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新たな美術解剖学の本を執筆する目的

現代は、世界中で様々な著者が美術解剖学の教科書を執筆しています。教科書を執筆する主な理由の一つは、それまでの情報を編纂し、更新するためです。
 解剖学はすでに完成した学問と捉えられがちですが、現場では現在進行形で新しい構造やそれまで知られていた構造の間違いが見つかっています。10年、20年すると、新しい知見が積み重なってきて、それらを教科書に組み込んでアップデートしていく作業が必要になります。そこで時代に応じた教科書が編纂されるわけです。
 主な更新の内容としてはもう一つあります。それは、煩雑になった情報を整理するためです。美術解剖学教育の二大巨頭であるポール・リシェとゴットフリード・バメスの教科書の序文には、当時流行していた書籍や著者に対する批判が書かれています。
 リシェは医師のマティアス・デュヴァルの美術解剖学書を引き合いに出し、そこに不足していた内容を指摘しました。バメスは画家のアンドリュー・ルーミスに対し、「科学的根拠のない内容」など強い口調で著作の内容と教育者としての姿勢を否定しています。わざわざ嫌な事例を自分の著作(作品)に掲載するというのは、よほど思うところがあったと考えられます。
 これは私の想像ですが、自身の解剖所見に基づき図を描いたリシェは、自身で図を描けないデュヴァルに対し、アーティストたちのニーズとズレがあると感じていたのではないでしょうか。挿絵画家として仕事をしながら医学校で人体解剖を学んだバメスは、商業画家として大成していたルーミスのTips(絵を描くときのコツ)に解剖学的事実と乖離した内容を感じていたのではないでしょうか。
 なぜ私がそう感じたかと言えば、現在最も売れている『スカルプターのための美術解剖学』も『ソッカの美術解剖学ノート』も論文として専門家が査読をした場合、「記述と図の双方において事実と異なる点や拠出不明の内容が多いため修正されたし」と返却されるように感じるからです。それでも人気な理由は、見栄えして見える図や補足のための図が多く、多くの読者が専門知識を精査できないためでしょう。教育者として不正確な情報は正して行かなければなりません。
 美術解剖学教育は「美術寄りの解剖学」や「独自性の高いTips」を教えることではありません。自然観察によって得られた事実を伝え、アーティストの観察眼を養っていくことです。そのためには、美術と解剖学、両方の領域のすり合わせが必要です。美術解剖学の著者は、解剖学をよく学び、図示するための制作技術を高め、読者に質の高い情報を伝えなければなりません。
 リシェやバメスが傑出しているのは、自分で述べた批判を、教科書によってきちんと更新している点です。両者の教科書は美術解剖学の歴史上、記述と図、編集内容ともに最も高い水準の仕事にあてはまります。
 1890年のリシェの美術解剖学書から約70年後、バメスが現れて美術解剖学を編纂しました。バメスの初版から60年近く経過し、そろそろ美術と解剖学双方の観点から過去の情報を更新できる量の知見が集まってきています。

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