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親がしてくれたことは忘れ、してくれなかったことは覚えてる。


子どもは親がしてくれたことは忘れ、してくれなかったことは覚えてる。

と、子育てをしてるとヒシヒシと感じます。

具体的には、欲しいと言ったおもちゃを買ってあげたことは忘てるのに、ジュースを買ってもらえなかったことは覚えてる。とかとか。そういうのです。

あれだけカッテカッテと猛アピールされて買ったことを忘れられるの、まあまあ切ない。というか、びっくりする。え、あれだけ騒いで、忘れたの?!

といってもまだ4歳なので、いつまでも覚えてて「このおもちゃ買ってくれてありがとう♡」なんて言われてもそれはそれで戸惑うけれど。


この話は、どちらかというと自分に当てはまるというか、

子育てをすることで、自分も親にしてもらった(らしい)かなりの事を忘れていることに気がついた。ということです。

して貰えなかったことは本当に、根に持つくらい覚えてる。

あのときこれを買ってもらえなかった。

あのときここに連れていってもらえなかった。

あのとき手を繋いでくれなかった。抱っこしてくれなかった。

あのとき、助けてくれなかった。

『あのときしてもらえなかったこと』、本当に、いくらでも思い出せます。なんならその時の恨めしい気持ちも。我ながら恨みがましい。

けど、なんであのとき、たったあのくらいのことをしてくれなかったんだろう?? ってふと思い出す瞬間、少なからずあります。

(数十年経っているので、その時の状況とか自分に都合よく記憶が書き換えられてるのかもしれないけれど)

(ちなみに、親戚のあのひとは絶対お年玉くれなかった…なんてことも覚えてる。こわいこわい。)


で、逆にです。

例えば親から「あのときこんなことをしてあげたよね」のような昔話を聞かされたときに、(私が子育てをすることで私の母の記憶も色々と蘇っている模様…)いや申し訳ない、なにそれ?そんなことしてくれたの??覚えてないわぁ…!ということが何回かありまして。

これは…子どもにしてあげたことを本人が覚えてない、という事は、残念に思ったり、悲嘆することではないのでは??と考えが至りました。

そのとき楽しかった、嬉しかった、その反応が得られれば充分なのでは、と。本当は覚えていて欲しいけど、それは私の、親のエゴというやつなんだわ!と。

特にこの先、小学校、中学校にあがって、どんどん私が「してあげる」ことも難度が上がると予想されます。親の頑張り度も増えてくると思う。


けど、忘れてくれていい。


忘れてくれていいから、

それよりも、『忘れられない記憶』を増やさないように。

「なんであのとき、たったあのくらいのことをしてくれなかったんだろう?」なんてくすぶった記憶をひとつでも減らせるように。


頑張ろうっと…と、思った次第でした。


おしまい。


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