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Fate/Revenge 4. 聖杯戦争一日目・夜

 二次創作で書いた第三次聖杯戦争ものです。イラストは大清水さち。
※執筆したのは2011~12年。FGO配信前です。
※参照しているのは『Fate/Zero』『Fate/Staynight(アニメ版)』のみです。
※原作と共通で登場するのはアルトリア、ギルガメッシュ、言峰璃正、間桐臓硯(ゾォルゲン・マキリ)です。
※FGOに登場するエンキドゥとメフィストフェレスも出ますが、FGOとは法具なども含めて全く違うので御注意下さい。

    4.聖杯戦争1日目・夜

 ホテル『アドロン』ジュニア・スイート。ランサーと、そのマスターは今日もホテルにこもっていた。
 ランサーは手持ち無沙汰な様子でベッドに寝そべり、新聞をめくる。
『飛行船の優雅な旅、アドリア海周遊。トリエステ案内』
『天才少年のリサイタル大成功、サンソン・フランソワ13歳』
『フランス内政不和、ブルム内閣の危機』
『アメリカ合衆国中立法可決の見通し』
『注目の若手指揮者カラヤン、伯林ベルリンにて公演。ブルックナーの交響曲』
 ランサーにとって、思いがけずやって来た新たな世界は興味深いことでいっぱいだった。聖杯戦争という面白そうな遊びがなければ、ひとめぐり世界を回りたいほどだ。きっと我が友は僕の話に耳傾けて飽きないだろう。見知らぬ世界、見知らぬ人々、ありとあらゆるものを愛でてしまう混沌の王。
 ああ、彼がここにいればと願う。
 せっかく蘇ったというに君がおらぬでは退屈だ。
 ランサーが新たな記事に没頭しようとしたときだった。
「!」
 長椅子で目を閉じていたウォルデグレイヴが息を呑む。
「どうした」
「あ、いや」
 彼は目を閉じたまま、首を傾げた。
 とうとう第三次聖杯戦争が始まった。セイバーとライダーの接触は伯林に集結した魔術師マスター英霊サーヴァントの先陣を切る戦いだ。ほかはじっと息をひそめている。我々のように。
「セイバーとライダーの戦いが始まった。セイバーは長剣を持っているが普段は見えない。ライダーは白鳥に乗っている」
「白鳥!? あんなもの人が乗れる大きさではないぞ。僕の感覚ではもっと大きい」
「確かにでかい。部屋くらいある。あれは宝具だろう」
 宝具とは英霊の持つ特別な道具で、その英霊自身の伝承や能力が具現化したものだ。あるいはアルトリアのように生前に手にしていた愛器がすでに宝具たる神造武装という場合もある。
 ランサーはわくわくと目を輝かせてウォルデグレイヴの語る戦いの様子に耳を傾ける。というか、彼は伯林の街にあっても郊外の戦いを完全に検知していた。使い魔を放ったウォルデグレイヴの情報は補完でしかない。その場にいるかのように戦場を見るサーヴァントとマスター。それは尋常な世界の住人ではない証だった。
「流石に最優のクラスと謳われるセイバーだ。ほとんどのパラメータがAもしくはBランクだ」
「だが僕の感覚ではライダーはそこまでの手練れとは思えぬ」
「そうだ、少し落ちる。なにしろマスターがマスターだからな」
 魔術師マスターたちは聖杯から令呪を授かると、英霊サーヴァント能力値ステータスを量る能力を付与される。これが戦いの指針となるわけだが、サーヴァントのステータスはマスターの魔力量や魔術回路の優劣にも左右される。優れた英霊サーヴァントであっても、呼び出したマスターに相応の力がないと基礎能力値が下がってしまう。
「しかしセイバーは速い。わたしには何をしているのか判らない」
