金剣ミクソロジー⑧北海紀行-②
Fate/Zero二次創作です
注意点
※アルトリアとギルガメッシュが第二次聖杯戦争の後も現界してるif設定
※ギルガメッシュの求婚にアルトリアさんが応えて、二人が夫婦という金剣ドリームです
※FGO未プレイ勢です
※この話のギルガメッシュはキャスターですが、FGOに登場するキャスター・ギルとは別人です。あくまで『Fate/Zero』のギルガメッシュがキャスターだったら、という想定です
※ギルガメッシュはアラブの石油王、アルトリアさんはイギリス随一の実業家&馬主(not JRA)に成り上がっています
※このエピソードは2008年前後が舞台です
※アルトリアさんの結婚指輪はわけあって右手に嵌めています
※トップイラストは大清水さち https://x.com/sachishimizu さんに描いていただきました
↓直前の話
↓今までのまとめ
部屋に帰るなり、アルトリアがギルガメッシュに殴りかかった。だがギルガメッシュも予測していたので軽やかに避ける。さらりとジャケットをコート掛けにかける。アルトリアは空振りした拳の勢いを利用してギルガメッシュの前にとんと飛んだ。
「貴様という男はっ! 公衆の面前であのような真似を! 恥ずかしいにもほどがある!」
叫ぶアルトリアにギルガメッシュはにこっと笑う。
「そなた、よい顔をしておったぞ。美しかったわ」
「ばか者!」
かんかんのアルトリアが蹴り上げようとするのを、またふわりと避ける。そして彼はアルトリアの頬に手を触れさせた。ついと顔を寄せると視線がぶつかる。彼女は口を噤んで睨み上げる。
だが、その唇が淡く開いた。
ギルガメッシュは優しく軽く口づけする。
「ん……」
アルトリアは抵抗しなかった。彼女の手から小さな金のバッグが落ちる。軽々とギルガメッシュはアルトリアを抱き上げる。
「さあ、このままベッドへ行くとしようか?」
微笑むギルガメッシュから顔を逸らすようにアルトリアが慌てはじめた。
「……シャワーも浴びておらぬし、それから、ああ、着替えたいぞ。この服をダメにしたくない」
「許す。好きにせよ」
ギルガメッシュがアルトリアを下ろしてやると、彼女は小鳥のようにリビングに駆けこんだ。だが小一時間もしないうちに腕の中に戻ってくることが分かっている。ギルガメッシュもゆったりとスーツを脱ぎながら、部屋の中を意識で撫でる。
今回は魔術戦込みの旅行なのだ。
術を破壊したときに分かったが、あの青年は見た目通りの歳ではないだろう。当然、彼が述べた経歴も全て嘘だと思った方がいい。彼が魔術的な方法で介入してくる可能性を忘れてはならない。
アルトリアは夜ごと半神たるギルガメッシュの精を受けること百年を越え、彼女自身の魂の在り方もあって、女神のごとき属性を身につけているが、魔術の知識はほとんどない。彼女が知らず、毒牙にかかるようなことだけはあってはならない。
ギルガメッシュの詳細な走査に引っかかるものは何もなかった。
妙だな……
ギルガメッシュもジャケットとヴェストを脱ぎ、どかっとソファに腰掛ける。
彼の経験上、魔術師という生きものは、どこかで自分の力をひけらかさずにはいられない。おまけに用心深さに欠けるところがある。超常の力を頼むがゆえに常識的な警戒心がないのであった。
仕掛けてくると思ったが。
もしや、あの青年、何か別の目的があるのか。
魔術合戦で返り討ちに遭いたいというわけではないのか。
目を伏せて考えるギルガメッシュの前にシャワーを浴びたアルトリアが戻ってきた。備えつけのタオルローブを着て髪を拭いている。
「ギル、終わった。待たせたな」
「我も入る」
「ああ、待っている」
「誰か来ても出る必要はないぞ」
ギルガメッシュの言いつけに一瞬、アルトリアは訝る表情を見せた。その後で自分がローブだけなのに気づき、顔を赤くして頷いた。
「そうだな。誰か誘いに来ても、明日にしてもらおう」
「明日はエストニアだそうだぞ」
「タリンは好きだ。楽しみにしていた」
花がこぼれるようなアルトリアの笑顔を見ると、ギルガメッシュは幸福感に包まれる。
「左様か」
あちらの出方を待つとしようか。
ギルガメッシュは受けて立つと決めたのだ。彼がどれほどの魔術師か、あるいは別の何かなのか、見極めてやろうではないか。
