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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #23

■ 2010.9.21 第1回じゃんけん選抜決定戦

2010年の「選抜総選挙」において優子が第1位を獲得。優子が初めてセンターを務めた楽曲「ヘビーローテーション」(略称「ヘビロテ」)は大ヒットを記録し、後にグループを代表する楽曲と言われるようになる。しかし、ファン投票により選ばれた選抜メンバーは前回総選挙と大きく入れ替わることは無く、特に優子、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、渡辺麻友、高橋みなみ、小嶋陽菜の上位7名は前回と全く同じ顔ぶれとなり、誰が言い始めたかは知らないが「神セブン」と世間では呼ばれるようになる。本来なら「ファンの自治」により選抜が決まったのだからファンが文句を言う筋合いは無いはずなのだが、国政選挙と違い「1人1票」でないことや「いつもの選抜メンバー」が政見放送動画以外にメディア露出の機会があることを理由に「総選挙の公平性が図られていない」という「ファンの不満」が存在していた。そこでAKB48運営は総選挙の翌月に開催された国立代々木第一体育館コンサートの最後に「完全平等条件で選抜を決める」ことを発表する。それが「じゃんけん選抜決定戦」だった。

じゃんけん大会の発表直後に組み合わせ抽選が行われ、平日の9月21日に日本武道館で開催されることが後日発表された。地方に住んでいた前年までだったら休みを取ってまで参加するようなイベントではないと思ったはずだが、この年から都民となり仕事帰りでも行けるようになったことや劇場公演への入場が困難となりライブで優子らを見ることができる機会を欲していたこともあって、チケットを購入し参戦することとした。会場に入って最初に驚いたことはAKBが結成された当時のイベントの「手作り感」が全く感じられなかったこと。総合司会はこれまでの劇場スタッフではなく、ジョン・カビラ氏を起用。大会のレギュレーション・競技ルールの説明VTRの凝りようもさることながら、電光掲示板にメンバー名が表示されるとレニー・ハート氏による「巻き舌呼名」という総合格闘技「PRIDE」ばりの入場演出。当時「有吉AKB共和国」を放送していたTBSによるショーアップであることは明らかであったが、最初の総選挙開催からたった1年余りでAKB48を取り巻く環境が劇的に変化したことを如実に示しており、業界の柵に絡み取られていくAKB48に私は一抹の寂しさを感じていた。

じゃんけん対決の方は運営の思惑通り、人気メンバーが1回戦で姿を消す場面が続出。中でも高橋みなみが後出し気味で中塚智美に負けてしまった時には思わず腹を抱えて笑ってしまった。そしてCブロックの優子の出番がやってくる。ヘビロテ衣装に身を包んだ優子の対戦相手は「ヘタレキャラ」でファンの注目を集めつつあった太田プロの後輩・指原莉乃だった。対戦前に「相手が優子さんだから負けても美味しいですよね」とバラエティ要員らしいコメントをしていた指原だったが、いざ対戦となり優子と拳を突き合わせている時の指原は既に「涙目」だった。総選挙1位の優子に勝って「大勢の優子ファンを敵に回してしまうのでないかという不安」と優子を撃破して「上に行きたいという本音」が入り混じった心理状態の中、指原はじゃんけんに勝ち、いわゆる「ジャイアントキリング」を果たす。指原が勝ってその場にへたり込み客席に向かって土下座をした瞬間、優子推しの私であったが指原に対して拍手を送っていた。しかし、2回戦であっさり中塚智美に負けて選抜を逃してしまうあたりが「指原クオリティ」なのであるが、この「優子とのじゃんけん対決」が、後の「世代交代劇」の序章だったのかもしれないと今になって思う。一方敗れてしまった優子であるが、大会後に自身のブログやモバメで悔しさを示すわけでもなく、当時の私は悔しさを表に出さない優子を残念に思っていた。しかし、自身がファン投票によってセンターを与えられ代々木第一コンサートでヘビロテを初披露した直後に「今度はじゃんけんでセンターを決めます」と言われた時の優子の心境を考えてあげることがあの当時の私にはできなかった。優子がヘビロテの衣装で登場したのは「ファンの信託」そして「その信託に対する感謝」を目に見える形で表現したかったのだと少し時間が経ってから思えるようになった。

この年のじゃんけん大会は選抜未経験の内田眞由美が優勝し「チャンスの順番」でセンターポジションを与えられ、Mステ等の歌番組にも出演することとなったのだが、前田敦子、小嶋陽菜、河西智美が選抜16人に含まれていたことで、内田と前記3名以外のじゃんけん選抜メンバーがメディアでクローズアップされることはほとんどなく、内田自身も以後じゃんけん以外で選抜に選ばれることはなく、AKB48卒業後は実業家(焼肉店経営)への道を歩むこととなる。そして、第2回以降のじゃんけん優勝者であるが、篠田麻里子、島崎遥香、松井珠理奈、渡辺美優紀と「偶然とは思えない」結果が続き、結果的にじゃんけん大会も「いつもの選抜メンバー」のためのイベントとなってしまう。秋元康氏は「スターと呼ばれた人達は必ず『運』を持っていた」と話していたが、その言葉をまともに聞き入れることができたのはAKB人気爆発後に現れた「ピンチケ界隈」くらいだろう。第1回は物珍しさから大会を観覧してしまった私であったが、大箱イベントによりAKBグループの物語を進めようとするやり口に辟易してしまったこともあり、第2回以降はチケットを買ってまで観覧しようとは思わなくなった。

(#24につづく)

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