 使い魔を通して見るウォルデグレイヴは武術など体験したこともなく、実戦も見たことはない。あまりにも二人の動きが速すぎて判別できないほどだった。一般人があれを垣間見たとしても、不思議な光の乱舞としか捉えられないだろう。
 だがランサーは違う。彼は手にとるように鮮やかに二人の戦闘を理解できた。
「セイバーの奴は的確にライダーの斧を受け流している。打ち合っているように見えるが、セイバーはほとんどまともに力を受けていない。あれは一朝一夕でできる体捌きではない。年端もいかぬ少女に見えるそうだが、姿に惑わされてはならないようだ。相当の鍛練を積んでいる。それも我が友でもなければ、到底その年では身につくまいよ。おそらく彼女は見た目よりずっと歳をとっている。それに鍛錬ではないな……彼女は実際に多くの人間を殺してきた人間だ。それだけの覇気がある」
 ランサーの言葉にウォルデグレイヴは暗い顔をした。
 だがランサーは戦場の闘気にあてられたように、わくわくと落ち着きがない。外に飛び出したくて仕方のない子供、あるいは猫のように見えた。
「全く、お前の言うことなど聞くのではなかった。セイバーの奴に先を越されたではないか! 緒戦の鼻をとるは名誉なことぞ」
 ランサーがもらすにいたって、ウォルデグレイヴはひやりと背中に冷気を感じた。彼がその気になれば、自分すらも殺してしまうのではないかという恐ろしさが消えない。魔術師マスターを殺せば英霊サーヴァントも終わり。聖杯戦争の鉄則のはずだが、そこには多くの抜け穴があるのも事実で、それをこのランサーは知っている。
 彼の麗しい横顔には戦に駆られる熱があり、それは危険な輝きだった。
 だからウォルデグレイヴは静かに彼を諭しつづける。
「君がその気になれば、一夜のうちに全てのサーヴァントをほふることができるだろう。焦ることはない」
「そうだとも、ウォルデグレイヴ。今から見せてやる」
 慌ててウォルデグレイヴは使い魔との接続を切り、ホテルに意識を戻した。あろうことか、ランサーは外へ飛び出さんとホテルの窓に手をかけていた。
「わああああっ、待て待て待て待て」
 ウォルデグレイヴは悲鳴をあげて革靴をもつれさせ、ランサーの手を鷲掴みにした。そして渾身の力をこめて引きずり返す。ラグビーのタックルの要領でランサーの腹に抱きついた。ランサーはもとより本気ではなかったのかもしれない。体格でまさったことも、あるいは功を奏したかもしれない。彼は非力な魔術師にずるずると引きずられてくれた。
「ウォルデグレイヴ、貴様、もう少し大人かと思っておったぞ」
「それはこっちの台詞だ、ランサー! ここは工房のように便利な空間じゃないんだぞ。ここを昼から見張っている奴がいるというのに勝手に出るな。ライダー以外、誰も動かない理由が判ってるのか」
 自分の腰にしがみつくウォルデグレイヴを、ランサーがけらけら笑って見下ろした。
「だから出ようと言うておるのだ。戦は先手必勝。セイバーはまこと、ついている」
「ここにはわたしの結界が張られている。この中にいる限り安全だし、相手の手の内も探らず出て行くのは自分から不利になるようなものだ」
「それはどうかな、ウォルデグレイヴ。ここも奴の目は届いておる」
 ランサーがにやりと笑ってウォルデグレイヴの手をぴしゃりと打った。
「奴は僕を見続けている。僕も奴を見続けている。だが互いに決め手に欠くのだ。はっきりと捉えられない。それで、この周囲は魔力の吹きだまりのようになり、膠着している。分かるか」
 彼はセーターの手をひらりと伸ばして漂わせる。その手は優雅に舞うように見えた。
「ほら、視線を感じないか。キャスターの目を」
 ウォルデグレイヴは立ち上がり、口を引き結ぶ。彼は微かに俯いた。
