書いたほうがいいに決まってる

誰が読んでいようと、誰も読んでいなくても
書かないよりは、書いたほうがいい。
そんな気がした2019年の暮れ。

卒論やばいこともいったん忘れ年末を満喫している。
卒論がやばかろうとそうでなかろうと、等しく年末なのだ。
まあ逆に言うと年末だろうとそうでなかろうと、卒論がやばいけど。

自分が何考えてんのかさっぱりわかんない。
と簡単に結論付けたくもない。

理性的に考えたら卒論に時間を割いたほうがいいに決まってる。
けど年末をだらだらと過ごしてしまうのにも必ず原因があると思う。
取り組めないだけの理由があるのか、単に怠惰なのか。

人生はカオスなのか、シンプルなのか。
わかった気でいたい。正しい道を進んでいたい。疑問を感じたくない。

マンガや映画の主人公は、がむしゃらなだけで上手くいってずるい。
正しい努力をしないと良い結果は得られないって。

理性的って、曖昧な物事に白黒つけることだと思ってる。脳は、ある閾値を超えないとその刺激を認識できないらしい。だから白黒つける、つまり閾値を定めることって、思考の原点だと俺は思ってる。さらには理性的とはその閾値を意識的にコントロールすることだと思ってる。

望む結果を得るのに、ここが一番難しいとこなのに、主人公たちはこの工程を省略し目に見える努力だけする。地味でめんどい作業なのはわかるけど、ストーリー的にも邪魔かもしれないけど、主人公たちはもっと理性的に正しい努力をすべきだ。いや何の話だ。時を戻そう。

自分の本心を偽らず生きてこうと思った。
話が飛んじゃいけないとか、オチがなきゃいけないとか
もう一切全部、忘れたことにする。

自分の本心から出た言葉をあるがままに書いてく
2020年、noteをそういう場所にしていきたい。

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