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泣きながら微笑んで ~AKB48・大島優子の懐古録~ #31

■ 2014.6.13 サッカーブラジルW杯開幕戦

優子のAKB48卒業後の初仕事は、日本の真裏にあるブラジル・リオデジャネイロからサッカーW杯開幕戦中継への出演だった。この件に関しては、卒業前から芸能ニュースやネットニュースで取り上げられ話題となっていたが、AKB48の人気拡大と共に「アンチAKB」の存在も相当数増殖しており、音楽番組やバラエティ番組以外にも何かと首を突っ込んでくるAKBグループおよびメンバーに対する世間の風当たりが強くなっており、既にAKB48の象徴的メンバーとなってしまっていた優子についても卒業後の仕事であるにも関わらず「AKBイラネ」とか「サッカー知らない奴が出てくんな」など、批判的な声が好意的な声を圧倒的に上回っていたという印象だった。優子に全く責任は無いのだが、前年からこの年にかけてAKB48に起こった様々な出来事(坊主頭謝罪事件、スキャンダルメンバーの選抜総選挙1位獲得、大組閣、握手券・ポラ撮権利詐欺、握手会メンバー襲撃事件等)により世の中のAKB48に対する風向きが変化し始め、乃木坂46を筆頭とする坂道グループにファンを奪われ始める原因にもなっていた。この時期に卒業を決めた優子に対しても、2年前に前田敦子が卒業した時には感じられなかった「世間の逆風」が吹いていた。

しかし、私は優子のW杯中継を違った思いで見ていた。何故ならスポーツ中継への出演は、AKB48のブレイク前からの「優子の夢のひとつ」ということを私は知っていたからだ。まだドン・キホーテの前に並んで入場券が購入できた2007年のひまわり組公演のMCの中で、優子は度々サッカーの話題を出しており、特に応援していた選手として当時日本代表やFC東京で活躍していたMF福西崇史の名を挙げていた。中村俊輔や小野伸二など攻撃的なタレントが数多くいた中で守備的選手が好きという優子に私は驚きを感じていた(まぁ福西は優子が好きそうなイケメン選手ではあったけれど・笑)。そして2009年8月に私が優子と宮澤佐江との3Sポラの撮影をした時の会話で優子はこう話していた。

佐江「今日は優子が朝からずっと眠いと言っているんですよ」

優子「眠いものは眠いので仕方ないでしょ」

私「自分も世界陸上の中継が始まって寝不足です。(中継司会の)織田裕二が寝かせてくれないんですよ」

優子「そういえば織田さんはずっと司会やってますよね」

私「そうだね」

優子「私、スポーツ番組の司会進行とかやってみたいんですよ!特にサッカーとかの」

私「へ~、そうなんだ・・・」

ようやくAKB48がブレイクの兆しを見せ始めていた時期ではあったが、優子がそういう舞台にお呼ばれするようなことはないだろうと当時の私は優子の話を軽く受け流していた。ところがその後AKB48がブレイクを果たすと、お正月恒例のプロ野球選手大運動会の司会に優子が抜擢されたり、AKB48が某運動具メーカーのアンバサダーに任命されたりとスポーツに関わる仕事を獲得し、卒業後にサッカーの世界最高峰であるワールドカップの仕事を優子は現実のものとしたのである。

優言実行

「女優」という第一の夢はあるものの、AKB48の活動を精一杯頑張ったことにより優子は夢の一つを実現させた。これがまさにAKB48の本来のコンセプトのひとつであり、今AKB48で活躍することがメンバーの夢や目標になっている状況とは決定的に違うのかなと感じている。そんな中で卒業した優子の意思を継承するという「優魂継承」を掲げて現在も活動している武藤十夢が生島ヒロシの事務所に移籍したことが最近報じられていた。彼女は数年越しで気象予報士の資格試験に合格し、加えてフィナンシャルプランナーの資格も獲得し、アイドル以外にも活動の幅を広げようと頑張っている。今のAKB48内では数少ない「自分の夢」を見据えた活動ができているメンバーの一人だろう。そういう意味で確実に「優魂」は継承されているのかなと思う。 (#32へつづく)



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