「魔術はゆるやかに退化している。わたしたちは、かつての魔術師に比べると微々たる力しか持ってはいない。現在も大魔術師と呼べる人間は、何百年生きているのかも分からないような面子ばかりだ。正直、今回のキャスターは何者なのか、興味が尽きないよ」
 ウォルデグレイヴが腕組みし、ランサーの耳元で低く呟いた。
「どうすれば空気●●を使い魔にできるのか、ご教授願いたいね」
 ランサーが忍び笑った。
「なるほど、それで張りつかれているような感じがするのか」
「理論的には可能だ。四大の一つ風の属性を持ち、完全に五感を空気に広げることができればね。だが、その情報量は人間の脳で処理しきれるものではない。また膨大な大気を制御するには膨大な魔力がいる。それを供給できるほどの魔術回路なんて想像もつかない。術式も壮大すぎる。現界げんかいしたのが、ほんの二、三日前だというのに、そんなことが可能だなんて。いったいどれほどの大魔術師が現れたのか」
 恐ろしく信じがたいことだが、キャスターはほんの二日で伯林の街全体をその掌中に収めたのだった。
 眉をしかめるウォルデグレイヴにランサーがにっこり笑った。
「なんだ。暗殺者アサシンなんぞいなくとも、もっと危険な輩がいるではないか。キャスターとも矛を交えてみたいものだな」
「君は駄目!」
 あまりにもすばやい否定にランサーがきょとんとする。
「キャスターなんて誰かが倒す。君はそれを待てばいい。あるいは最後のデザートにすればいい。とにかく君に向いた獲物から狩っていくべきだ」
「それがライダーだと?」
「違うのか」
 ウォルデグレイヴが試すようにランサーを見つめると、彼は寒気がするほど整った顔で優雅に笑った。
「いや、その通りだ。明日から出るぞ。次は僕を止めさせないからな」
「結構。そのかわり今夜は索敵に時間をさく。いいな」
「はあい」
 子供のように返事をして彼はベッドに寝そべった。きらめく水色の瞳を遠くに据える。今宵はセイバー、ライダーの観戦に費やすと決めたようだった。


 今度は騎士が白鳥の上に立ち、遙か上からセイバーたるアルトリアに斧を振り下ろす。急降下する勢いにアルトリアは剣では防ぎきれないと閃いた。全身を覆う鎧を瞬時にほどく。
 ぶわんっ!
 分厚い風が彼女をとりまき、斧の刃は彼女の背中を擦り抜けていった。
 さらにアルトリアは振り向きざまに剣を横に振り抜いた。
 斬っ……彼女の剣は確かに白鳥の足を断ったのだった。しかし、すぐにそれは復元し、騎士にも白鳥にも何のダメージもない。
 アルトリアはどうすれば騎士に打ち勝てるのか、すぐには思いつかなかった。
「あの白鳥、あれが妙だ。何故、斬れん」
 分かってはいるが、からくりに思い至らない。何事か魔術の仕掛けがあるとしか思えなかった。
 アルトリアは白鳥、そしてその上に立つ騎士に向かって剣を掲げた。その長剣は見えないが、彼女は高らかに腕を上げ、騎士を突き刺すように差していた。白銀の鎧が夜に光る。
「問おう、白鳥の騎士よ! 私は貴公を全く見知らぬ。貴公が私にゆかりある騎士だというなら名乗れ!」
「我が名を問うてはなりません。王よ」
 その直後、アルトリアは彼女自身を王たらしめた最大の能力に救われることになる。
 それは直感──彼女は戦局の展開を、あるいは自身にとって最上の選択を理屈ではなく導くことができる。刹那の戦いの最中、それはいつもアルトリアを救ってきた。そして今も、彼女は何が起こったのか理解するより先に両手で高く愛剣を掲げ、遠く星々に祈っていた。
「『約束された勝利の剣エクスカリバー』!!」
 周囲を圧縮された空気と解放された暴風が吹き荒れる。そして遠く伯林の灯さえも見えるほど一帯が明るくなった。
「わあ……」
 カスパルは清浄な星の光をあびた。その中でアルトリアは聖女のように美しく、戦神のように揺るぎなかった。
