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「鎮」に住んでた頃の話をしよう…

鎮皇とみまきち氏が住む鎮に訪れた時の話はこちら。

とにかく田舎

題の通り、とにかく田舎であった。国道沿いにある鎮だったのでいくらかましな部分はあったが、基本工場しかないような鎮であった為、ワーカーが住む街であり、人々の質は著しく低かった。無論、そのような方々が住まわれる地域の為、街中はほんとに汚かった。クリンネスのクの字もなかった。ベランダには上の階の住人が投げ捨てる食べかすや使用済みで液体付きのコンドームが私の家のベランダに落ちてる来ることは日常茶飯事であった。

鎮皇が鎮飯はすぐに飽きると定期的にツイートされているが、私が住んでいた当時の鎮はもっと悲惨だった。食べるものは湖南料理か東北料理ぐらいしかなかった。チェーン店で「回味鸡」「真功夫」があるぐらい。2週間で食に関しては飽きた。


大きめのスーパーが二つ、出来たばかりの天虹百貨、日本人(船井電機駐在員)の憩いの場「老树咖啡」などがあったのは救いだった。特に老树咖啡にはお世話になった。食べ物もおいしいし、何といっても当時コーヒー飲む人が一部の金持ちを除いて殆どいなかった中国で、おいしいコーヒーが飲めたのはNO COFFEE, NO LIFEな私にとっては貴重なライフラインだった。

毎日ひったくり、放火、殺人は当たり前

私が住んでいたマンションの対面には、大きなマンションが建っていた。そこには多数の四川人が住んでいた。当時、四川人のイメージと言うと「ばくち打ち」か「クソまじめな人」の2種類しかいないというイメージで、真面目な人はほんとに真面目に仕事するんだけど、そうじゃない人は自分の恋人や妻をKTVや売春宿で働かせ、自分は毎日博打に興じている感じであった。

対面のマンションは、まさにそのような後者の四川人が多く。毎日何かしらのトラブルがあり、夜中に断末魔の叫び声が聞こえたり、殴り合いの喧嘩、包丁持った女性が男を追いかけまわす等、夜中はまともに寝ることすら難しかった。

朝起きてベランダに出ると、死体が道端にあったり、多数の公安が現場を封鎖してたりしたとこともあった。毎日夜12時を過ぎると、「夜場」(キャバ、スナック)や「売春宿」から返ってきた女性がTVをつけてクソデカイ音で流しながら料理をしていたり(包丁で何かを切っている音がものすごい聞こえてくる)、夫婦で喧嘩を始めたり、まあとにかく賑やかだった。

このような異常な環境でも1か月もいると、不思議にも慣れてくるから人間とはおかしな生き物だと思った。

毎日停電は当たり前

年中ではないが、よく停電した。特に夏場に入った瞬間気温が異常に上昇するので、鎮中の世帯がクーラーを点けることで電力が一時的に足りなくなり、一瞬で停電した。(冬場も然り。暑いというイメージがある広東だが、冬場は寒いと10℃を下回ることもある)

停電すると、すぐには復旧しないことから、数時間サウナ状態になり、皆が外に出て日陰で涼を取る光景が当たり前であった。

そして、涼みながら現地の広東人が揃って「电力局」に携帯で電話をかけ、「你哋有冇搞错啊,叼你老母!」「仆街!去死呀你哋!!」等と罵声を浴びせ続ける為、電力会社(国営)の人はその対応だけで自殺したくなるほどだったらしい…

工場の場合自家発電機を持っているところが多かったので、大部分での停電は避けられていたが、スーパーなどは悲惨であった。アイスクリームは液体と化し、生鮮食品は酷い場合腐ってしまうこともあった。

鎮政府が、工場を誘致するために大規模場優遇政策を展開して、鎮への収入が増えたもの、電力が全く追いついておらず、鎮は常に停電のリスクに晒されていた。

娯楽がない

これは田舎だから仕方ない。私は毎日朝5時に起きて、当時の妻と公園でバドミントンをすることで、身体の健康管理を行っていた。ローカルKTV等もあったが、お化け屋敷だということは聞いたことがあるw

電動自転車で公道走ったら公安にパクられた話

当時東莞ではまだ電動自転車が蘇州のような江蘇省の街程普及していなかった。しかも、販売されているのは見た目バイクなものばかりなので、ナンバープレートが付いてないものだから、バイクと勘違いされて取り締まられることが多々あった。

普段公道で公安に出くわしたとき私は道を変えて回避したものだが、その日は何を思ったのか何知らぬ顔でその検問を突破しようと試みたのである。

案の定止められた。なんだなんだと日本語で話をしていたら、無理やり自転車から引きずり降ろされた(笑)

「さんーふぁんじん!」(身分証見せろ!)

