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不要不急ではなかった


半年前、1年前、いやもう1年半前にもなる、
いつから夜にサイゼリアで集まって長話するなんてできなくなったんだろう、いつから田舎の友達に会う事を躊躇うようになったんだろう、
カウントしていないともう覚えていられないほど前から私達は握手も出来ない世界に閉じ込められてしまった。

1年半前、ただただ先の見えない不安が蔓延していた。街には人気はなく、車も通らず、大通りの真ん中で寝転がれちゃうような日々だった。
ライブハウスや飲食店は悪とされ、たったひとつの趣味を奪われた私達は磔のようにされていた。

居ても立っても居られずに、自分にできることを探した。
ただそれは、助けてって言うのが嫌だっただけで、何かの所為にして部屋の隅に座っていられなかっただけで、
本当は自分ががむしゃらに動いている事が歯車のほんの一部になって、どこかで扉が開く音がしないかななんて、漠然と夢見ていただけだった。


誤解されることもあるが、私は知らない誰かを救いたいとか、世界をなんとかしたいとか、そんな大袈裟な事を考えられてはいない。
むしろ私はいつも私の為にしか生きていなくて
どうして他人にもっと寄り添えないんだろうと後悔する事ばかりだ。
遠くで火事だとか地震だとか、そんな事を聞くたびにその場は眉毛を下げてみせるけど、
次の瞬間にはTwitterで今日食べたランチの画像を上げているんだ。

私は私の為にしか生きられないし、
誰かに寄り添ったり、一緒に悲しんで立ち止まったりする事は苦手だけど
私が自分のしたい事をしたいようにして生きている姿を見て、
誰かの人生の一部を少しでも明るい方向に変えられられることができたらそれは最高なんじゃないか、って思っている。
ありがたい事に、私の周りではそれを、実際に体感したと伝えてくれる人たちがいるのだ。
私と会えて嬉しかったとか、曲を聴いて頑張れたとか、突き進んでる姿をみて勇気が出たとか、そんな不思議な話をしてくれるのだ。
今でも半信半疑だけど、生き甲斐とかなんとかを感じる瞬間があるとするならきっとその時だと思う。
何にも変えられない自分が、ただ必死に生きている姿が、少しでも誰かの心を温かくすることが出来ているとしたら、なんて幸せな事だろう。

2021年7月、
今、制限はあれど、おなじ場所に集ってみんなで手をあげる事が許されている。
少し前までは出来なかったこと。
そしてもっと前までは当たり前に出来たこと。

やっぱり改めて思う。

確実に必要だったよね。

私はいま、あなたと一緒に歌える事が
こんなにも楽しみで仕方ない。
ステージを観る為だけに、演るためだけに、
仕事を頑張れたり
嫌な事を乗り越えられたり
踏み出す勇気をもらえたりする。
他人だったはずの人たちが同じ空間で繋がる一体感は、不要不急なはずなんかなかった。

たくさん我慢したね。
明日、やっとステージであなたに会えるらしい。


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