 真昼のような光の中で、白鳥と騎士が見えなくなる。
 カスパルはセイバーが勝ったものと思いこんだ。
「セイバー! やったねっ」
「来なさい」
 カスパルの手をアルトリアがつかむ。彼女が猛スピードで走り出したのでカスパルは転びそうになった。アルトリアがぱっと手を離す。彼女はカスパルをきちんと見ていた。
「私の後からついてきなさい!」
 そのときになってカスパルは気づいた。
 なんと白鳥が少し先の草むらに降り立っていた。騎士もいる。あれだけの攻撃を受けて彼らは何のダメージも受けなかったというのだろうか。カスパルには信じられない。
 それはアルトリアも同様だった。
 神と時が鍛えた光の剣で断てないものなど一つもなかった。後悔も未練も、凄絶な過去の全てを、この剣で断ちきり続けてきたのだ。彼女はどんな敵に対しても一度も退くことなく戦い続けてきた。それは全て、この剣が魂となり、彼女とともにあったから。
 いつも正しくあれると信じてきたからだ。
 光で断てぬものとは何だ。
 死した者も生ける者も、この世の全てを断つ剣で、断てぬものとは何なのだ。
 彼女の先で騎士が草むらの中から隠れる女性をエスコートして白鳥に乗せていた。
「待て! ライダー!」
「早く飛んで、わたくしの騎士よ!」
 女の悲鳴があがる。
 アルトリアは構わず白鳥の足に飛びついた。がっしりと足をつかんでぶら下がる。白鳥の背で雌雄を決するつもりだった。
 だがアルトリアも思わぬことが起こった。
「待ってよ、セイバーっ」
 アルトリアの足甲グリーヴががしゃっと鳴った。ドレスの裾がものすごい力で引っ張られる。
「なっ」
 下を見ると、アルトリアの足にカスパルがさらにしがみついていた。
「カスパル、貴方がどうしてっ、早く離しなさい」
「駄目だよお、もう足が地についてないっ」
 アルトリアは唇を噛む。確かについてこいとは言った。だがそれは自分が剣戟を防げる範囲という意味で、こういうつもりではなかった。
 なんと、アルトリアとカスパルは敵対する騎士の宝具にしがみついているだけという、取り返しのつかない危機に陥っていた。
 すぐに騎乗の女性が気づいて奇声をあげた。
「ほら、わたくしの騎士よ、御覧下さりませ。あれが妖女にございます。わたくしに罪を着せようとした恐ろしい魔女でございます」
 アルトリアは状況に似つかわしくない叫びに眉をひそめた。
「エルザよ。あれを滅するのは私の役目。そなたは何も考えぬでよい」
「はい。騎士様」
 実際に騎士たちを率い、騎士王とまで呼ばれるアルトリアが茫然とする会話だった。
 あれがライダーのマスターであるのは確実だ。そうでなければライダーが助けるはずがない。だが、いったい、あの会話は何だ。私が妖女だと。どういう話だ。私はマスターではないぞ。
 女性は大人の顔をしていたが表情が薄気味悪い。夢見る乙女とでも言えばいいだろうか。若い女であるのは確かだが、アルトリアは自分よりずっと幼い少女を見ているような気がした。顔だけ大人で中身が子供になっているような……そう、どことなく正気の沙汰ではないように見える。
 すぐにライダーのマスター、すなわちエヴァ・ブラウンが小さな槍を持って乗りだした。
「落ちろ! 落ちろ、妖女め」
 槍を突き出してアルトリアの手を離させようとする。鎧は指先まで覆っているので、アルトリアに危険はない。女の力も、アルトリアから見れば子供のようなものだった。むしろ、掴まっているカスパルの方が心配だった。
「大丈夫ですか、カスパル」
「駄目だよ、指が痺れてきたっ」
