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大きな岩と小さな岩

この話を聞いた時はあーなるほどって思ったけど、いつの間にか何の話だったか忘れている自分がいて、今度は忘れないようにここに残しておこうと思う。

大きな壺を取り出した先生が、その壺にひとつひとつ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで詰めて、先生は僕たちに聞いた。
「この壺は満杯か?」
僕たちは「はい」と答えた。
「本当に?」と言いながら先生は、バケツいっぱいの砂利を取り出し、壺の中に流し込んだ。
そしてもう一度聞いた。「この壺は満杯か?」
僕らは答えられない。
すると、先生は、バケツいっぱい砂を取り出し、壺の中に流し込んだ。
その後、3度目の質問を投げかけた。
「この壺はいっぱいになったか?」
僕らは声を揃えて「いや」と答えた。
先生は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
先生が最後の質問を投げかける。
「僕が何が言いたいのかわかるだろうか?」

最初この話を聞いた時、全然わからなかった。

どんなことでも抜かりなく、最後の最後までやれることはある

そんなことだろうなと思ったら、もっと大事な事をこの話は教えてくれた。

大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度と来ない

何ともドキッとさせられる言葉だ。
大事なことだからもう一度言うけど、“二度と”来ないのだ。

🏺🏺🏺

僕の人生にとって“大きな岩”とはなんだろうか
仕事、夢、家族ー。大きな岩とは僕らにとって1番大切なもの。それを最初に入れなければならないのだ。
壺というのは、僕らの時間だ。
自分にとって大事ではないもので時間を埋めていくと、自分にとって大事なものに割くべき時間を失ってしまうのだ。

今こうして自分の立ち位置を考えてみると、砂利や砂で自分の壺を埋めてしまっているなあと感じる。かといって何かしているかと言われれば、特に何もしてなくて、いつの間にかいっぱいになってしまうのではないかと焦燥感だけが残る。
どう考えても、もっと自分が求めるものに時間を割けるなって思う。
誰かを羨む時間だったり、憎む時間、ただただTikTokを見る時間、あと5分だけの二度寝
数えればキリがないほど砂利や砂のような時間がある気がしてため息がでる。

やっぱり人ってそんなに強くない
強制的に動ける“環境”が大事だなと改めて思う。
何が砂利で何が岩になるのか見極めるのも大事だけど、それを入れるための手段(=システム)も大事だ。

自分にとって“大きな岩”が何で、それを“入れるためにどうすればいいのか”考える必要があるんだ。

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