ヘルシンキから対岸のエストニアの首都タリンまでは、わずか一時間半の船旅だ。ノーザンクロス号は客たちがバーでグラスを傾ける間、あるいはナイトクラブでショーを見ている間に接岸を終えていた。
タリンはもともとハンザ同盟都市だけあって、港と中心部のアクセスがすこぶる良い。中世そのままの街並み、造りを残しており、どこでも歩いて見学できるのが強みだ。アルトリアとギルガメッシュも下船して、街に散歩に行くことにした。
「ギル、貴方は暖かくした方がよい。今年は冷夏だそうだし、確かに少し肌寒いから」
ギルガメッシュはアルトリアが着せる白いダウンコート、赤いカシミアのマフラーを口元までくるくる巻き、サングラスをする。耳元にはピアスタイプの小さな金のイヤリングが輝いていたが、かえって服装とは不釣り合いであった。足元もベルルッティの美しいワインレッドの靴を履いていたが、人目には白いコートが目立つのだ。
対してアルトリアは軽装だった。
お気に入りのイングリッシュ・グリーンのウィンドブレーカーに昨日買ったプリントのワンピースを合わせている。黒と白の幾何学的な模様で、いかにも北欧的なデザインだ。淡いグレイのストッキングに爪先の開いた夏らしい黒いパンプスを履いている。複雑に細いバンドが足に巻きつくデザインは、ギルガメッシュの知るエラムのサンダルを思わせる。
アルトリアは身支度がすむと、またギルガメッシュの手をぎゅっと握った。
「私と手を離すのではないぞ。貴方はすぐに手が冷えてしまうのだから」
「相分かった」
無表情に答えるギルガメッシュだが、内心、天にも昇る気持ちだった。愛しい妻と手を繋いで街を歩くなぞ、日本では想像したこともない。奥手のアルトリアが自分から手をとってくれるというのは望外の幸福だった。
「行くぞ」
「ああ」
ギルガメッシュは先導される子供のように、アルトリアに手を引かれて甲板に降りた。はしけのある甲板に出ると風が冷たかった。バルト海でも夏はそれほど寒くないものだが、その日は曇りがちで、気温が上がらない。最高気温は22度との話だった。アルトリアの言う通りにして正解のようだ。周囲もジャケットやブルゾンを着こんでいる人が多かった。
そこでギルガメッシュは妙に人に見られていることに気づいた。
手を引くアルトリアを見たり、自分を見たりしている。
実のところ、ギルガメッシュは介護されていると思われていた。夏だというのにコートを着て、歩くときも遙かに小柄な少女に手を引かれている。それは、はっきりと言えば『少し足りない』人か、何か普通と違う不自由をかかえているようにしか見えなかったのである。
人々は健気に世話を焼くアルトリアを、憐れみをもって見つめていたのであった。
そうとは知らないギルガメッシュは、はしけを渡る順番を待つ間、アルトリアと手を繋いで無言だった。
「大丈夫か、寒くないか」
ギルガメッシュは頷いただけだ。サングラスは絶妙の透過でアルトリアの顔をはっきり見せてくれる。それで充分だったのだ。
はしけを渡るときも背高のっぽのギルガメッシュは、アルトリアに手を引っ張られるようにして、たったと降りた。船から降りると、風が弱まり、ギルガメッシュはマフラーを少しずらした。
「街はあちらだ。行こう」
「任せる」
アルトリアは以前にもタリンに来たことがある。馬主たちの付き合いで誘われて、バルト海周遊旅行をしたことがあったのだ。
「タリンはよい街だ。ブルターニュとは別の意味で、貴方に私が育った環境を理解してもらえると思う」
「左様か」
「もちろん全く同じというわけではない。違うところもたくさんある。だが、私にとって懐かしい感じのする街なのだ。貴方にずっと見せたかった」
ははあ。ギルガメッシュはマフラーの下でにやにやする。
彼女が反対しながらクルーズに参加したのは、つまり我とこの街でデートしたかったからなのだな。
自信過剰な英雄王の頭には、こういった発想がよく浮かぶ。
アルトリア自身は言った以上の意味など込めていないが、ギルガメッシュは勝手に思い入れを増やして一人悦に入るのが常であった。
ふとっちょマルガレーテと呼ばれる十五世紀からの税関を見て、城壁に囲まれた市街に入る。城壁内は往時の繁栄を映して古い教会が多くあり、旧市街の目抜き通りピック通りの裏にあるオレヴィステ教会の登楼は124mの高さを誇る。後のバロック建築へと移行していく曙光だ。
そこから街を見下ろすと、この古い街がいかに中世の面影を残しているか、よく分かる。