 白鳥はまだ悠々と空高く飛んでいる。もっと高度が低くならないと流石のアルトリアも飛び下りることができない。アルトリア一人ならば霊体化して事態をゼロに戻すこともできたが、カスパルがいては絶対にアルトリアは霊体化できない。
 アルトリアはカスパルの手を左手でつかむ。片手に白鳥の足、片手にマスター、足は地より遠く離れ。全く八方塞がりだ。しかもアルトリアの鎧は右手は剣を操るために五本の指が離れているが、左手は防御を重視してミトンの形になっている。親指は独立しているが、他の四本の指は独立して動かせないのだ。カスパルの手もつかみづらく、カスパルもセイバーの手をつかむのに苦心しているのが分かっていた。麻痺しかけているカスパルの手では長く保たない。
 すでに夜闇が濃く下が見えなくてよかった。カスパルは高さを意識してしまったら、暴れるか、手から力が抜けるかしていただろう。
 だが不幸中の幸いとして白鳥の飛行速度は速かった。
 あっというまに伯林が見えてくる。
 アルトリアの鋭い目が降りられそうな場所を物色する。民家は避けたい。人目につく場所も駄目だ。
 白鳥の上から騎士がいやをはらってアルトリアを伺う。
「我が王よ、この白鳥は魂の舟。御身はすでに死に触れた」
「どういう意味だ、白鳥の騎士よ。我が剣で断ちきれぬ、この鳥は何だというのだ」
「陛下、星が神の子イエズスの処刑を知っていながら止められなかったのと同じことにございます。星では敵わぬ。『不滅なる魂の白鳥ディー・ゼーレン・デア・トーテン』を断つことなどできないのでございます」
 まさか……アルトリアは息を呑む。
 たとえ身体を断ち落とせても、魂までは斬るを能わぬ。浄めてやることはできるがのう……
 遠い声が頭で響く。
 これが貴方の言っていたことなのか、マーリン。
 まさか、この騎士、身体がない●●●●●のでは。
 そのとき、アルトリアの下に広大な空港が見えてきた。伯林の玄関口テンペルホーフ空港だ。滑走路には細々と火が焚かれており、様子が窺えた。
「セイバー、手が痛いよう」
「しっかり。私が掴んでいるから落ちません。目を開けなさい」
「でも、肩が抜けそうだ」
 アルトリアが迷ったとき、白鳥がふいに高度を落とした。それはチャンスだった。空港の金網が急速に近づいてくる。緑地の向こうに民家が建ち並び、屋根を寄せあう。その狭間に何かものが積み上がっているところが見えた。
「カスパル、手を離さないでください、絶対に」
「うんっ」
 カスパルが渾身の力を振りしぼってアルトリアの左手を両手で握りしめた。その手には力がなく、これ以上、彼が持ちこたえられないことも明らかだった。
 ままよ。一か八かだ。
 アルトリアは魔力を使い、自らの身体を振り子のように振りだした。
 ぼすんっ……
「うわあっ」
 低い音とともにアルトリアとカスパルはゴミ捨て場の中に放り出されていた。セイバーがカスパルを見ると、彼はゴミ袋の狭間に両足を突っこんで、特に怪我はなさそうだった。彼はゴミをかきわけて道路に飛び降りる。アルトリアもならう。
 伯林の路上に降り立った瞬間、アルトリアは武装を解いていた。
「先ほどの騎士は何者なのでしょうか。彼は私にゆかりがあるなどと言いましたが。カスパルは何か思いつくことはありますか」
 穏やかにアルトリアが尋ねると、カスパルはあごに手をあてて空を仰いだ。最早、夜空のどこにも白鳥の影も光もなく、彼らがどこへ消えたのかは判らなかった。
「うーん。白鳥の騎士っていえばローエングリンだけど、まさかね」
「ローエングリン?」
「うん。聖杯を守っているっていう伝説の騎士だよ。白鳥に乗ってやってくるんだ」
 アルトリアの顔色が変わる。円卓の騎士は聖杯を探索した。だが私だけでなく、騎士たちは聖杯を手に入れられなかった。では、いったい何故、私を『我が王』と呼ぶのだ。
