少子化対策と、国という幻想について

 少子化について。これ、根本的なことを言うと、いかに社会が子供を育てるか、という方向に行かざるを得ない。行かざるを得ない、というのは、「国」というシステムである限りは、です。国が対策をするなら、子育て費用を国がガンガン賄うという以外に無いと思っています。

 なんでそういうことになるかというと、少子化、というか、子供(人間)を生産することは誰のためであるか、という問題なんです。まず、日本では多くの人が、子供は「親のもの」だと思っている。それは別に正しい正しくないじゃなくて、そう思っています。だから、十分な経済的余裕が無いのに子供を産むのは「無責任」だし、そういう親の元に生まれたら不幸だという「親ガチャ」という言葉も流行る。

 ちなみに、日本は欧米に比べると、親権が非常に強いです。虐待したりしても、基本的に、親権を剥奪されるということは、そんなに無い。子供は親のものなので、そう簡単に児相なども介入できない。もちろん、こういう制度を作ると、良し悪しはあって、その家庭なりの教育をしようとしていても、それが虐待だとなって、親子が引き離されることもあります。欧米式です。その根本には、子供は誰のものか、という文化の違いがあるんです。

 欧米式と言ったけれども、イギリス・アメリカ形式ですね。核家族が基本的な家族形態の文化です。これがドイツになると、直系のつながりが強いから、そうでもないと思うけれども。さて、核家族という家族形態が根本にあれば、子供は独立した存在である、そして当然、社会(国)の一員でもある。そうしたら、資源としての人間を守るために、家庭から引き離して、国が育てる、ということになるわけです。福祉というのは、人のためにあるのではなく、国のためにあるんです。人のためにすることは、国のためになることです。

 日本の少子化対策で、どうも多くの人が理解していない、勘違いしているなと思うのは、「子供が欲しい親が、育てられるように、支援する」という発想が主であること。違うんですよ。ま、建前上、そう言うのは良いですよ、響きが良いので。でも本当は、国という共同体のために、共同体の一員たるべき人間を育てることが、少子化対策なんです。国という共同体は、国のために動くんです。

 少子化対策にしっかりとお金を使えないのも、要は、有権者の多くが、自分には関係ないことだ、というか、自分に子供がいなければ「損をする」と思うからです。なぜ、よその子供という「私的な」もののために、自分が納めた税金が使われるのだという思いがあるから、そこに気遣って、少子化対策を大々的に出来ないのだと思います。これは、国という幻想が薄れているから。「国のため」に子供を育てようという幻想が、薄れているからです。

 国を運営するというのは、本当に大変だろうと思います。日本ですら大変なのに、中国とか、よくやるわと思いますよ。チベットとかウイグルとか、明らかに文化も言語も違うし、それを一つの「中国」としてまとめ上げようとすれば、あれほど強引にならざるを得ないということです。日本の国家運営なんて中国に比べたらヌルゲーだろうけど、それでも、1億人の共同幻想を醸成するというのは、大変です。そして問題は、国家運営の問題がそこにあるということを、おそらくほとんどの人が気づいていないということです。問題に気づいていないのが問題。

 まとめると、国家として少子化対策をするのであれば、国家という幻想を補強し続けないといけない、ということです。でも、ビジネスで成功したお金持ちがシンガポールとかに移住する世の中ですから、それらの問題と同じことなんです。優秀な人材が日本から出て行かないようにすることと、少子化対策は、同じなんです。国家という共同体運営の問題です。

 さて。ということで、おそらく普通の感覚である「子育てしたくても出来ない人がいるから助けてあげよう」という、家庭を支援する少子化対策というのは、表面的には正しいんだけど、根本的には間違っています。で。僕の考えは、国家運営というのは今後、無理になっていくと思っています。国家の必要性が無いからです。というのは、国家というのは、ぶっちゃけ、軍事のために有ったものだと思います。日本が近代日本を作り上げたのも、その最大の目的は、欧米列強の植民地にされないために、軍事的に強くなる必要があったからです。

 もちろん、まだまだしばらくは、中国の脅威だとか、ウクライナ戦争もあったように、軍事力はあった方が良い。でも今後、数百年のレベルで考えた時に、兵器はどんどん強くなる、核兵器も広まる、国家が軍事力を保持する限り、いつか核戦争を迎えて核の冬がきてヤベェことになる可能性が高まっていく。ならば、どうにしろ、そちらの方向には進まない方が良い。となると、それが国連なのかどうなのか分からないけれども、いっせーのせ、で軍事を手放さない限り、滅びるしかない。そんなの、誰もが分かることだと思います。

 そうなるときに、国家というのは解体するんですよ。軍事の必要が無くなりますから。現に、NATOという軍事同盟ができるからこそ、ヨーロッパの国家間の国境が意味をなさなくなって、EUになるわけです。なぜEUができるかというと、例えば、オランダ1国で戦争なんか出来ないほど、軍事技術が拡大してしまったからです。EUぐらいの規模じゃないと、どうしようもない。アメリカやロシアや中国と同じレベルの軍事力をヨーロッパが持とうと思うと、国家というシステムを解体するしか無いわけです。

 ってことで、少子化の話をすると、国家の必要性が無くなった時に、さて、人間集団は「なんのために子供を産み育てるのか」という理由づけが必要になる。自分の遺伝子を残したい、という理由がそれほど強くないことは、現代日本を見れば分かります。その動機が強いなら、子供は生まれていますよ。少子化問題なんて、起こっていない。それよりも、会社で働くとか、まともな生活をするとか、自分のやりたいことをやる、という理由の方が強いから、少子化になるわけです。子孫を残したいという動機は、人間は、そんなに強くないんです。

 僕は、その答えは共同体だと思っています。明石市で少子化対策がうまくいっていますが、国よりは、あのくらいのサイズ感の方がやりやすいでしょう。というのは、制度を作る側も「自分のこと」だと思って、やれますから。顔が見える範囲っていうのは、強いんです。人間が動こうと思う動機になる。日本というサイズだと、それを感じにくい。だから、国の少子化対策というのは、どうも実態が見えにくいわけです。ま、最大でも10万人ぐらいの規模感だと思いますよ、どうにか繋がれる範囲というのは。

 僕は、人間の本能的には100人ぐらいの共同体というのがベストだと思っているので、そこを主軸にして「幻想」を作り上げるのは、国づくりよりも簡単だと思っています。100人ぐらいの、リアルに知り合える範囲内であれば、子供は可愛いし、支えてやろうという気に、普通は、なります。そうやって集団で子供を育てるというのが、人間が本能的に数万年、やってきたことだし、おそらく一番楽なことで、そして未来も開ける行為だと思います。はい。またあした。

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