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汚いとは、どういうことか

 世界一汚い男が死んだ、というネットニュースを読みまして。トルコの人で、何十年も風呂に入らず、体を洗わず、という人だったんですが、数ヶ月前に無理やり近所の村人に洗われてしまって、ま、僕はそれが原因だと思いますが、亡くなったそうで。そもそも、汚いとか綺麗とは何か、ということを考えさせられます。

 汚い、臭い、不潔、いろいろと表現はありますが、基準は人間の感覚です。臭いと感じるから臭いんです。当たり前じゃん、と思うでしょうが、匂いを嗅ぐ主体が変われば、臭くは無くなる。人間が臭いと思うものと、犬が臭いと思うものは違います。また、人間にも個体差があるから、ある人が臭いと思うものを、他の人は感じないとか、良い匂いだと思うこともある。

 じゃあ、臭いとはどういうことかというと、生命の危険がある、ということだと思います。感染症などの危険がある、食べ物が腐敗して毒素を含んでいる可能性が高い、それらの情報として「臭い」わけです。風呂に入らない人は、さまざまな細菌や寄生虫などに感染している可能性が高い、だから、臭い人は嫌だ、ということです。

 ただ、この「臭い」とか「汚い」という感覚は、数万年来、変化していないものですから、近年、登場した「危険性」を察知できる能力は、ありません。ひょっとしたら人工甘味料とか保存料は体に悪いのかもしれませんが、そのような体に悪いものを、臭いとして察知できる能力は、無い。放射線だって、体に悪いんだけど、察知できません。

 また、本来は「臭い」とか「汚い」には入らないけど、環境が近年、変化してしまった結果、文化的に「汚い」に入ってしまうこともあります。泥とか土とかは、そうですね。泥は、臭いわけでもないですが、都市部の環境ではほとんど存在しませんから、汚い、と感じます。また、目に見えない、感知もできない「細菌」を、電子顕微鏡とかで、ほら、こんなにいますよとか見せて、それを「汚い」と思わせる除菌商売なんかもあります。そういう、感覚では無い「概念」としての「汚い」もあります。

 それが一概に間違いとも言えないのは、放射線のように、見えないから大丈夫だということでも無い、見えない危険というのも、あるわけです。見える(感知できる)もの、見えないもの、そして危険なもの、危険じゃないもの、という2×2の4種類のマトリックスです。「見える危険なもの」は、腐った食べ物とか、うんことか。「見える危険じゃ無いもの」は、土とか。「見えない危険なもの」は放射線とか。「見えない危険では無いもの」は皮膚常在菌とかです。

 これも「ズレ」です。数万年、変化していない人間の感覚と、現代社会とのズレです。で、ズレているので、我々の感覚というのは当てにはならず、重要なのは、危険か安全か、です。我々が汚いと思うかどうか、それは、もはやあまり当てにならないんです。綺麗と感じるから安全とは限らない。多くの見栄えの良い食物が、そうであるように、です。また、汚いと感じるから危険とも限らない、とも言えます。

 トルコの世界一不潔な人、というのも、不潔だと周りが思うだけで、本人は不潔では無かったのでしょう。本当に不潔、つまり、生命に危険があるような細菌や寄生虫に侵されている「汚い」状態であれば、90歳過ぎまで生きるわけがありませんから。綺麗だったんですよ。ま、周りに汚いと思われて洗われてしまって、世知辛い世の中だなと思います。またあした。

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