美術解剖学雑記

東京藝術大学の大学院生の頃、阿久津裕彦先生と美術解剖学についてよく議論していた。阿久津先生は現在造形大などで美術解剖学を教えている。たまに朝日カルチャーなどで講習会をされているので、先生のお人柄と美術解剖学観にご興味のある方は受講されると良いだろう。

現在の私の活動は、当時阿久津先生と交わしていた議論が現在までの活動の方向性の大部分に影響している。
会うたびにこちらから話を引き出す先生の話術は、傑出したものがあった。本気の話をすると、茶化した話で切り返す人が多い中、きちんと返してくれて、それでいて嫌な感じがないというのは、なかなか真似できるものではない。今考えればかなり恵まれた環境だった。

美術解剖学研究室に出入りするほとんどの大学院生は、自分の制作に関わる自然科学を知りたいだけで、美術解剖学という学問について研究したり、教えたるする立場になる気がなくみえる。美術解剖学とは何かを考えていた私の話と噛み合わないのはしょうがないことかもしれない。私の場合はそんな体たらくなので阿久津先生の学生からやる気を引き出す力は凄まじいものがある。

一人で考えていることは偏っていて、あまり面白くない。頭で考えて思いついたアイデアは実現性が低い。それを回避するためには、人と議論をして妄想と現実とのすり合わせを行う方が私にとってはベターな方法だ。頭で考えたことよりも手を動かして湧いたアイデアを頼りに進んでいく方が実現性が高い。周りの人で創作に関して相談できる様な人がいれば、繰り返しているだけでモチベーションも上がるし、それによって表現の飛躍も起こりうる。

私の場合は残念ながら美術解剖学の議論をする相手が居ないし、SNSに書いたところでそれを必要とする人は少ないので、これからの美術解剖学について思っていることをここに書き留めておこう。いわゆる壁打ちというやつだ。人間はいつ死ぬかわからないので、やろうと思ったことはどんどんやっておく。取り止めのない内容だが、メモがわりに書き留めておく。

インフラについて
2020年にリシェ、バメス、エレンベルガーなど世界的に信頼できる書籍がひと通り翻訳できた。売れ筋の本ではない専門書を出版してくださる出版社と出会えたことも私にとってはかけがえがないご縁であった。
インフラは整ったが、そこにアクセスする人がまだまだ少ない。
原因は以下が考えられる。

・資料を買う金銭が不足している
・図と文章をセットで読む習慣がない
・専門的知識にアクセスする習慣がない
・ネットに情報があるので、お金をかけて学ぶほどのものではないと思っている
・本気で創作活動をする気や表現能力に自信がない

次の段階では、そうした学習者のネガティブな意識を少しでも変えていく必要がある。私の講習会に来てくださった方にはなるべくそうした姿勢を伝える様にしているが、私の草の根活動でできる影響はまだまだ微々たるものだろう。欧米圏の美術解剖学の理解は日本の理解よりも遥かに進んでいる様に思える。隣の芝が青く見えるだけかもしれないが、「キャラクターのデフォルメと美術解剖学がマッチしない」というような「行動しないための言い訳」を聞かないし、デフォルメしても解剖学的な形態やその解釈に違和感が少ない。

新しい美術解剖学について
バメスの教育方法から50年以上経過し、世界中で様々なインストラクターたちによって新しい人体の見方が編み出され、紹介されている。
構造の色分け、トポグラフィーやワイヤグラム、単純形態、正誤の比較。実はこうした手法は、かつてからあった図示方法の焼き直しである。素描、木版画、銅版画、写真製版、板書、デジタルペインティングというメディアの変化に応じて新しい表現が出ている様に見えるが、内容はほぼ同じである。

どこに差が出やすいかというと、どこをトリミングするか、どこに焦点を当てるかということにセンスの差が出やすい。ポール・リシェやゴットフリード・バメスらはその能力に非常に長けていた。図版を見れば独特の計画があることに気がつくだろう。どこを見るかを探っていくことで新しい情報が既によく知られている人体からでも引き出せる。

あとは周辺領域への美術解剖学の普及である。私は兼ねてからファッションデザイナー向けの解剖学をやりたいと考えているが、なかなか縁がなく着手できずにいる。工学方面にもテコ入れの必要があるだろう。

美術解剖学の教員について
美術解剖学の教員は、国内海外問わず絵の描けるインストラクターのことが多い。日本の美術大学に多い、座学形式の講義よりもデモンストレーションしながら教えるスタイルの方が、現場にいるアーティストたちにとっては実用的だろう。作品を作る上のニーズとずれも少ないので、精神論を述べることにもなりにくい。
美術解剖学の教員は、歴史的に見て師弟関係というのがほとんど存在しない。学問の内容は誰かの書籍を継承したり、医学の現場で解剖を体験することで維持されてきた。したがって私の身近なところで私の影響を受けた後進が出現するかどうかはかなり運を要する。
講師の解剖学的な知識については、実際の解剖体験を経験された方がいい。できれば医大に長期間潜り込んで複数体の構造を見て知ってほしい。医学が取り扱っている体の構造や、人を救う医療行為への理解を深めてほしい。人体の構造に要不要はない。医学と美術を分断しないような教員が現れることを望んでいる。

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