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限られた時の中で

昨年、父が癌によって七十二年の生涯を終えた。
母は住み慣れた長野を離れ、姉妹たちの住んでいる札幌へと越した。
父と母は離婚してから三十年以上経っており、それぞれに新しい伴侶を持った。
たまたまではあったが、父の死後に母は老いた身でありながら二度目の離婚を決めて、命の最後の時間を生まれ故郷で過ごしたいと言い、実行に移した。
別れて時が経ってはいるが、父が死んで母の心には寂寞としか言いようのない穴が開いてしまったように感じた。
この世を去るというのに、別の道を歩んでいるがために、母は父の死に目にも、葬式にも立ち会えない自分の状況に打ちひしがれていた。
「行けるわけもないのに、喪服は用意していたのよ」
母は、かつて愛した人に会いたかったのだ。
正直、会わせてやりたかった。
父の後妻がいるし、葬式に母を呼ぶことができなかった。
もう二度とは会えない父と母を思う。
結果、会うことは叶わず別れを受け止めるしかなかった母。
かつてあった過去を認めて、どうやら母なりに自らを更新したようだ。
考えてみると今目の前にしている家族や友人とも
不意に別れがやってくる可能性だってある。
人は限られた時の中で生きている。
父が逝き、死というものを見つめ、当然の理なのに
いつかは誰もが例外なく死ぬことを思い知る。
限られている人の時。
でも、好きなことを思い切りする、したくもない仕事なんか辞める、
夢を諦めない、とかそうした発想は無い。
単に、「今が幸せということ」に気付いたから。
仕事に翻弄され、日々にストレスを感じながら葛藤し、
やりたいことをする時間も作れず、雑事に追われ、、
それでも、そんな日々が実は幸せであることにふと気付かされる。
健康があって、何とか生活しているならば
あとは、不平不満の心を正すだけで良いのだから。
あれこれ考えてるうちに人生は颯爽と過ぎ行くもの。
それでいいじゃないかと。
真っ直ぐなら、それでいいんじゃないかと。
独り言。

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