「キャメロットもこのような城壁を持っていた。貴方の街の方が近いのかもしれない。どうだろう」
「そうだな。だがウルクの方が大きかったぞ。壁も高かった」
「全く貴方の治世は驚くことばかりだな。そして街の中心に市場や教会があるというのも同じなのだから」
アルトリアのウィンドブレーカーの裾がバルト海の風にはためく。ギルガメッシュはマフラーを少し引き上げる。アルトリアは窓枠に手をかけて乗りだすように遠くを見た。
「海があって、街があって、港があって、私がいた頃のペロス・ギレックやロスコフのようだ」
彼女はブルターニュの古い地名をあげて懐かしがる。
「そうか」
ギルガメッシュも小さな街をじいっと見つめた。それほどアルトリアが好きな街なら、ギルガメッシュにとっても、ここは意味ある場所になる。
二人は小さな街をゆっくり散策した。
古い石造りの小さな建物、ハンザ同盟らしい柔らかい色彩のドイツ式の家、あるいは現代風にリノベーションされたお洒落な店。エストニアは細かい模様を編み入れたニットが名産で、アルトリアとギルガメッシュは冬に着るセーターなどを買い求めた。矢羽根の模様が多くあって、これはアルトリアが好きな模様だった。
「お嬢さんには紺色が似合うわよ。これがいいわ。サイズも合ってるはずよ」
市はニットを編んだ婦人が直接売っていることもあり、交渉次第では安く買えたり、時間が許せばオーダーなども可能だった。
差し出されたセーターをアルトリアが胸にあててみる。
「どうだ、ギル」
「ああ」
ギルガメッシュがサングラスをちらりと上げてウィンクすると、セーター売りの御婦人が目を丸くして見上げた。ちょっと頭が足りないと思っていたのに、ちらりとサングラスとマフラーの間に覗いた美貌は目も覚めるほどで、
「よく似合う。そなた、庭仕事の時の服を買うと申しておらなんだか」
その話し方は足りないどころか、声の響きだけでも頭の切れる人物だと知れた。ぽかんとする老婦人にアルトリアが声をかける。
「それから丸首のヴェストもあると嬉しいのだが」
「色目の御希望は? 模様でもいいけれど」
婦人のもとからアルトリアはセーターと緑に梟柄の入ったヴェストを買い求めた。ギルガメッシュは生成にもともと茶色い山羊の毛を編みこんだ大きめのセーターを選んだ。鹿の柄で彼にとっては縁起のよいものだ。
セーターの袋を下げて、二人はレストランに入った。アルトリアおすすめの店で中世風の料理が食べられるという。
「そなたの国の料理というわけではあるまいが、ああ、その。大丈夫なのか」
ギルガメッシュが眉をひそめる。それも無理からぬことで、アルトリアが話す中世の食事事情は、豊かなシュメルで美食の限りを尽くした英雄王には、とうてい受け入れられない類のものだったからだ。
「心配は要らない。最近流行りの中世レストランだから、ちゃんと食べられるものが出てくるし、美味かったのだ。貴方も食べられるから安心してほしい」
「そうか」
旧市街の目抜き通りにある店で、見た目は普通のレストランだった。しかし中に入ると照明は抑え気味で、椅子とテーブルは木で作られている。カトラリーは流石に現代的なものがセットされていたが、椅子はクッションもなく、壁にはタペストリーが飾られ、中世の雰囲気が満載だ。
「いらっしゃいませ」
「二人で頼む」
「当店はお食事メニューのみになっております。宜しいですか」
「望むところだ」
アルトリアが先に立って席に案内される。ギルガメッシュとアルトリアは店の中ほどの少し暖かいテーブルに落ち着いた。
「こちらがメニューです」
ギルガメッシュがマフラーを外し、コートの襟元をくつろげる。サングラスをシャツのポケットに押しこむと、給仕の娘がメニューを差し出したまま、茫然とギルガメッシュを見つめていた。
「御苦労」
ギルガメッシュがメニューをとると、娘はぴょこんと会釈した。
「飲みものは何を」
「エールを二つ」
「かしこまりましたっ」
アルトリアが注文したのは店で一番人気のビールで、中世風に蜂蜜とスパイスを入れた黒ビールだ。
「甘くて美味い。貴方にとっても懐かしい味のはずだ」
「ほう」
ヨーロッパを覆う中世ブームはとどまるところを知らない。このような中世風のレストランは増えつづけている。これが二人にとって悪い話ではなかった。本当の中世よりずっと清潔で安全で、しかも美味なのに、懐かしいものが食べられるのだった。
