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文化庁メディア芸術祭の終了を部分的に寿ぐ

文化庁メディア芸術祭の「アート部門」の受賞者の国内勢と外国人の違い。

前者はデザイン会社や制作会社の人でアーティストステートメントもアーティストとしてのCVも存在しない。

後者はガチのmedia artistでemergingとmid-careerの間くらいの段階までは来ている人たち。

なんで同じ部門だったの?

国内勢の受賞作品がworkとして悪いものだったということではなく、チームラボやピタゴラスイッチの亜流みたいなものを気の利いた(=現代日本の意識高い層の消費文化に最適化された)デザインでバフがけして提示した作品を「メディアアート」と呼ぶことには密かな弊害もあるという話です。

たとえばチームラボ風に人感センサーとオシャレな照明と音を組み合わせた空間を作品とする。そこに「若い美女のモデル」を配置してリゾートホテルの宣伝写真風の写真を撮って、これが我々のメディアアート作品ですという説明とする。

「メディアアート」ならセーフ。media artならどうでしょう?

リゾートホテルの中に「メディアアート」空間を作って宣伝写真撮るなら若い美女のモデルは必須でしょう。私だってハゲのおっさんより若い美女のモデルが見たい。

でもmedia artなら「ここにこの(若い・美女)属性のモデルを配するのは作品の中でどんな意味を持つの?」ということが問われてしまう。

その辺の「なにこれ?」をパススルーで「アート部門大賞」を出してしまうような官展としての「メディア芸術祭」は、国内だけで盛り上がってる分にはいかにも日本風のナンデモアリで最高に楽しいけど、アウトバウンドは難しいですよねと思った。だから終了は良きこと。

「メディアアート」老人会みたいな人たちがnoteで文句言ってるけど外国にいくらでもmedia artのオープンコールあるんで、そっちに応募すりゃ良いんですよ。ただし「メディア芸術祭」で賞が出る「メディアアート」では受賞は難しいでしょうけども。

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