金剣ミクソロジー④ギルガメッシュ、厨房に入る-③
Fate/Zero二次創作です
注意点
※アルトリアとギルガメッシュが第二次聖杯戦争の後も現界してるif設定
※ギルガメッシュの求婚にアルトリアさんが応えて、二人が夫婦という金剣ドリームです
※ギルガメッシュはアラブの石油王、アルトリアさんはイギリス随一の実業家&馬主(not JRA)に成り上がっています
アルトリアは初めて入る木立の中を的確に走り抜けた。斜面がなだらかで故郷の森に似ていることも助けになった。すばやく池の畔に降りると手近な草むらに飛びこんだ。チャドルを閃かせて飛ぶアルトリアは躍動感あふれる獣のようだった。すぐにアルトリアはチャドルのボンネットを後ろに落とす。視界が遮られるし、枯れ草の中では生来の金髪の方が見えにくい。
息をひそめて池を窺う。
ギルガメッシュの言った通り、ごく浅い池であるようだ。水が澄んでいて湖底が見える場所もある。というか、入ったとしても膝くらいまでしかない深さなのが判った。そこを白鳥や鴨、ペリカンや鵜がすいすいと行き来していた。どれも渡る鳥だ。彼らしか知らない秘密の湖でのんびりしているところらしい。
そうはいかないぞ。このアルトリアに見つかったのが運の尽きと諦めよ。何、今宵は朝餉になってくれる程度しかとらぬ。運がよければ我が手も逃れようぞ。
鴨は青首鴨と小鴨がいるが、ここにいるのは小鴨ばかりだ。名前の通り小さな鴨で、矢で仕留めるのは難しい。しかしアルトリアは剣だけに秀でていたわけではない。弓矢の腕も相当なものだった。
狙い定めて時を待つ。息を静め、気配を消し、自然と一体になって、弓引く時を待ち構える。
すうっとアルトリアが弓を引いた時、ぞっとするような気配が走った。
と。
音はほとんどしなかった。ただ、アルトリアにだけ分かる奇妙な気配が鴨を貫いていた。そっと振り返ると、丘の上できらめく光が見えた。ギルガメッシュが巨大な弓を返したところだ。
あんなところから!?
アルトリアは悔しさのあまり歯噛みする。常識的に考えれば当たるはずのない距離だ。間には木々もあり、隙間をぬって射るだけでも相当の手練れ。彼自身の腕前だけでやって見せたことで火が点いた。
あれは私の獲物だったのだぞ。
さっとすばやく弓を引き、その奥にいた鴨を見事に仕留めた。どちらの鴨も一瞬で頸動脈を貫かれ、声もなく絶命していた。
アルトリアは茂みの中から丘の上に向かって舌を出してみせた。彼には見えると分かっていた。風に乗って彼の笑い声が聞こえる。アルトリアの目の前で仕留めた鴨が金色の光の渦に消え失せた。
「ん!?」
目を剥くアルトリアの耳に彼の声がした。
「こちらで裁いておく! 火も熾しておくゆえ、好きなだけ仕留めてこい」
アルトリアは注意深く頷いただけだ。声を出すと鴨たちが逃げてしまう。
それからアルトリアは池の周囲を音もなく回り、夕方までに六羽の鴨を仕留めた。それらは矢の当たる先から消えてしまい、ギルガメッシュが回収しているらしかった。六羽もあれば大食らいの自分も食の細いギルガメッシュも満足できると思った。
アルトリアは立ち上がって池の周囲を散策した。
まだ春早いし、丘の上なので、あまり植物は見当たらない。それでも丘の上の方でひょろひょろと伸びる薄荷を見つけた。アルトリアの知るミントとは少し違うが、香りも手触りも間違いなくミントである。アルトリアは何本かミントを千切って、チャドルのポケットに入れた。
さきほど二人で立っていた場所に戻ると、アルトリアは仰天した。
「どこから、こんなことになったのだ」
「帰ったか。そなた六羽でよいのか」
「ああ。充分だ。というか、何だ。これは。どうなっておる」
小さな木立の隙間に細いテントが建てられていた。といっても西洋風のものではなく、中東に見られる背の高いほっそりとしたテントである。前垂れを上げて小さな屋根が作られており、その下に小さな竈が造られていた。飯盒がかけられて、しゅんしゅんと湯が沸いている。テントの中は分厚い絨毯が敷かれていて、もわもわとした寝具も見えた。
「貴方が宝具で持ってきたのか」
「ああ。まだ夜は冷えるゆえな。まあ、なくともよいが、あった方がよい」
「それはそうだが」
毛布や麦などもテントの中に置いてある。
鴨はすでに羽を抜かれていた。アルトリアが触ると表面の産毛もきれいに焼かれている。アルトリアは言われぬうちから鴨の足の関節を外す。二人は競うように鴨を捌いた。腿肉を切り離し、胸肉をはがす。内臓を抜いて、アルトリアは顔を上げた。
「貴方の国では鳥の内臓は食したのか」
「部位による。今日はまあ心臓と肝臓だけあればよい。ほかは森に返そう」
「相分かった。あと、先ほど丘の向こう側でこれを見つけた」
アルトリアがミントの束を渡すとギルガメッシュが微笑んだ。
