見出し画像

デジタル発展の先に何かあるのか

 今後、デジタル技術がどんどん進化していき、世界をデジタル化できたとしても、問題は、それを理解する側の人間がアナログだってことだと思うんですが。そこをどうクリアしようと、しているんでしょうかね。結局、人間は人間が理解する範囲のものしか理解できない。たとえコンピューターの力を借りたとしても、です。そこが、ユンボなどの力学的な機械化と違うところでして、人間は人間が思う範囲以上のことを思えない。

 AIがそこの問題を解決してくれると夢見るかもしれませんが、じゃあ、そのAIの判断というのは何をモデルにするのか。人間に普遍的な判断基準なんてものは無いです。AIに判断させるにしても、そもそも「何を正しい」と判断するか、その価値観は人間がするしかない。目的設定において人間の判断は必要です。また、いくら世界をコンピューター的に解析して理解できても、その結果を理解するのは人間です。その限界があるだろう、ってことです。

 例えば、マッハいくつかのロケットだって作れるでしょうけれども、人間の肉体が持たないから、有人飛行の速度には限界があるでしょう。加速して機体は大丈夫でも、人間が死ぬから。同じように、知的作業においても肉体の限界があるということです。無限に計算速度が伸びるわけではなく、人体の限界があるわけです。

 人間が世界をアナログ的に理解している限り、アナログ的に理解するしかないんです。っていうか、そもそもデジタル化云々の前に、人間の感覚入力はデジタルでしょう、だって脳はシナプスのオンオフの電気信号なんですから、究極はデジタルじゃないですか(ま、ペンローズさんとかの脳量子理論もあるので、オンオフではなく「ゆらぎ」含めたものかもしれませんが)。微細なデジタルを「滑らかなもの」に、脳内で変換しているわけです。それをアナログと呼んでいるんだと思います。

 人間はデジタル入力された感覚を、アナログ的に「感覚」として理解し、それをさらに言語や数値化(つまり文化)として「デジタル」にするわけです。文化で、雑なデジタルにするわけです。僕は基準を「人間の幸福」に置いており(ま、それは好みであって、何かの理由があるわけではない)、その場合、アナログ的な感覚、いわゆる「人間的な感覚」が最も楽であり、幸福に近いと思っています。ということで、言語化や数値化という「雑なデジタル化」も好みでは無いし、コンピューターが発展した先の微細なデジタル化も好みでは無いわけです。

 所詮、我々は人間という動物でしかないのだから、その人間としての幸福を目指そうや、ということなんです。何が楽しい、何が幸せ、何が嫌だ、こんなものも、そう思ってしまうんだからしょうがない、ということです。
大きな話として、宇宙の果てはどうなっているのかとか、火星に植民しようとか、それはそれで楽しそうだし、人類として目指すことは良いと思いますが、優先順位が低いですよね。せめて地球で生きる大半の人が豊かに幸せに暮らせてからの話であって、それからの話じゃないかと思うわけです。はい。またあした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?