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大きく舵を切るとき

男はいつか大きく舵を切らなければならない時がくる。
そうどこかで聞いたことがある。
あるいは29歳の時に大きな変化が訪れるという29歳変動説とも

いつか僕にもそういう時が来るのだろうかと
こたつの中から眺めるテレビの向こう側の大事件みたいに、ほとんど人ごとのように思っていた。

転職しようと思ったとき、自らそうなるようにしたのか、あるいは本当に運命なのかはもはやわからない
いつからそんなこと思っていたの?って聞かれることが多くて、
「結構前から考えてました。」っていつもドヤ顔で答えるけど、そんな明確に考えていたわけじゃなくて、ただぼんやりと“こういう方向でいきたいな”くらいのものでしかなかった。
でもコロナが流行り始めた頃から、ちゃんと考え出したのは事実。
そうしたいと思うことに向けて行動しようと決心した。

今の職場を辞めることを両親に伝えた時、“理解できない”って感情が顔いっぱいに現れていた。
親世代は、ひとつの場所で一生勤め上げるのが当たり前の世の中だった?というかそういう人が近くにいなかった、もしくは少なかっただけなのかもしれない

だから突然理解してくれとは僕も思っていない。
これはもう時間をかけるしか方法はないなと思った。


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僕も社会人になりたての頃は、ここがゴールだと、ここで一生を過ごすものだと思っていた。
よかった、社会人として認められた。そう思った。

置かれた場所で与えられた仕事をして、その対価として給与をもらう
それ以上でもそれ以下でもない
それはあなたの仕事だから私はわからない
あくまで自分の仕事だけやります
違和感を抱きつつもこれが当たり前だと思ってやってきた。

でも、仕事を通していろんな人と出会ったことで、“そうじゃない“ってことも知ることができた。

仕事をしているだけがその人を現しているわけじゃない。
寝て、起きて、食事をして、笑って、泣いて、怒って、嬉しくなって、全部含めてその人なのだ。
だから、仕事“だけ”自分の人生から隔てるなんておかしい。仕事だからって言うのはなんだか変だ

今の職場は7年勤めた。7年勤めて、確かめて、やっぱりやりたいことをしたいと思ったのだが、
親からしてみれば、たった7年。
辞めたら不幸の始まりかのように母に言われ、父は絶句

今の時代、転職は息をするように当たり前になってきているが、地方ではまだまだ異様に見えてしまう。

高校卒業後、東京に出て、そこに慣れずに帰ってきた同級生たちをみて、あー地元に残って正解。なんて思ってたときもあった。
でも、社会人になって、仕事にも慣れてきたとき周りを見渡せるようになって
そうなりたいと思う姿になるために、近づくために、果たして僕は鞘から剣を抜いたことがあるのかと疑問になってきた。


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歳を経るにつれて、どんどん動けなくなってることを感じる
やればできる
本当に?
そんな時代はとうに過ぎ去ってしまった。
強く握りしめていた主体性はいつの間にか指の隙間から擦り抜け、気づいたら何も持っていない。
いつだって誰かにやらされてる被害妄想

冷めた自分が熱い自分を覆い尽くすまで時間がないように思えた。

今大きく舵をきるために、力一杯操縦機を握りしめている。

どうなるかわからない
こんな時に行かなくたっていい
今更遅いよ
誰かの不安が自分の不安のように襲ってくる


正しい「挑戦」なのか
間違った「逃げ」なのか
人は答えを求めたがる。
世の中に答えが溢れかえってしまったから、当然答えがあるように、自分でも答えが出せるかのように勘違いしてる。

僕としては正直どちらでもよくて、どっちだったとしてもその時に自分がどーするのかの方が大事なんじゃないかなぁって思ってる。

さぁ、行こう
面舵いっぱい

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