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めざせアンディ・マレー #1 変形性股関節症から人口股関節への決意

こんにちは。
2022年6月30日に左側人口股関節置換術を受け現在絶賛リハビリ中の還暦男性です。
変形股関節症に悩み、人口股関節にしようかどうか悩んでいる方に私のノートが一助になればと思います。先に言っておきます。決して人口股関節を勧めているわけではありません。この私でさえ、人工股関節はQOLを保つための最後の砦として残していたわけですから。今回は人口股関節にしようと決心したキッカケやその前の保存療法での経過などもご紹介します。

発症のキッカケ

発症の根本原因は今から遡ること38年前(大学生)にバイク事故による「股関節脱臼骨折」だと思われます。バイクをまたがった状態で自動車と正面衝突し、膝を強打、大腿骨が骨盤の後ろに抜けてしまうという大事故でした。当時約3ヶ月程度入院生活を送っていたと思います。退院を迎えるとき「50歳を過ぎると人工関節を入れないといけないかもしれない」という主治医のなんとなくつぶやき程度言った言葉が脳裏にずーっと残っていました。
退院後は部活だったテニス(硬式)を普通にやっていましたし、33歳くらいからトライアスロンを始め以来、レースの距離もショートからミドル、ロング、アイアンマン、たまに100kmマラソンへと40代、50代前半まではかなり足腰に負担のかかるライフスタイルを送っていたのも事実です。毎朝出社前に8km走り帰宅後もランニング、土日はバイクのロングライドと長距離走と忙しい日々を過ごしていました。

5年前に股関節の痛み発症

当時スポーツはトライアスロンから学生時代と社会人になって10年程度やっていたテニスへと移行していきました。ベテランJOPに参戦して全日本選手権に出たいと思い、テニスに集中しベテランJOPに出始めて2年ぐらい経ったころだったと思います。試合や練習のプレー中に股関節の奥の違和感、痛みが出るようになってきました。具体的に発症当時の5年前は3セットマッチの後半に痛みが、2年目は第1セットが終わるころに痛みを感じるようになりました。翌日休養したりすれば痛みは一時的になくなりましたが、3年目ぐらいから普段から跛行がみられるようになり、試合後に相手の方から膝か腰が悪いんですかとよく話しかけられました。試合中よくドロップショットも打たれ走らされました。4年目になるともう痛み止めと飲まないと試合ができないほどひどくなっていましたね。昨年はもうダッシュすることもできません。摺足でのフットワークしかできません。横断歩道の青信号が点滅しだしたときに小走りで渡ることもできなくなっていました。

保存療法の限界

発症して5年間治療は何もしなかったわけではありません。もちろん、整形外科にも通いました。5年前にもレントゲン写真をみてこれは人口股関節適用の症状ですと言われていました。それでもあえて保存治療を選択したのも自分です。整体はもちろん針灸、自宅でできるあらゆる変形股関節症の保存療法を徹底的に行いました。
発症の経過とともに、股関節を曲げるとググッと音がなるようになってきました。私はずーっとこれは弾発股で筋肉が擦れてなっているものだと思っていましたが、手術後やっぱりあれは骨だったんだなと思い知らされました。術後はあのような嫌な音は股関節から出ることはありません。

話がそれましたが、保存療法をもう何年もやっているにも関わらず筋肉の疼痛はひどくなる一方。歩くのでさえ続けて30分歩くのが精一杯。歩いた後は痛みに悩まされることに。保存療法の限界を感じていました。平行して人工股関節置換術のメリット・デメリットを調べていました。

人口股関節を入れる決意

近年人口股関節置換術のインプラントの品質や手術の方法の進歩はめざましくQOLのためだけの手術ではなく好きだったスポーツへの復帰も可能かもしれないと。
プロテニスプレーヤーの Andy Murray も全豪でほぼほぼ引退を決意していたのに、同年のウィンブルドンにダブルスで出場するという驚きの復帰を見せました。2019年リリースのドキュメンタリーですが、手術も視野に入れていた私の背中を押してくれたのは言うまでもありません。

今年2022年1月にベテランJOPの試合があり、試合中まったくといいほど動けなかった失意から人工関節置換術の専門医の門を叩くことを決意した次第です。
もうこんな状態でセカンドライフをウダウダと過ごしたくない気持ちでいっぱいでした。
まずはQOL。
これはアンディマレーもこの手術を受ける際に当初言っていました。痛みが完全になくなりプロの試合に戻りたいとドクターに相談しているシーンが忘れられません。ドクターは「プロの試合に出続けると今後7年のうちで股関節がぶっ壊れる確率は15%。私があなたに言えるのはそれだけです。」マレーも何とも言えない顔をしていましたが、彼は前に進むことを決断したんですね。


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