木のテーブルに手吹きガラスの不格好なジョッキが二つ、どんと置かれた。
「中世エールでごさいます」
「ありがとう」
二人はそれぞれジョッキを持つと、こつんと当てて中世風に乾杯した。
「旅の幸いを祈って」
「そなたの美しさに懸けて」
ギルガメッシュの憚らぬ物言いにアルトリアが頬を赤くする。ごまかすように、ぐいとジョッキを煽ってみせた。
ギルガメッシュも一口含んで、ため息をついた。
甘くもったりとした味わいは懐かしいものだった。まさに麦酒の味わいといっても差し支えない。コリアンダーやシナモンが入っているところも気に入った。
「どうだ、ギル」
「これはいい」
「だろう? さあ、何を頼む」
「ふむ。そなたの勧めはどれだ」
「前に来たときに頼んだのは、饗宴の煮込みだ。ドイツ風の料理だった。ザウアークラウトやマッシュポテトがついていたから」
中世風であって、リアル中世ではないことが分かる。もしそうならマッシュポテトはありえない。二人は羊の煮込みとアラビア牛のステーキを頼んだ。中世の昔なら、こういった饗宴の料理に野菜は存在しなかった。しかし現代風にたっぷりと野菜がついてきた。
羊の煮込みは馬鈴薯や玉葱と煮込んであり、新鮮なサワークリームをたっぷりかけて食べる。アラビア牛のステーキは店の人が切り分けてくれたので、食べやすかった。こちらにもクリームたっぷりのマッシュポテトがついてきた。それから二人分の黒パン。表面が黒くなるほど焼けており、香ばしいライ麦の香りがする。
「なんでも、この辺りではジャガイモが主食なのだそうだ」
「さにあらん」
黒パンをちぎってギルガメッシュが羊の煮込みにひたして口に運ぶ。
「どうだ」
アルトリアが目を輝かせて覗きこむ。ギルガメッシュはおっとり頷いた。
「よい味だ。焼きしめたパンの香りがよい。羊も悪くない」
二人はそれぞれステーキと煮込みを取り分ける。結構な量があったが、アルトリアは大食漢。けろりと完食した。
午後には船が出航する。二人は名残惜しく、ギリギリまで街を歩き回った。薬局のある広場の風情を楽しみ、あるいは芸術家たちの集うアトリエを覗く。彼らは最後に、はしけを渡って自室に戻った。
その日の夕方前に船は出航した。次の寄港地はラトビアのリガ。ゆっくり半日ほどのクルーズになる。タリンからリガへの航路は大半がリガ湾の内海を通るので、波が穏やかでほとんど揺れない。
下層の甲板を見下ろすと多くの人で賑わっていたが、アルトリアたちのいる上層甲板では人影が少ない。船内で優雅に午後のお茶を嗜む人が多く、観覧用のガラス窓の向こうは賑わっていた。
ギルガメッシュとアルトリアはタリンを離れがたく、出航の時を見守った。
白いコートで背高のっぽのギルガメッシュがぽつんと目立つ。彼が妙に姿勢がよいので、細長い雪だるまのようだ。アルトリアは彼の手をぎゅっと握って離さない。ギルガメッシュの胸が高鳴る。
「また来よう。次は、あの街に泊まってみようではないか」
「貴方さえ大丈夫だったら、クリスマスの時期に来てみたいものだ。さぞかし賑やかで、街は美しくなっているだろう」
「……」
最初はよかったのだ。甲板に出たときは。しかし次第に船が速度を上げ、心地よいバルト海の風に吹かれはじめると、ギルガメッシュは身も引き締まる思いであった。アルトリアは目を凝らすように手摺りにもたれて乗りだしている。彼女のウィンドブレーカーの裾がゆったりはためく。柔らかな金髪も風にちらちら煌めいている。
そう。
意外と船の上は風が強かったのである。ギルガメッシュの肌が服の下で鳥肌を立てる。
周囲をさりげなく見回すと、こちらに歩いてくる人影がある。
「こんにちは」
「Эдравствйте」
昨夜、同席した魔術師の若者だ。アルトリアは彼が魔術師だとは気づいていない。ギルガメッシュはぱりんと魔術の感度を上げる。彼はギルガメッシュの隣にやってくると手を差し出した。
「ロシア語もお話しになるのですか」
彼の顔に敵意は感じられない。だが見た目に敵意がないからといって、その目的にまで敵意が含まれないとは限らないし、そもそも彼の目的は未だに判明していない。
ギルガメッシュはごく普通に返すだけにした。あっさりと軽く握手する。
「少しだけ」
「昨日は何も申しませんで失礼しました。ぼくはジーマ・エフゲニイェヴィッチ。どうぞ宜しく」
「我の名は知っているのだろう」
