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器用な人と不器用な人〜ワハハ本舗、梅垣義明氏に教わった事〜

先日、数年ぶりに再開した私の「人生の師」と言っても過言ではない、梅垣義明氏との事を書き留めたいと思います。

私は大学卒業後にすぐワハハ本舗で梅垣義明氏の演出助手になり、7年ほどその仕事をしていました。即ち、新社会人としての私を教育して下さったのは梅垣さんでした。

シャンソンを歌いながらネタを繰り広げる
お笑い芸人の梅ちゃんこと梅垣義明氏

梅垣さんは、見た目の奇抜さや、ステージ上での振る舞いからは想像もつかないくらい「クソ」(失礼!)がつくほどの真面目な方でした。仕事への姿勢、酒の席での接待マナー、お客様へのリスペクトの気持ち等を、守られていた学生という立場から社会へ飛び込んだ新人の私に全て教えてくれました。

その中でも、どんな職業だとしても誇りを持つ事、プロ意識を持つ事の大切さは、梅垣さんでなければ教わる事ができなかったと思います。

芸能界という厳しい世界で、表面的には見えない裏の努力や、舞台に上がるまでの実直な態度、自分自身へのストイックな姿勢を目の前で見せられて来ました。

一世を風靡した人物というのは、ここまでやらなければならないのか、と本当に尊敬しました。努力を惜しまず、常に目の前のお客さんに対するサービス精神を追求した姿に圧倒され、私もそれに必死について行った日々を思い出します。

今私が、議員という立場に誇りを持ち、プロ意識を持って湯河原町政に関わっているのは梅垣さんから教わった事なのです。

梅垣さんは時折稽古場で自分の感じた事、心動かされた事を語ってくれました。

「海外で道路の交通整理をしている人を見た。日本だと通常、交通整理は退職後のおじさんが力なくやっているイメージがある。だけど、自分が見たその交通整理の人は一生懸命に楽しそうにやっていたんだ。職業というのは良い悪いはない、どんな職業であれ、誇りを持ってやっている人は素晴らしいんだ」
「稽古が終わって疲れ果ててタクシーで帰っていた時に、まるで世界で一番自分が辛い努力をしている様に感じている時にふとビルの2階を見たら、夜中なのに美容師さんが、カットの練習をしていた。みんな頑張ってるんだ、自分だけじゃないんだと力が湧いた」

梅垣さんは決して器用な人ではなく、むしろ不器用な類の方で、それを人並みならぬ努力で補い、お客さんへ「笑い」というサービスを届ける方です。

その並々ならぬ努力は実るのか実らないのかもわからない、不器用だから効率も悪い、目指しているところが遥か遠くに感じることもあるのだろうと思います。きっとへこたれそうになる事も多いのだろうなとも思います。そんな時に色々なものに触れて感じて、勇気をもらったり感動したりして、自分を奮い立たせるのです。

一方、私は昔から何でもそこそこ出来てしまう割と器用な人間でした。

歌のレッスンも、新曲は私の方が早く習得してしまう為、私が梅垣さんに教えたり、仮歌を私が吹き込んで渡し、ネタの稽古も私が梅垣さんにダメ出しをする立場でした。

普通であれば20以上も歳下の新人にダメ出しをされるなど、プライドが許さないところではあるかと思いますが、梅垣さんはそれがお客さんの為になるのであれば一向に構わない態度で、むしろそんな事は関係なく、私がお客さんに笑いを提供する為に考えて行動した事に対してはしっかり評価してくれました。

不器用な梅垣さんと、器用な私。そんな2人は私が演出助手を務めた7年余り、周りからは「良いコンビ」として評価をされていました。私は最高の演出助手として梅垣さんに信頼をされ、私は芸事に対する美学を梅垣さんから学びました。

