月光ソナタ
太陽の光は強烈なので、長い時間見つめることはできません。でも、月を見つめ続けることはできます。月は夜空に浮かぶ姿で見えるものです。もちろん、昼間の太陽だって「青空」という背景に浮かんでいるに違いないでしょう。ですが「青空の中に浮かび上がっている太陽」という姿で太陽をイメージする人は、あまりいないと思います。そういうイメージができるには、太陽はあまりにも眩しすぎるからです。
このことは、昼間に見える月の姿を考えてみると、よくわかると思います。昼間でも月が見えることがありますが、その存在感は夜空の月とは比較になりません。昼間の月は、空という配景のなかで「浮かび上がっている」とまでは、なかなか言えないからです。
黒い夜空に白く光る月という絵で、我々は月を見るということは、我々にとって「月」という天体のイメージは、常に夜空という背景の中に浮かび上がっているということを意味します。つまり、そこには「図と地」による認識があるわけです。
ゲシュタルト心理学では、〈図〉とは人の意識の中心に浮かび上がるもので、その背景にある無意識的なものが〈地〉です。例えば、白い紙の上に黒いインクのしみがある場合、我々はその「しみ」を中心的に知覚して、白紙の方は背景に沈み込むことが多い。しみが〈図〉であり、白紙が〈地〉というわけです。人間の知覚は、このような「図と地の分離」をほぼ無意識的に一瞬で行っています。そうすることで、本来は「図と地」の区別のない中に、図を浮かび上がらせるのです。
「図と地」という文脈でとりわけ興味深い現象は、いわゆる「図と地の反転」という現象です。この現象の説明には「ルビンの壺」が、よく使われます。
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加藤文元の「数学する精神」
このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…
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