どちらも術を仕掛けることはなく、アルトリアは何も気づかなかった。
「ギル・スミスさんと奥様ですね」
「ああ」
アルトリアが微かに微笑んだ。知らない人に向ける笑顔が『アーサー王』であったときと変わらないことに彼女は気づいていないだろう。理想的な微笑みは特別な感情を全く表に出さないが、ゆえに誰でも好感を抱くものものだった。
ジーマは穏やかに会釈して海を見やった。
「お二人はイギリスの方とお聞きしましたが」
「我はイラクの出身だ」
ギルガメッシュの返答は昔から一貫していた。彼は故郷を偽ったことがない。現代生活を営む上で、魔術で偽造したイギリスのパスポートを使用するが、ギルガメッシュ自身は今も自分がシュメルの人間だと思う。
「ではISの活動が気になるのではないですか」
突然の話題にギルガメッシュは眉をひそめた。昨日は魔術師として仕掛けるような顔をしたくせに、これはまるで外交上の探りを入れているとしか思えぬぞ。口元を歪めるようにしてギルガメッシュは肩をすくめた。
「我の出身地は南部だ。今のところは静観している」
仮に、英国情報部に聞かれたとしても、ギルガメッシュの答えは変わらなかっただろう。細部に至るまで計算しつつ、一貫性を失わないのがギルガメッシュの恐ろしさだった。叩いても埃は出ないし、論拠の崩れるところがないからだ。
「彼らが南下したら怖くないですか」
「そんなことには、ならないだろう」
ギルガメッシュは知っている。ISという絡繰りが、どのように動いているか。あれがテロリストだと思う輩はそう思えばいい。確かに組織の中にはテロリストがいる。だが、それは機能上、伴うものに過ぎない。
あれの本質は大英帝国が粛々と進めるディズレイリ・プランを具体化させるための装置。
少なくとも今は、欧州に溢れかえる中東移民を減らすために機能しており、EUとロシアの天秤ばかりの一つになっている。
欧州が頼る二つのエネルギー──中東の石油とロシアの天然ガス──そのうち一つはギルガメッシュも関わる要素だ。中東の石油は大きく二つの積み出し口を持っている。一つはペルシア湾岸タンカールート。そしてもう一つがシリアを経由する地中海直結の石油パイプラインだ。欧州はパイプラインに依存してきた。ロシアが欧州への影響力を高めるには、シリアのパイプラインを稼働できない状態に保つ必要がある。だからロシアは頼まれもしないのにシリア内戦への過剰な介入を続けている。
ギルガメッシュが所有する油田はどちらかというと湾岸ルートへの供給が多く、こういった政治ゲームの影響は大きくない。
ギルガメッシュは頭の中でさっと地図を描いて肩をすくめる。
「奴腹めらが某かでも我が領内で事を起こせば、そのときはロシア・ルーブルも影響を受けるほどの経済的なパニックが起こるであろうな」
薄く笑うギルガメッシュにジーマが瞬きした。
「そんなことが起こるでしょうか」
「世間の人々は不安に敏感なものだ」
アルトリアが聞き耳を立てているのが分かる。彼女は経済的な話は苦手だ。馬鹿げたマネー・ゲームも好きではない。だがアルトリアの王としての本質はそこではない。彼女は海を通じて国境を接する多くの敵と渡りあってきた。彼女が辣腕を振るうのは、まず力と力のぶつけあいたる戦闘だとしても、次は外交だったのだ。
「奥様は、どうお考えですか」
おや。
二人はちらりと視線をかわす。こういった『ややこしい話』をギルガメッシュとしたがる人物はアルトリアを無視していることが多い。
アルトリアは抑えた声で──それは聖杯戦争の時の彼女を思い出させた──端的に言った。
「我がブリテンはいささかも恐れるところはない。連中にできることは限られている」
「奥様は欧州の介入に賛成ですか」
「それは難しい問題だ。彼らのかかえている危険を認識していない人々も多かろうし、多くの難民が出始めた。事を放っておいていいという道理はなかろう。誰がするかという問題はあるにせよ」
この答えはギルガメッシュが入れ知恵したものではない。彼女自身の判断だ。
ギルガメッシュは口元に薄く笑みを掃く。自慢の妻が面倒な国際状況をよく把握していることが分かっている。メディアの言うことを鵜呑みにしていたら、『誰が』という一点には思いが至りにくいからだ。