「身分証なんかねーよ、俺外人だし」(日本語)

「でぃう〜!!!」(FXXK!!!)

公安の奴らは私の電動自転車を蹴っ飛ばし、私を車に押し込み派出所まで連行した。そして待合室みたいなところのソファーの取っ手と一緒に手に手錠をかけられてしまった(笑)

「ま、まじかwww」

普通焦るところなのだがこのシチュエーションをおもろいと思って笑ってしまう自分であった(今思えば若気の至りである)。とは言え、電話も没収されそうな勢いなので、会社にすぐに電話して「警察に捕まって派出所にいるから助けに来て!」と悲痛な叫びを訴えると、電話の向こうはどっ!と笑いの渦が起こっていた(笑)

会社の人間が来る間「满嘴粗话」な公安おやじに汚い言葉を浴びせられ続けてむかついたので「でぃう〜れいろうもう!!」(Motherfxxxer)で反撃すると、相手は更にヒートアップしてきた(笑)口喧嘩が始まって少し経った後、やっと会社の人事の人間がやってきた。

人事「KENさん、なにしてんすか?」

私「いや、電動自転車で公道走ってただけだよ。何だよこいつら、ったく。でぃう〜」

人事「駄目ですよ、でぃう〜とか言っちゃあw」

会社の人間が一通り説明してくれて、この会社の職員であることは理解したが、私を外人だと信じない公安達。彼らのつく悪態に、悪態をつき返してくるやつが外人なわけないと(笑)

結局、当時の妻に電話をしパスポートを持ってきてもらい、公安に見せた。

「んはいやまー〜!?」(嘘だろ〜!?)

「れいはいんむはいいーまんあ?」(お前中国人で日本に移民した人間だろ?)

とパスポートを見せても信じないので、関西弁で「こんっ、だぼっ!何回言わせるんじゃ、ぼけぇぇぇっ!俺は関西人やゆーとるやろがぁぁぁぁぁっ!!!」と叫ぶと、彼らは圧倒されたのか「お、おう……」的な反応で疑うのをやっとやめた。

そっからは、公安達はやたらぺこぺこし始めた。ご丁寧にBMWで私を自宅まで送り届け、電動自転車も綺麗にして返してくれた。皆頭を下げて「んほーいーしー」(申し訳ない)を連発し去っていった。

当時、東莞でも電動自転車で公道(国道、県道みたいなもの)を走ることを禁止とする条例が発令されたばかりだったみたいで(しかもプレ施行みたいな期間中)、今後は注意するように言われた。私はそれ以来電動自転車に乗るのをやめて、自転車通勤することにしたのであった。

しかし、警察に手錠をはめられた経験は後にも先にもこの件が最初で最後である(笑)

本社に居場所のない日本人達

私が当時いた会社に日本人が5、6人いたと記憶しているが、いずれも本社でお払い箱になった人間ばかりで、この鎮で会社員生活の最後を迎えるような人達しかいなかった

毎日垂れ流す不良品、客先からの重大クレーム、コスト・問題意識のない管理職、サプライヤーからディベートをもらうことで生計を立てる購買課長、そしてただ毎日オフィスで座って新聞を読んでいるだけの老人達。

会社全体の改善を図るべきと訴えた私の提案書は、誰も真面目に読んでくれずゴミ箱行きとなっていた。仕方ないので、日本本社にEMSでこの改善書案を送り付けた(笑)

返事は期待していなかったが、本社のお偉いさんの目に留まり、えらい褒められた。工場の改善について、KENに仕事をまかせろとすぐに鎮の駐在員達へ指令が下った。

だが、彼らは何もしなかった、動かなかった。問題意識はあるものの、定年まで変な事したくない、このままゆっくりと残り少ない会社の余生を過ごしたいと考えているのだろうか、全くやる気のない人達であった。

そのくせ、各自何故かおねーちゃんを囲っており、毎晩夜な夜な出かけては朝一工場に帰ってくる始末である。何しとんねん。

この環境にうんざりした私は辞職を決意し、転職活動を始めた。その中で、他鎮であるフェニックスヒルなどにも面接に行った。10社ほど面接を受けたが、ここに入りたい!という会社が一つもなく、労働ビザも取得してくれない条件の会社しかなかった為、私は一旦中国で働くことをあきらめ、日本に帰り就職活動を行うことにしたのであった。


半年ほどしかいなかったが、鎮生活はその後の人生に大きく影響を与えるものであり、良い経験をさせてもらったと思う。二度と住みたないけど。


それが魔都、鎮。

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