「その騎士の来歴は? 何か知っている伝承はないのですか」
「さあ。ごめん。よく知らないや」
 照れ笑いするカスパルにアルトリアは嘆息した。
 円卓の騎士の誰かであろうか。だが白鳥などは本当に知らないのだ。
「うううう」
「ううう……」
 低い唸り声にカスパルがきょとんとする。アルトリアはすばやくカスパルを背後に庇った。
「ここは野犬の餌場でもあったようですね。上空からは気づきませんでした。私の失策です」
「ううん、大丈夫。俺、動物は平気だよ」
 実際、犬たちが唸っているのはアルトリアに対してであって、カスパルではなかった。十頭はいようかという犬たちだったが、すぐに何か違うものに気をとられた。彼らは今までの剣幕はどこへやら、尻尾を垂らして走り去る。
 警戒するアルトリアの横から銃声が響いた。
 パー……ンっ、パンッ、パンッ。
 矢継ぎ早の撃ち方だ。耳を澄ますアルトリアたちの前に暗闇から誰かが走ってきた。走ってきたというよりも、まろび出てきた。彼女は足をもつれさせ、擦り切れた服の裾を引きずるように、だが何かから逃げようとしていた。
 なにごとかと注視するアルトリアたちの前で、さらに銃声が追ってきた。
 ぼしゅぅ……
 女性がカスパルの胸に倒れこんだ。彼女はいまわの際の言葉さえ発することなく事切れていた。緊張するアルトリアの前で、カスパルは鼓動をやめ、息も消えていく女性の身体を抱いていた。
 小柄な女性は変わった服を着ていて、肌は浅黒く、細面。耳には金の耳飾りがあった。ロマの女性だ。
 アルトリアにはどこの人やらも判らない。
 すぐに二人は警官たちに取り巻かれた。警官の一人がカスパルに近寄る。
「非国民の逮捕に御協力いただいてありがとう。そちらのお嬢さんフロイラインも」
 カスパルたちは気づかなかったが、アルトリアがドレスをまとっていた効果は絶大だった。彼女と、どこから見てもゲルマン人というカスパルの容貌の御蔭で、二人は警官たちに疑われずにすんだのだ。
「貴方がたはすぐに立ち去って宜しい。行きたまえ」
「はい」
 カスパルがすぐにアルトリアの手をとって引きずった。
 アルトリアには何が起こったのか分からなかった。聖杯によって、この国がおかしな状態にあるという知識はあった。夷敵を打ち払いつづけたアルトリアにとって、異国人が疑わしいという発想は全く理解できないわけではない。だが、これは何かが違う。
 少なくとも彼女の理性や常識に照らして『正しい』ことには見えなかった。
 何故なら女性は武器ひとつ身におびていたわけではなく、にもかかわらず後ろから撃つという行為は、アルトリアにとって卑怯以外の何物でもなかったからだ。
「カスパル」
 訴えようとするアルトリアの手をカスパルが力の入らない腕で引っ張った。
「いいんだよ、セイバー」
 アルトリアは目を見開いた。
「これでいいんだ」
 カスパルは笑っていた。
 ずっとカスパルは死というのはおぞましいものだと思っていた。はらわたをぶちまけ、血の海に沈む。そんな想像をしていた。だが現実は全く違った。あの女はただ息を絶え、動かなくなっただけ。想像していたような凄惨さも汚さもない。身体はすぐに冷たくなるのかと思っていた。だが彼女の身体は温かかった。ただ息が止まり、いなくなるだけ。残っているのは身体だけ。なんて単純なことだろう。
 人が死ぬって、あんなに静かなことなんだ。
 なんで今まで知らなかったんだろう!
 人が死ぬって、こんな簡単なことだったんだ。
 カスパルの顔は明るくなった。

Fate/Revenge 5. セイバーの弱点-①に続く


サポートには、もっと頑張ることでしか御礼が出来ませんが、本当に感謝しております。