実際、アルトリアは難民が出すぎると問題がかえって大きくなると感じていた。それにロシアの仕掛けているオイル・ゲームはスエズ運河を所有するイギリスにとって大きな問題にはならない。パイプラインが使えない分、スエズを航行する船が増え、運河の管理会社の株を持つギルガメッシュは大きな収益を得ていた。むしろ、事がこじれてしまったシリア内戦を誰が取り仕切るのか、という方が大問題だと考えていた。自ら剣を執って戦った王ゆえに、責任の所在には敏感だ。
「あのような戦ごとの後始末は、双方の信頼に足る国が仲介しないかぎり、安定した結果には繋がらない。関係者全てが納得しうる解決策はなかろうから、誰が仲介しうるかが最大の問題であろう」
ジーマが驚いたように目をぱちくりさせた。
「奥様はお若いのに、ずいぶんと明確な政治認識をお持ちなのですね。そういった関係の方なのですか」
「私はブリテンの」
王だと言いかけてアルトリアの唇が止まる。ギルガメッシュは苦笑をかみ砕くのに苦労しなければならなかった。
「ブリテンの、一市民として。そう。ブックメーカーが好きなのだ。それだけだ」
これはアルトリアがよく使う言い訳の一つだった。金を賭けているから、人より真剣なだけというスタイルだ。本当にそういう場合もあったりするから、完全な嘘というわけではない。
「ああ、イギリスは何でも賭けの対象にできるんですよね。何か賭けていらっしゃる?」
アルトリアは胸を張った。
「もちろんだ。今年のプレミアは大穴がくる予感がするぞ。だから慎重に見極めてから懸けようと思う」
「大穴かあ。思ってもみないことが起きるってことですか」
ジーマの答えはアルトリアには正確に伝わっていなかった。ギルガメッシュは、ジーマがアルトリアの純真な答えを深読みして嵌っていくのが面白かった。
「そうだ。時にはそういうことがある。例えばウェールズがワールドカップに出るとか、ノーシードの選手が次のUSオープンで優勝するとか、そんなことだ」
ギルガメッシュは、アルトリアが何の他意もなく、純粋に聞かれたことに答えているだけだと分かっている。
しかしジーマは、そこに意味があると思って混乱しだした。
「もしかして奥様は局面に現れていない組織が事を左右するとお考えなので?」
「そうだな。プレミアというものは、いつも始まってみないと分からないものだ。そこがいい」
にっこり笑うアルトリアにジーマはぽかんと毒気を抜かれたようだった。
少し可哀想になってギルガメッシュは助け船を出してやった。アルトリアの物言いが痛快だったので、少しは釣りを払ってやってもよかろう。
「チームを飛び出す選手もあろうから、よけいに分からぬということだ」
「ああ、はい。そうか」
どうやらジーマは、ギルガメッシュの言葉の意味が正確に理解できなかったようだ。だが、それもいいではないか。
ギルガメッシュは肩をすくめた。
「我らは船室に戻る。行くがよい」
「では。失礼します」
素直に甲板を歩き去るジーマはすっかり毒気を抜かれ、当初の目的を放棄したようであった。
彼の姿が見えなくなると、アルトリアがぎゅっとギルガメッシュの手を握った。
「やっぱり! すっかり冷えておるではないか!」
「あ、ああ」
ギルガメッシュは両手で小さく熱いアルトリアの手をぎゅっと握った。
「わあ」
冷たさに悲鳴をあげるアルトリアが可愛らしい。彼女はぐいとギルガメッシュの手を引くと、ずんずん歩き出した。
「まずは船内に戻ろう。従者に頼んで手湯を使わせてもらおう。香りは貴方の好きなイランイランがいい」
「それはいいな」
引っ張られながらアルトリアに覆いかぶさるようにしてギルガメッシュはついていく。それは、まるでおんぶお化けのような……白いコートがとにかく彼の行動を奇妙に見せてしまうのだった。
船はその日の夜中にリガに到着していた。朝から観光客は街へとくり出す。朝のはしけが混んでいることは分かっていたので、二人はゆっくりと船内で食事した。
一般フロアの朝食は中階層の大きなレストランのビュッフェだ。席は充分用意されているが、手狭で混雑する。対してプレジデンシャル・フロアの朝食はウェルカム・パーティの行われた広いレストランでアラカルトで提供される。メニューは多様でパンに合わせた一般的なメニューと和食、ベジタリアン・メニューに分かれている。メニューになくとも材料の工面がつけば、たいていのものは作ってくれた。
