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悪は存在しない

何も言われずにちょうどいいタイミングで出されるチェイサーが1番モテるのではないかと思っている加藤です。
#この間東京でそれをやられて
#危うく落ちるところでした
#恋に

久しぶり“映画を見たな”っていう噛みごたえありまくりの忍者グミみたいな(食べたことないけど)
そんな映画に出会いました。

少しだけ内容をお話しさせてください。

地方に施設を建てたい都会の運営会社とそれに違和感がある地域住民
みたいな構図が地方の人たちとって親近感が湧くような感じで
ところどころに散りばめられた違和感が
これはどういうことなんだろ?って考えさせられて
見た人の感想を聞きたくなるような映画でした。
#クライマックスも
#げきやばです
#語彙力


話したい項目がいろいろあるんですが
今回は僕が向かっている地方創生とその立ち位置についてお話しします。

映画のワンシーンで
地元住民に対して運営会社が説明会をする場面があって

これまでのその土地に暮らす人も含めて生態系が崩れてしまうことを住民たちは懸念していて
運営会社はこの施設を建てることで地域にお金が落ちて暮らしが豊かになると熱弁。
喧嘩腰の住民と当初低姿勢だった運営会社もだんだんと我慢できなくなり逆ギレ状態
お互いが譲らず話し合いは平行線。



たしかに。とあれ?っていう違和感



ふと
僕がやりたいことは
誰かがが求めてることなのかな?
と思ってしまいました。

僕のしていることはどちらかというと一方的な想いの方が強くて、独りよがりな話なのではないだろうかと



何を自分に求められているのか。もっと考えなきゃいけない。



そう言われたことを思い出しました。


僕は“好きなことをする”という意味を履き違えていたかもしれません。


他者から求められていることは一見自我を抑圧するもののような印象を受けますが
実はそんなにネガティブなものではなく
自分がやりたいことに向かってく道中の軌道修正をしてくれる重要な要素なのではないだろうか

そして

今こうして割と自由に動いてる僕ですが
他者に認知される、認められることによって
自分が今自由にできていると自覚できてるような感覚があります。

つまり、自己満だけでは“やりたいことをしている”という欲は満たされないのではないかという説です。
言わば、他者に評価されることでしか自分のやりたいことをやれていると確認できないのではないだろうか



いいタイミングでいい映画に出会えたなと思います。
見るべくして見れたんだなと思います。
とても考えさせられる映画です。

ぜひ劇場でご覧ください。
#回し者感が
#否めない

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