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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #27

■ 2012.12.9 大島チームKウェイティング公演

AKB48が7周年を迎えた翌日の12月9日、私は久しぶりにAKB48劇場公演に入場する。初の東京ドームコンサートの初日に発表された第3次組閣体制による大島チームK「ウェイティング公演」の夜公演。第二次組閣体制で優子とともにエース格だった板野友美は残ったものの、ツインタワーの片割である宮澤佐江はSNH48へ移籍し、峯岸みなみ、梅田彩佳、仁藤萌乃、横山由依もチームKを離れた。第1次体制でチームKだった小林香菜、松原夏海、倉持明日香、近野莉菜が古巣に戻り、新たに北原里英やSKE松井珠理奈を迎えたにせよ第2次体制と比べてパワーダウンした印象は否めなかった。そして、この公演は某男性ユニットリーダーとの交際を文春にすっぱ抜かれた責任を負いAKB48としての活動を辞退することとなった増田有華の最終公演となってしまった。様々なネガティブ要素を含んだまま公演の幕は上がる。

「青春ガールズ」「脳内パラダイス」「最終ベルが鳴る」と過去のチームKオリジナル公演のタイトル曲3連発で始まったのだが、あまりにも安易にタイトル曲を並べたことへの「怒りの様な感情」が私の心の中には湧き上がっていた。ユニット曲の選曲も意味不明。オープニングとは正反対にチームK公演のユニット曲が1曲もない。優子に至ってはAKB48の曲でもなくSKE48の「Glory Days」ってどういうこと?ユニット明けは「姉妹グループメドレー」からの「転がる石になれ」、アンコールで「ヘビロテ」「草原の奇跡」と曲の並びに何の脈絡もない。

「これは本当にチームの劇場公演なのだろうか?」

全国チーム別ツアーの内容なら許せたのだが、AKB48活動の核であるべきチームの劇場公演の内容として到底受け入れることができない内容だったし、何よりもチームとしての纏まりを全く感じることができず、世代交代の担い手となるべく若手メンバーから覇気を感じることができなかった。初期チームKメンバーである増田有華を送り出す最後の曲が偶然にも「草原の奇跡」だったことがこの公演における「唯一の救い」だった。そして優子については、やっぱり「これ以上もこれ以下もない」内容で優子がキャプテンでなければならない理由も見えず、もう私が劇場公演で「発見」や「感動」をもらうことはできないとこの時は感じてしまった。この公演以後個人的に優子最後の現場となった2014.3.8の「最終ベルが鳴るリバイバル公演」までの間「ウェイティング公演」を申し込むことはなかった。たとえ優子が出演した日であっても。

年が明け2013年4月に私は人事異動により3年間住んだ東京を離れて地元に戻る。上記の理由もあってAKB48絡みで上京することはなくなり、友人B氏の影響によりSKE48、同じく友人のK氏のプッシュによりアイドリング!!!、9nine、ドロシーリトルハッピーの現場に足を運ぶようになっていた。AKB48で得られなくなっていた「音楽ライブの楽しさ」や「成長過程が見られる場所」を他のグループに求めたのだと思うが、AKB48ほどのめり込むことはなかった。そしてAKB48は、2013年選抜総選挙で「ヘタレ」指原莉乃が優子を負かしてセンター奪取という「サプライズ」はあったものの、篠田麻里子、板野友美、秋元才加とAKB48の中核を担ったメンバーが相次いで卒業したこともあり、優子の実力や人気に頼らざるを得ない状況は相変わらず続いていた。大島優子という「片翼」で飛び続けるAKB48は未だ高い飛行高度を保っているかのよう世間には見えていたと思うが、前年にAKB48を卒業した前田敦子の喪失感を埋めようと運営が仕掛けた「無理矢理感のある世代交代劇」は少なくとも「スキャンダル否定派のファン離れ」を生み、AKB48劇場の板の上で頑張ることの意味を更に希薄なものとした。 (#28につづく)

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