器用、不器用、私がこれにこだわっている理由があります。私はワハハ本舗の演出家である喰始(たべはじめ)さんに言われた一生忘れられないであろう一言があるのです。

喰さんは私にこう言いました
「器用な人間は不器用な人間には勝てないんです」

心に突き刺さる様な言葉でした。なぜなら完全にその通りだと思ったからです。私は器用にこなせる、私はできる、という驕りがありました。だけど、そんな事をできる人は世の中に五万といて、例え上手に歌が歌えたとしても、すぐに歌を覚えて段取りもできても、それ自体は梅垣さんの様に舞台上でお客さんのハートを掴む事には繋がらないのです。

人の心を動かしたり、感動させたり、笑って欲しいと思って努力をする事は、その努力の分だけ重みや厚みを増して、必ずその人に伝わるのだと思います。

私は不器用な人に憧れました。不器用になりたいと思いました。そして、不器用になれない事に敗北感を味わいました。

器用になんでもできる私がどんなに努力をしてもできない事、それは不器用になる事なのです。

そして、その後私はこう考えました。不器用な人に勝てない器用な私だけど、私には不器用な天才を、輝かせる役目があるのだ、と。

そんな事をSNS上で書いていたら、元開成町長の露木順一さんがこんなブログを書いてくれました。

器用であれば、それを突き詰めれば、そのうち器用、不器用など関係のない境地に行き着くという内容です。だから、そこを目指して欲しいという露木さんからのエールでした。

このブログを読んで思い出しました。実は今までの経験の中で、限りなく梅垣さんの様な不器用な人物に近づいたと思えた経験があります。

それは私が3年前当選した時の湯河原町議会議員選挙の時です。

とにかく湯河原町民の皆さんに、私の考えを知って欲しい、湯河原町の未来を一緒に考えて欲しい、それには私に一票を投じて欲しいと我武者羅に訴えました。

今思えば、なりふり構わず寝るまも惜しんで活動をしていた為、ポロポロとやらなければならない事が色々抜け落ちて、周りにも随分とフォローをしていただきました。

その時の私は決して器用な人間には見えなかったと思います。

湯河原町民の皆さんに、知って欲しい、私の政策を聞いて欲しい、応援して欲しい、そしたら絶対に湯河原町を良くして見せる!その気持ちは誰にも負けないという自信が有りました。正に、梅垣さんが笑いという一点に集中している様な状態だったかと思います。

この時はもしかしたら器用、不器用を超えた境地に行っていたのかもしれないと、露木さんに言われて思い返しました。

必死に打ち込める事柄が人を不器用にさせるのかもしれません。

先日、知人に頼まれて千葉にある明海大学で現役の政治家として特別講師を務め、学生さんの前でお話をさせていただきました。

その時に学生さんから質問が来ました。色々と私が議会で戦っている話を聞いてメンタルが強いと思われたのだと思います
「メンタルを強くする方法があれば教えてください」という質問でした。

私は「自分が本当に一生懸命に打ち込める事を探し、それをやってください」と答えました。
自分の人生をかけてもやりたい事に巡り会えたら、人は強くなります。やりたい事のために敵も作りますし、なかなかそれを達成できないからこそもがき苦しむと思いますが、それでもやりたければ乗り越えられると思います。

それは不器用と似ています。

私は今、梅垣さんの「お客さんを笑わせたい」という気持ちと同じくらい「湯河原町を良くしたい」と思っているのかもしれません。

人生をかけても打ち込める事を見つける事、それに全力を尽くす事が、器用不器用を超える為の条件なのかもしれません。

憧れていた芸能界ですが、結局はそれほどまでに打ち込めるものではなかったのです。器用止まりでした。

「器用な人は不器用な人に勝てない」
この言葉をいただいて、もう15年ほど経ちますが、私はやっとこの言葉の意味を理解できたかもしれません。

不器用な人になってしまうくらい、自分のやりたい事がある人は強い。器用にこなせる様じゃ、まだまだだ。

「焦らずもっとゆっくりやりなさい」
「やり方が下手なんだよ」

議員になってから、町のため、町民のため、と突き進み、敵を沢山つくってしまう私がよく言われる言葉です。

もしかしたら私は、あれほどまでに憧れた、不器用な人間に今、近づけているのかもしれません。

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