二人はプレジデンシャル・フロアの中でもさらに上客であったから、いつも窓辺の眺めがよく、陽当たりのよい席に案内された。真っ白なレースつきの麻のクロスが敷かれたテーブルにはクリストフルの銀器があり、シンプルな白い食器がセットされている。
アルトリアはメニューを広げてギルガメッシュを覗きこむ。
「決まったか」
「今日も昼は中世風の料理を食すのであろう」
「そのつもりだ。今日の店も保証するぞ。私が行った場所だから」
「では軽くすませるとしよう。オーダー!」
ギルガメッシュが軽く手を挙げる。
すると、すぐに給仕の青年が飛んできた。
「苔桃のジュースとポーチドエッグのワッフル、紅茶でよい」
フロアから出ないと分かっているときのギルガメッシュは非常に洗練されていた。夏向きの茶色い麻のスーツに生成の麻のシャツ、首元には細い金の意匠を凝らした鎖が何本かかかり、耳元にも金のイヤリングをしている。足元は美しく磨かれたベルルッティのストレートチップ。それもほんのりとワインレッドを含ませたシェンナの靴は華やかで人目を惹く。サングラスは相変わらずだが、外を歩くときの白いヒヨコのような頼りなさ、不審者めいた空気は全くない。
「かしこまりました。マダムは」
給仕の青年はメモをとらない。しかし注文を誤ることはなかった。
「私はサーモンのグリル、コルキャノン添えと洋葱のスープ、ラディッシュと……クラウドベリーのヨーグルト添え。ブルーベリーのジュースを。紅茶も頼む。ミルクを添えて」
「かしこまりました」
この華奢な少女が朝から見せる旺盛な食欲をキャストはどう思っているのだろうか。ギルガメッシュは想像するだけで面白くて堪らない。
すぐにアルトリアの前に、マヨネーズを添えた葉付きのままのラディッシュと洋葱のスープが並べられた。ギルガメッシュの前にパンの籠が置かれ、バターやジャムの瓶を載せた小さな盆がテーブルの真ん中に置かれる。さらに二人の前に紅茶のカップがそれぞれ置かれるや、ポットから湯気の立つ紅茶が注がれた。ポットにはウォーマーをかけて置いていってくれた。ミルクピッチャーは二人用の大きなものだ。
さっそく二人は紅茶にミルクを入れ、朝の一杯を楽しんだ。
「そういえば」
アルトリアがすばやく視線をめぐらせるのが分かった。彼女はレストランの中にジーマがいないのを確認すると、ギルガメッシュに向かって声をひそめた。
「昨日の、あの青年は何者なのだ」
ギルガメッシュはカップを置いて瞬きする。
彼女は目が覚めるようなコバルトブルーのワンピースに白い短いボレロを合わせて初々しい印象だ。ワンピースの丈は短いが、その分しっかりと厚手のタイツを履いて防御している。足元はいつもの白ブーツのままだった。
だが、その顔はいささか訝しげで、警戒が感じられた。
「気づいておったか」
「政治的指向の話なぞ初対面の話題ではないが」
「そんな連中とばかり付き合ってきた気もするがな」
ギルガメッシュが苦笑するのも無理はない。ヴィクトリア時代に成り上がらねばならなかった二人は、いつも危ない橋を渡っていたようなものだ。ただ二人とも生前がそれより危険に満ちていたため、それほど危ないと思えなかっただけだ。
アルトリアは洋葱のスープにパンをひたして首を傾げた。クリーム仕立てのポタージュだ。
「私には昨日のグラスにひびが入っていたようには見えなかったのだ。突然、割れた。私にはそう見えた。違うのか」
目を上げるアルトリアは眩いような気がした。朝の光が彼女には似合う。そしてギルガメッシュは彼女が本来の鋭い戦士の顔を覗かせるのが好きだった。眩い緑がギルガメッシュを射抜いている。
「私の目が衰えたとは思えない。あれは何か、別のことが起こったと感じた」
「ジーマ・エフゲニイェヴィッチは魔術師だ」
ひそめたギルガメッシュの声もアルトリアは聞き逃さない。彼女はラディッシュの葉をちぎって、手を止めた。
「……これはまた。今更というか。ああ」
「なんぞ魔術で仕掛けようというわけではないらしいな」
「時計塔が許すまいから、それはそうだろう」
アルトリアがぼうっとしたまま、ラディッシュをかじる。こちらのラディッシュは瑞々しくて味が濃いので、葉付きのままテーブルに出されるスタイルもある。客はそれぞれ葉をちぎって、蕪にドレッシングやマヨネーズをつけて食べるという次第だ。アルトリアはしばし無言でラディッシュの茎を千切りとっては、紅白の蕪にマヨネーズをつけ、兎のようにカリカリかじった。
