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誰かになりたかった誰か

春先にアパートに着いた瞬間、実家に鍵を忘れたことに気づき母上に仕事場に届けてもらうという重罪を犯したのにも関わらず、先日執行猶予期間中に、実家に財布の入ったリュックを忘れてきてしまった加藤です。
#大罪
#実家に絶対なんか忘れる人
#わざと忘れ物をする
#あざとい女的な
#あざといゴリラでいこうかな
#どこへ

先日、地元の祭りに参加して参りました。観覧者ではなく、出店側として。
毎年のようにラムネ一気飲み競争で一番をとってスイカやメロンをもらっていたあの頃に、まさか自分がコーヒーを出す日が来るなんて
ブルーハワイのかき氷をたらふく食べていたあの日が、いつの間にか姪っ子ちゃんが口や舌を青くする日が来るなんて
祭りでもらった花火を夜のBBQで消化していたあの日が、祭りの片付けでできなくなる日が来るなんて
想像しようともしてなかったけど、思いもしなかったなあと



僕はずっと”誰かになりたかった”です。
周りに同級生が少なくて、遊び場も全然なくて
何もすることがないこのまちがもしかしたら嫌いだったかもしれません
県内にいながらも
高校もまちの外へ出て、大学ももっと遠くの外に出て、勤め先は県庁所在地でした。
どんどんあのまちから遠くなって、このまちに住む自分じゃない”誰か”になろうとしていたんだと思います。

ただいつまでたっても”誰か”にはなれませんでした。
だからもっと広い世界に飛び出してみました。
そしたらその世界は自分の想像していたものよりもおっきくて、自分の小ささを知り、無力さを知り、その”誰か”にはなれないことを悟りました。


”誰か”にはなれないまま、青森に帰ってきました。

青森に帰ってきて、運よく新店舗の立ち上げもできて
たまたま新聞にも載って
そしたら
同級生も仕事仲間もバスケ仲間も
みんな遊びに来てくれて
すごく幸せな出来事がいっぱいあって
祭りに出ることができて、自分の商品を皆さんにいただいてもらうことができました。
僕の考えたもの(作ったもの)が誰かに届いた瞬間でした。
自分のすることが
すべて勉強になり
すべてが日常になり
すべてが仕事になり
すべてが人生になり
まだまだだけど、ついにここまで来ました。


帰ってきてからというものの
やりたいことが溢れてしまって
この場所でこれをやりたい
この会社のこれを使ってこれを作りたい
この人と一緒に仕事がしたい

このまちで僕ができることはなんだろうか

いつの間にかそう考えている自分がいました。
”誰か”は”誰か”じゃなくて自分自身だったんだと気づいた瞬間でした。

テントから見えるこの景色は昔に比べて露店も人も少なくて
やけに寂しく見えました。


でも、もう大丈夫です。

なぜなら“僕が“いますから








僕が”僕”になれた1日でした。

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