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頭が良いとは、どういうことか

 頭が良いとはどういうことか。ペーパーテストができる、というのが「頭が良い」とイコールではないのは、一般的だと思います。特に、これを読んでいる人は。これは、物差しが違うからです。一般社会における「頭が良い」というのは、コミュ力とか発想力とか行動力とかも含めての総合的な実行力、資本主義社会では「お金稼ぎ力」みたいなものでして、なので、ペーパーテストとは違う。同じような意味合いですが「抽象度を上げる」というのも、頭が良いことの一つです。抽象度を上げられると違う発想ができるから、頭が良いと思われる。

 学校での頭が良いというのは、ペーパーテストができること。社会での頭が良いというのは、お金を稼げたり、人と違う発想ができること。というように、属する社会により物差しが変わるわけです。じゃあ、それらのメタにある絶対的な「頭が良い」というのがあるか、というと、これは無いと思う。本来は、頭が良いも悪いも、何も無かった。社会構造が作られるにつれ、その社会なりの価値観が作られていくわけです。その価値観に即した才能がある人が評価される。

 現代社会で一般的な「頭が良い」の尺度である「抽象度の高い思考ができる」ということが、なぜ、現代社会で評価されるのかというと、社会規模が大きくなったからです。毎度のことですが、人類はその歴史のほとんどで、100人程度の集団での狩猟採取生活を行なっていました。そこでは、抽象度の高い思考というのは、そんなに必要ありません。そんなに、というのは、たまには必要なんです。見たことない植物の効能を予測するとかは、抽象度のある思考ですが、そんなのは稀なことであり、ほとんどは具体的なことなんです。

 100人程度の人間集団と、歩いていける程度の土地、そのぐらいの土地は人間は全て覚えられます。だから具体的なんです。具体的に覚えられなくなったら、抽象思考が必要になる。1万人の人間集団を覚えることはできないから、そこでは抽象度を上げて、「大人」ならこうするとか、「女性」ならこうする、などというカテゴライズと抽象化が起きる。ま、カテゴライズと抽象化は同じ意味ですね。具体的に全てを把握できれば、カテゴライズは必要ありませんから。

 もっとも、これも程度の問題でして、狩猟採取民族だって猫や熊に比べれば抽象度を高くして、世界を把握しています。言語を喋りますから。言語は、物事を抽象化したものです。「りんご」という言葉は、具体的なバラバラのりんごのようなもの、全てを含んだ概念です。なぜこういう抽象化が必要かというと、人間は集団を形成してコミュニケーションをとるという生存戦略をとっているので、抽象化しないことには、コミュニケーションできないんです。ただ、その抽象度も現代人に比べたら、ずっと抽象度が低いんです。

 当時の人は、ま、これはもちろん僕の予想で何の証拠もない話ですが、現代人よりもずっと知識は豊富でも、抽象度の高い思考はできなかった。そもそも、抽象度の高い思考をしようにも、言葉が無ければできませんから。思考には言語が必要です。集団が大きくなるにつれて、「大人」とか「野菜」とか「夏」とかいう、抽象度の高い単語も増えてきて、言葉ができれば思考ができる、そして人口規模が大きくなるのと並行して、抽象度の高い思考ができる個性を持った個体(個人)が、「頭が良い」と評価されるようになってきたわけです。

 ペーパーテストと、実社会のビジネスで言えば、ペーパーテストの方が抽象度が高いです。ですからやっぱり、一番頭が良いのは東大理3でいいのかもしれません。抽象度が高いということは、同じになる、ということです。同じペーパーテストを受けているわけですから。それがたとえ一般社会で役に立たないものでも、それは社会のほうが、ペーパーテストほどに抽象化されていないからである。そして、抽象度が高い方が頭が良いという、ここ1万年ぐらいの法則に則れば、ペーパーテストが得意な人が頭が良い、というのが正しいのかもしれない。

 この世が生きづらくなっているなと思うのは、地縁がなくなり多くの人が根無草になり、中小企業は減っていく、一次産業で金が稼げない、それらは全て「具体」なんです。そして、リアルなモノは具体から生まれるんです。ものづくり現場は具体です。抽象度を高くすると、具体的な事物とは合わなくなる。それを、机上の空論と言うわけです。なので、社会が大きくなり、抽象度が高くなっていくと、机上の空論が多くなり、生産効率が悪くなり、その社会は滅びていく。

 そうならないためには、抽象は必要だけど、それはしょうがなく抽象化しているのであって、本質は現場の具体であると、命令を下す側(抽象度が高い人)が分かっていないといけない。役割分担です。ボトムアップ、でも良いです。そのバランスです。それをうまくやらないと、社会が滅びるわけです。現代社会は抽象に寄りすぎているので、もっと、具体的な事物を大切にした方が良いと思います。またあした。

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