ややあって、彼女は緑の瞳を上げた。
「それは分かった。心しておく。だが私には、あの青年が魔術の興味で貴方に近づいたとは思えないのだが」
「それも正しい」
アルトリアの前からスープ皿とラディッシュの茎がこんもり盛られた平皿が下げられる。代わりにサーモンのグリルがそうっと置かれる。ちりちりと焼けたサーモンの下にキャベツ入りのマッシュポテト、アイルランド名物コルキャノンが分厚く敷かれている。アルトリアはサーモンを崩すと、小さなブリオッシュを手にとり、コルキャノンをたっぷり挟むとサーモンの欠片を押しこむ。
それをギルガメッシュに差し出した。
「鮭は頭がよくなるのだ。貴方が彼の問題について考える手助けになろう」
「ふふ。それはよいな」
ブリオッシュを受け取ってギルガメッシュは紅茶にミルクを入れた。
「あの青年はいつもの貴族たちの探りとは少し毛色が違うな」
アルトリアは微かに頷く。
「私に話しかけたので驚いた。まさかとは思うが、貴方ではなく私が目的なのだろうか」
「ならば初日に我の隣にちゃっかり座ることはなかろうや。やはり我に何か聞きたいことか言いたいことがあるのであろうな」
「ロシア人というのは確かだろうか」
「そこまで勘繰っても致し方ないが、ルーブルの暴落には反応したから、それは間違いないだろう」
アルトリアのくれたブリオッシュにかぶりつくと、クリームの甘みをたっぷり含んだコルキャノンとサーモンの香ばしい薫り、バターの芳醇な香りがほろほろと口の中で崩れた。ミルクを入れた紅茶とも合う。
冷静なギルガメッシュにアルトリアはふむと肩をすくめる。彼女は大好きな鮭をあっというまに平らげた。残ったコルキャノンをバターと一緒にパンにこんもりとのせて美味しそうに頬張った。
ギルガメッシュがワッフルの上のポーチドエッグにナイフを入れると、とろりとした黄身が流れでる。日本の半熟よりも固めだが、こちらではこのくらい火が通っていないと危ない。
「やれやれ。あれはロシアの御機嫌伺いと見てよかろうな」
「……そんなつもりで脅していたのか」
アルトリアが憐れむような表情を見せた。彼女は自分の純真な答えこそが、彼を一番困惑させたことに気づいていない。だからギルガメッシュもあえて、それを指摘しようとは思わないのだ。
「まあ、そなたは気楽に話せばよい。そなたに対して他意はなかろう。たぶん、もう一度、彼はやってくる。望んだ答えを得ていないし、我に対して伝えるべき事を伝えていないだろうから」
「やれやれ。私は貴方と二人で、楽しくバルト海を回りたかったのだ。とんだ疫病神だぞ。あれは」
ギルガメッシュが目を見開いたところに、給仕がやってくる。
二人の前から空いた皿が一掃され、甘いデザートの皿が置かれる。ギルガメッシュには砂糖をたっぷり加えた苔桃のジュース、アルトリアには北欧名物クラウドベリーがガラスの小さな鉢にぎっしりと。ヨーグルトは蜂蜜をかけて小さなポットに添えられている。最後にブルーベリーのジュース。ジュースのグラスにはリボンを結んだ可愛らしいストローが差してある。
ギルガメッシュがやにわにグラスをつかむと、アルトリアに向かって軽く掲げた。
「乾杯だ」
「何故。これは酒ではないが」
「いいから。乾杯したい気分なのだ」
アルトリアが自分と二人で、楽しく、旅をするつもりだった!
これはギルガメッシュにとって天の喇叭より荘厳で、天使の声より幸いだった。
アルトリアがブルーベリージュースのグラスを持って小さく頷いた。
「仕方がないな。では、貴方の健康に」
「そなたに幸いあれ!」
ギルガメッシュは満面の笑みでグラスを掲げ、それから大人しくストローでジュースを飲む。リンゴンベリーは北欧特産のベリーで、真っ赤で酸味が強く、ビタミンCが豊富だと人気がある。ギルガメッシュはそもそもストローで何か飲むのに慣れている。彼とあっというまにグラスを干すと、温かい紅茶を注ぎ足した。
金剣ミクソロジー⑧北海紀行-③に続く
公開したらリンクを貼ります
アルトリアさんとギルガメッシュがガチで戦うお話もあります↓
ウェイバーが主役のシリーズもあります
少年のままのウェイバーが頭脳の切れに物を言わせて戦う物語。ほのぼの短編もちょっとあります。もちろんだけど、イスカンダルもずっといます。
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