからファンからこのように呼ばれていた)にて発表された当選リストに自分の整理券番号は無く、失意のまま地元に帰るはずであった。しかし、私の「劇場の大島優子を見たい!」という思いが天に通じたのか、夜公演の遠方枠が当選していたB氏が、昼公演のキャン待ちに当選したうえ、夕方渋谷タワレコにて行われるチームAのミニライブに参戦することになり、夜公演の遠方枠チケットを譲ってもらえることになったのである。あの当時もチケの譲渡は禁じられていたが、運営側にそれを厳しく取り締まる様子もなく、現在と違い入場時の身分証確認もなかったので、小さな罪悪感を抱きながらもチケを譲ってもらった。B氏にはただただ「感謝」しかない。

そして開演時間の18:00。私にとって「運命の幕」が上がる。まずは楽器を持って現れたチームKメンバーに驚く。上手側(ステージ向かって右側)に目を向けるとベースギターを抱えた大島優子がいた。周囲のメンバーとアイコンタクトをしながらM1「友よ」を歌う優子。しかし、この曲では優子は上手側から動くことがなく、センターブロック6列の遠方席からは優子の表情が良くわからなかった。しかし、M1が終わり舞台が暗転し最年少の奥真奈美が袖にはけたメンバーを呼び込み、タイトル曲であるM2「脳内パラダイス」が始まると、そこからまさに「優子劇場」の開幕だった。引き続くM3「気になる転校生」まで優子は歌詞に合わせてクルクルと表情を変え、小芝居を交えながら客席にキラキラした瞳を向けてくる。私がお台場や青年館で遭遇した時以上の輝きを優子は放っており、そのインパクトたるや私の想像を遥かに超えていた。オープニング3曲が終了した時点で相当高まってしまった私であったが、自己紹介MC明け、最初のユニット曲で更なる衝撃を受けることとなる。

私にとって「運命の曲」となったM4「泣きながら微笑んで」
AKB48の公演史上初めて「たった一人で」舞台に立つ曲を優子が任されたのである。お世辞にも歌が上手いとは言えず、初日の緊張やまだ慣れていないこともあったためか優子の歌唱はかなり不安定であった。歌唱力という点だけに注目すれば増田有華、秋元才加、野呂佳代、佐藤夏希など他に適任者はいたのかもしれない。しかし、この曲を「優子が歌う理由」を私は曲の一番最後に知ることになる。

全て歌い終わったところで最後に優子が見せる「笑顔」

簡単に言い表せば「顔で笑って心で泣いて」ということになるのだが、優子の「表向きの笑顔」と「その裏の心の泣き顔」の塩梅が実に絶妙だった。それは理屈ではなく私が劇場で実際そう感じてしまった、いや、優子が私にそう感じさせてしまったのである。後に優子のことを調べていくと、元々子役上がりで将来の夢は「女優」であることがわかり、優子は「泣きながら微笑んで」を「演じている」と思うようになった。2010年総選挙で初めて1位を獲得した時のセンター曲である「ヘビーローテーション」が優子の代表曲と一般的には言われるのだろうが、「泣きながら微笑んで」は、私が「優子の世界」にどっぷり嵌るきっかけとなった曲であり、誰が何と言おうとこの曲が優子の代表曲であると思う。

そして「泣きながら微笑んで」以降の曲も良曲が揃っていたのがK3公演。
増田有華・河西智美・梅田彩佳の「MARIA」、ツインタワー(秋元才加・宮澤佐江)・なちのん(佐藤夏希・野呂佳代)の「君はペガサス」、
最年少コンビ(小野恵令奈・奥真奈美)の「ほねほねワルツ」、長年リクエストアワーで小林香菜のネタとなる「くるくるパー」、年が明けても歌い続けた「クリスマスがいっぱい」、アンコールの「花と散れ」→「K2メドレー」、そしてチームKの「絆」を歌った最後の曲「草原の奇跡」は、その後チームKが迎える節目には必ず歌われる名曲となったのは皆さんご存じのとおりである。この初日公演を体験してしまった私は堰を切ったように週末に開催される「脳内パラダイス」公演に通い続けるようになり、その中で生まれるメンバーのドラマや劇場内の熱さ、そして優子が創り出す空間に魅了されていくのであった。 (#6につづく)

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