kaneboの新CMに抗議します

ブラウンが「生きるために、ヒゲを剃る」というキャッチコピーで世界中の色々な人がヒゲを剃っているシーンが繋ぎ合わされている動画をアップしたとしたら、自分はどう反応したかを考えてみた。

きっと爆笑して「ブラウンwww」とコメントを付けてリツイートしただろう。

従業員に化粧や身体に合わない靴の着用を強要する企業は滅びるべきと思うが、仮にそれが強力な法規制によって実現した社会になったとしても、服装や化粧や髪型を工夫することで顧客とのコミュニケーションを有利にすることは防げないだろう。それもまた憲法で保障された人格権の一部だからだ。

化粧やパンプスの強要による苦痛というダウンサイドを社会として消すことは可能かもしれない。しかし個人の外見の手入れによりビジネスを有利に進めうるというアップサイドの根絶は不可能だ。現生人類はネアンデルタール人がまだ滅んでいなかった時代から、自他を装飾をせずにいられなかったからだ。

https://artne.jp/report/94

我々の中にある程度入っているというネアンデルタール人でさえ、自身を装飾していたという説すらある。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35115158.html

装飾は現生人類の本能であろう。人から装飾への欲望を奪うことは、おそらく不可能だ。どうしてもそれをしたいのならば、厳格なイスラムのように女性の外見を完全に公的空間から隠蔽するしかない。

#kaneboの新CMに抗議します というハッシュタグの問題は、ダウンサイドとアップサイドの区別をしていない点にある。

ある種のツイフェミの方々にはカネボウをまるでJRや電力会社のようなインフラ企業、あるいは官公庁でもあるかのような勘違いしているきらいがあるが、カネボウの主なビジネスは化粧によるアップサイドの追求の支援だ。社会が誰かに望まぬ化粧を強要しているとしたら、その解消に責任を持つのは有権者であって、カネボウではない。

化粧のアップサイドに関わる企業を攻撃しても、ダウンサイドの解消の役には立たない。必要なのは従業員に望まぬ化粧を実際に強要している企業への批判である。

何故、化粧という行為に抑圧を感じている人々がわざわざ「化粧品を化粧をしたい人に売る」ことで成立している会社のコーポレートブランディング動画を見に行っているのかが、そもそも不思議である。そんなの不快な思いをするに決まっているではないか。

#kaneboの新CMに抗議します というハッシュタグは「まともな議論が出来ない人たち」というイメージを更に積み上げるだけであろう。

もちろん、彼女・彼らが何をどのようなトーンやマナーで主張しようが、法の許す範囲であれば彼女・彼らの自由であり、その結果もまた彼女・彼らが引き受けるだけである。

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