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私が一年間縛り続けられた訳

過去二つの投稿で私がいかに好きなモノやコトにどっぷり浸かるタイプかと説明できたかと思います。これをBDSMの世界に反映すると、また面白いことになってきます。

通訳の仕事をしていると、緊縛の世界に触れ合う機会が信じられない頻度で増えました。それは喜ばしいを越したことはありません。写真集や動画を通じてでしか触れたことのない世界が目の前に存在している。様々な人に出会い、縛り方のスタイルから受け手へ対するアフターケア。しがない通訳が言うのも偉そうに聞こえるかもしれませんが、その一連の行動でその人のことが良く見えて来る気すらしました。

「女王様」になることを躊躇していたように、縄を手にすることになるとグルグル高スピードで回る思いを一度停止する必要がありました。私はマゾではないものの、拘束フェチがあります。縄がいかに気持ち良く恍惚とした気持ちを演出してくれるのかも身体を持って理解できます。その一方で一気に冷めた気分になる無機質なモノなのかも痛いくらい分かっています。
「ならば、私が演出したい縄に一番近い人を見つけよう」
この考えにたどり着いたのは比較的早かったような気がします。肉体の拘束しか望んでいないのに、いらないスパンキング、「俺の褌」と称して猿轡を無理矢理縛り付けられたこともありました。中にはこのようなシナリオに興奮する方もいますでしょうが、ただのボンデージフェチとしてはイライラさせられるだけでした。

「私がやられてイヤだと思ったことを人に行う人間にはなりたくない」
プレイヤーとしてのポリシーもありましたが、人としてこうありたいと思う理由の込められていました。

嫌な体験から成長する。それが私が自分に課した課題でした。だった好きな縛りのスタイルとその縛り方をする縄師さんに会うまでのことだ、と。
今で考えると良くそんな余裕をもったアプローチを持ってたなぁ…と、思ってしまうのですが、「身体で覚える」という選択には賛同します。

色んな方にあった中、奈加あきら先生を(一方的にですが「先生」と呼ばせて頂いているのは理由がたくさんあります。先生の存在そのものが私にとって「憧れ」なのです。この人にも一歩でも近づきたい、そう考えさせてくれたのが先生でした。

まだまだ学びたいことは沢山。これからも縄との道は長そうです。

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