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2022年02月22日

朝、家の周りを散歩しているんですよ。300メートル行って帰ってくる、往復600メートルぐらいの散歩道。春めいて来ましたね。鳥が増えてきた。なんか、ちゅんちゅん言っていますよ。なんの鳥か知りませんけど。散歩習慣は、二、三ヶ月前から始めたんですけど、季節の移り変わりが分かって良いものです。特に興味が無いので、今まで季節とか無視っていたんですけど、あったらあったで良いものですね。葉っぱとかが出てくるのも、見ていて面白い。

さて、メールで、ボケとかアルツハイマーの話っていうリクエストもらいまして。これらは、何のためにあるのか。まぁ、何のためにあるのか、という問いの前提には、全てのものに意味があるはず、という思いがあるわけですが。本質的に意味が無いにしても、何らかの意味を付与することに、意味はあると思っています。その方が、人間生活がスムーズにいきますから。最終的には「神の思し召し」みたいな万能カードを切るって手もあるんですけど。ま、人間、ほとんどのことに意味を求めたくなるものですし、僕も人間ですので、意味を求めます。

現代では、認知症はどんどん増加していますが、まず、意味がどうこう以前の話として、現代生活が大いに認知症の原因になっている、ということはあると思います。栄養面で言えば、糖質の多い食事とか、逆にタンパク質とビタミンミネラルの不足。で、心理的な面として、孤独化が進んでいる。ま、一人、都会に住んで菓子パンとかカップ麺を食べていたらボケやすい、という、感覚的に当たり前の話です。ということで、老いの一環というよりも、認知症の大半は生活習慣病(孤独も生活習慣)だと、僕は思っています。

糖尿病とかが典型ですが、生活習慣病というのは「DNAが想定している環境」と「現実の環境」のズレで発生します。糖尿病は、糖質を大量にいつでも摂取できるという「現実の環境」が現れることを、DNAが想定していないから、起こります。DNAは、人間は狩猟採取の世界に生きていると思っているので(人間の遺伝子は数万年、変わっていない)、周りには、少量の糖質(蜂蜜とか果物)しか無いと思っています。だから、糖分は腹一杯になるまで食べという「行動」をとるように、我々の身体は設計されています。その世界では、それが最適解。

だからケーキバイキングとか、脂っこくてしょっぱいラーメンとか、炭酸飲料とかが好きになるわけです。もちろんDNAの想定のように、これらを月1回ぐらい食べるなら全然、問題無いと思いますよ。でもまさか、そんな糖質とか脂質とか塩分とかが、いつでも無限にある世界に我々が生きているなんて、DNAは思ってもいませんから。なので、そのズレの修正が出来ないまま、衝動(甘いものを食べたい)だけは働き続けているので、糖尿病になるということです。というのが、想定している世界と、現実世界とのズレっていうことです。

認知症も根本的には同じだと思っていて、栄養面や、コミュニケーションの不足(DNAの想定なら、周りに数十人ぐらいの話し相手がいるはず)によって引き起こされる生活習慣病、だと僕は思っています。ただ、それはそうとして、本当の「ボケ」もあると思います。老いの一環としての。で、それに意味を見出すとすれば、ボケることにより、個人の利害を超えたところでの、より、集団の目的に叶った判断を下せるようになるんじゃないか、っていうことです。

僕は「人間は集団の動物」と思っていますので、そもそも、一人の人間が自立する必要が無いと思っています。集団内で、それぞれの役割を果たせば良い。では、ボケた人の役割とは何か。ボケるっていうことは、自己の境目が薄くなることだと思います。自我が緩やかになる。自我というのは、記憶から作られますから、記憶力が衰えれば自我も緩やかになります。無くなるわけじゃないんですけど。ま、こんなのも程度の問題でして。平均よりも、集団に溶け込むような自我になるだろうと思うんです。ある意味、自我が拡大していく。

という状態になった時、その人(ボケた人)の下す判断というのは、集団での最適解になりやすいんじゃないだろうか、ってことです。よく言えば、私利私欲が無くなるだろう、ってこと。また、ボケていても、昔のことは覚えているわけです。これは、集団内では、最近のことを覚えている人はたくさんいるわけですから、ま、最近のことは忘れたって構わないわけで
す。他の人が覚えているので。むしろ「昔の記憶」だけを頼りに、何かの判断を下してくれたら、その意見が貴重であることも、ある。

例え話をしますけど。とある村で、微細な地震が何度も起きている。で、実は80年前にも、同じようなことがあって、その後で大地震が起きたんですけど、大半の人はその頃、生きてもいない。だからほとんどの人は、何ともないと思っている。

さて、ここで「ボケていない」老人がいたとします。彼はボケていませんから、常識もあります。あれ、これって子供の頃にあったよな、ひょっとして大地震の前触れかな、とか思っていても、みんなは何とも思っていないし、若い人たちが村を率いているし、年寄りの出番じゃないという「常識」もあります。ま、あれ以来80年も無かったし、大丈夫だよね、と思って、少しは「ひょっとして大地震の前触れかもよ」ぐらいは言っても、そんなに主張しません。だって常識がありますから。ボケていませんから。空気を読むわけです。

でも、この老人がボケていたら。子供の頃の大地震の記憶がよみがえり、恥も外聞もなく、大騒ぎします。「これは大地震の前触れじゃあ!」とか騒ぎ出す。空気が読めない。読むつもりもない。ボケてますから。で、テンション高めなので、まぁ、そこまで言うならと、しぶしぶみんなが従って避難して、そして、運良く(というか、悪くか)大地震が起きたら、村が助かる。

というように、最近の記憶が無くなって、自分が誰なのかもあやふやになっていくことで、逆に、集団内で「貴重な意見」を提出できるようになる、という機能が、ボケにはあるんじゃないかな、なんて思います。ま、意味づけをしようと思えば、そういうことかな、と。もちろん、これはDNAが想定する集団内でのことですので、現代社会で当てはまる話じゃありませんけれども。

アルツハイマーの原因となる遺伝子の特定、というニュースもありましたが、そもそも、DNAが想定している環境と、現代の環境とのズレがあるわけです。遺伝子も原因だけど、環境も原因。でも、普通は、現代の環境を当然のものと思っており、そこを変えようとは思わない。むしろ、遺伝子を変えようとも思う。それで変わりゃ別に構わないんですけど、じゃあ、その特定遺伝子をいじくったら解決するかって、そんなもののわけも無く。システム全体のことですから、一つを取り除いてうまく動く、ということでもないと思う。

まぁ、遺伝子特定の後でどうするかってのは、別の話なので、そんな乱暴なことをするとも思えないですけれども。もし、そう考えているとすれば、それってロボトミー手術の発想と変わらないわけです。脳の部位を取り除くか、それとも遺伝子の特定の部分をいじるか、というだけの違いで。ま、僕は、遺伝子は前提条件として存在するのは、もうしょうがないので、それに合わせた環境、つまり社会システムを変えていく方が良いと思っている派です。またあした。CIAO。

04/02/22 15:26 N.Kato :D

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