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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #14

■2008.6.1 「最終ベルが鳴る」公演

2008年3月1日。AKB48は新たな局面を迎える。当日券販売が廃止され、完全メール抽選による入場券購入がスタートした日でもあるが、末っ子チームのチームBが初のオリジナル公演となる「パジャマドライブ」の初日を迎えた日でもあった。すでに渡辺麻友や柏木由紀は多くのヲタさんの人気を集めていたが、チームA・チームKのシングル選抜常連メンバーと比べると「まだまだ」という状況であり、同時に行われていたひまわり組公演よりチケットの競争率も低かったが、「お姉さんチーム」が失いつつあった「若々しさ」や「ひたむきさ」が徐々にヲタさん達の心をつかみ、公演を重ねるごとに公演内容やメンバーのパフォーマンスに関する評価も上がっていく。結成当初からオリジナル公演をもらうまでの歴史を一纏めにした楽曲であるM1「初日」では、通常舞台裏で行う開演前の掛け声を曲の最初の演出に取り入れ、舞台上のメンバーと一緒に会場のヲタさん達も「いつも感謝、冷静に、丁寧に、性格に、みんなの夢が叶いますように」と掛け声を行うことにより劇場内の一体感を生み出していた。この「初日」が翌年のリクエストアワーセットリストBEST100で第1位を獲得し「神曲」と崇められるようになったのは皆さんご存じのとおりである。

そんなチームBの新たなスタートに合わせるかのように、ひまわり組公演が4月半ばをもって終了し、チームA及びチームKが再開されることも発表された。もともとひまわり組はメンバーの切磋琢磨の場を設ける以外に、当時対立していたA・Kヲタさんの融和を図る目的もあったらしい。チームA・Kの一時休止で現場を離れたヲタさんも多く、そこに新たなファンが増えてきたことでヲタさんの対立構図は自然と薄まった。チームA・Kを再始動させる機会としては絶好だったと言える。そしてチームKはK3公演を最後に卒業した今井優、高田彩奈に替わる新メンバーとしてひまわり組でも活躍していた倉持明日香と成瀬理沙を迎え、2008年5月31日にK4th「最終ベルが鳴る」公演(K4)で新たなスタートを切ることとなった。そして私のイチ推し大島優子であるが、FCブログに絡んだ失敗はあったものの、ひまわり組公演を通じて更に人気を集める存在となっていた。また、優子個人としても映画「櫻の園」への出演が決定し、H2公演の終盤ではオーディションや撮影のための休演が多くなっていた。そんな中チームKの再始動が発表され、当然中心的役割を担うであろう優子にK4公演に臨むための十分な準備期間があるとは思えない状況であった。

そして初日の5月31日はやってきた。K3→H1→H2と運良く初日公演に入場できていた私であったがメール抽選にハズれて自宅で某掲示板の速報を眺めていた。それでも翌日の6月1日には3公演中2公演入場することができた。この頃はまだ申し込んで「3公演完干し」は無かった。注目の優子であるが、私の不安をよそに「さすがの動き」を見せる。特にM12「回遊魚のキャパシティ」における優子は、気合十分の表情でセンターポジションを務め、曲の一番最後で正面を向いた時の表情の凛々しさは、まさに「痺れた!」という言葉がピッタリで、当時の舞台監督がAKB48劇場の現場を離れる日に「最後に大島優子のキャパシティが見たかった」というメッセージを優子に残したのも納得だった。しかしながら、ユニット曲M7「ごめんねジュエル」では宮澤佐江、増田有華、倉持明日香という贅沢なメンバー構成ながらも、私は「物足りなさ」も感じていた。何といってもK3の「泣きながら微笑んで」に比べたら優子に与えられる「課題」のようなものが少ない曲で、どうしても「このくらいはやれるよね」という目で優子を見てしまう自分がいた。秋元康氏が「優子のファンは(優子の能力が高いので)なかなか納得してくれない」と優子を評していたが、まさにその通りだった。
それでもM2「最終ベルが鳴る」、M13「会いに行こう」、EN1「シャムネコ」、EN2「メロスの道」など良曲揃いのセットリストにも助けられたし、宮澤佐江、秋元才加、梅田彩佳、松原夏海ら優子以外のメンバーの活躍や成長を見るのも私の楽しみとなり、翌年4月4日に千秋楽を迎えるまで40公演近く入場するほど大好きな公演となった。しかし、AKB48が新たにレーベル契約をしたキングレコードからのシングル第一弾「大声ダイヤモンド」がリリースされたあたり(2008年10月)からAKB48や優子の潮目が変わり、個人的に様々な思いを抱き始めるようになるが、またそれは後々お話しするということで。 (#15へつづく)

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