見出し画像

読書週間『海辺のカフカ』村上春樹

『海辺のカフカ』読了した。
 去年、宿曜占星の本読んでたおかげですんなり読めた気がする。(生きながらにして「業」とか「胎」を行き来する、という感じととらえていた。)
 私は15歳の頃は私が私であることが何より酷だったのだよな。死ぬことより酷だった。だから死なない(死ねない)気がしていた。
 苦しみを説明できない間は(事象をことばでならべたところでその苦しみを再現できない間は?)その苦しみを保持して生きていないといけない。佐伯さんのところでそれを感じた。あの絵(を託すということ)は祈りのようなものかも知れない。
 大島さんの「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。」という言葉が印象深かった。

<後の追記>

ナカタさんのところをちょっとまた読んだ。文庫上巻の175~176頁のところ(無意識とか深層)。あと256頁のところ(怖がること、痛みを想像すること)が興味深い。自分が過度に何かを怖がるときにはこの感覚を取り出したいとか思った。

あと引率女教師の手紙のところ。いたたまれない。ナカタさんの家庭(そうなる以前の)を想像すると、自分の中の何かと焦点が合う。私はそんな風に生きてきてはいないが。確と血?が反応してしまう。あと”「たてまえ」で生きている時代”とあったが、そうだよな。そういう時代からよくここ(現代)まで来たよな、と思った。後ろ髪を引かれながら人が自由になる。