「ちょうどよい。これを鳥の腹に詰めよう」
二人は心臓と細かい肉から鴨のスープをとった。ギルガメッシュが胡椒を出してくれたので最低限の味付けができた。このスープをいったん水筒に移す。黄色い油がうっすらと浮き、濃厚な旨味が見ただけで分かる。
次にギルガメッシュが始めたのは、鴨の肉を串に刺して火の周りに立てることだった。アルトリアも手伝える単純な作業だった。しかしギルガメッシュの刺した串は肉の大きさも揃い、美しく整っているが、アルトリアが刺した串は肉の大きさがまちまちで子供が刺したようだった。
二人は四羽を夕飯用に捌き、二羽を残した。
「こちらはどうするのだ」
アルトリアが残り二羽の丸裸の鴨を両手でぶら下げると、ギルガメッシュが微笑んだ。
「貸せ。明日の朝は目も覚めるような珍味に出会えるぞ」
「ほう。楽しみだ」
アルトリアが鴨を渡すとギルガメッシュが持ってきた大麦とナッツ、ミントを混ぜて鴨の腹にぐいぐいと押しこんだ。小さな串で腹が開かないように止める。それはいったんギルガメッシュが乾いたテントの中に下げた。
つづいて彼は鴨の肝臓を飯盒に入れ、ちりちりと炒めはじめた。香ばしい薫りが周囲に漂いはじめると、彼はざっと麦を入れ、アルトリアに水筒のスープを入れるように言った。アルトリアが火の上の飯盒にそうっとスープを注ぎ入れると、じゅうじゅうといい音がして、しゅうんと鴨の匂いが立ちのぼる。
「暗くなってきたな」
アルトリアが西を窺うと早い冬の陽が落ちていこうとしていた。
「そら。これでよい」
ギルガメッシュがぱちんと指を鳴らすと、周囲の木々の枝にぼんやりと光を放つランプが点々と下がった。
「わあ」
アルトリアは思わず立ち上がり、ランプを見上げる。それらはどれも美しい彫金を施され、色硝子が鄙びた色を透かし、ステンドグラスのようだった。
「きれいだ。こんなふうなら野営も恐ろしくはなかったろうにな」
アルトリアがくすくす笑うと、ギルガメッシュが少し寂しげな顔でアルトリアを見上げた。
「野営は嫌いか」
「湿地や戦場での野営は、まあ楽しくはないな。私はあまり気にしなかったが」
アルトリアはランプに手をかざして微笑んだ。すると、ぽうっと手のひらが暖かく気持ちよかった。
「でも今日は楽しい。何故だろうな。うきうきする」
にこっと笑うアルトリアと目が合うと、ギルガメッシュも嬉しそうに笑った。
「我はこれが好きでな」
アルトリアは意外な気がして、じっと見つめる。彼が自分の話をするのは珍しいことだった。過去の文物や史実、あるいは世間一般の教養について彼は饒舌だ。しかし彼自身の内面に触れるような話をするのはごく珍しいことだった。
彼は火の周りの串を順番に回しながら、ゆったりと語る。
「あれとはよく、こうして山を回った。我は王宮育ちゆえ、山での振る舞いはあれに教わったのだ。どこに水があるか、どうすれば食べものが手に入るか、あるいは山で迷わぬ知恵、あれは実に博識であった」
アルトリアはなんとなく彼の隣に腰を下ろした。ギルガメッシュが穏やかに見つめる。だから彼の腕にちょこんと肩を触れさせる。すると彼はアルトリアの髪にすっと唇を触れさせた。
「あれと二人で山にいると、せいせいした。下らぬ家臣の噂や陰謀、神殿のつまらぬ注進、ぐだぐだとした宮殿のいざこざの全てから離れることができた。山は静かだし、誰もおらぬ。一人で入るのは危険だが、二人でおればこれほど心強いものはない」
「確かに。貴方といると山の中だと忘れてしまう」
アルトリアが彼の肩越しに見上げると、ギルガメッシュの頬にほのかな赤みが昇った。アルトリアはきゅっと彼の袖をつまんで微笑んだ。
「私の旦那さまは宝具で、なんでも出せるのだものな」
「あまり便利だと山の野趣が失われてしまうが」
ギルガメッシュが手を閃かせると、銀のスプーンが現れた。アルトリアに握らせる。
「そろそろ粥が煮上がったと思うぞ」
「どれ」
アルトリアが火から飯盒を下ろす。器用にナイフの先で飯盒の蓋を外すと、得も言われぬ鴨の香りが溢れてきた。くつくつと煮えた麦粥をアルトリアがかき混ぜると、金色に光る脂をまとって麦が煮溶けそうになっていた。蓋に三分の一ほど取り分けてギルガメッシュに渡す。彼はアルトリアに先に食べるよう促した。
「火傷せぬよう気をつけよ。王宮で食べるものとは温度が違う」
「分かっておる。野営はたくさんしたのだから」
アルトリアはスプーンに金色の粥をすくって、ふうふうと息を吹きかける。一口すすって豊潤さに驚いた。肝臓の旨味と麦の甘みが渾然一体となって滋養たっぷりの美味さだ。スープをとるときに入れた肉が具になっていて、実に贅沢な味わいだ。アルトリアは目を閉じて、ぱくぱくと粥を食べる。少し熱いのが、ちょうどいい。すごく外気が冷たかった。
その様子を横目で見てギルガメッシュは得意気にあごを反らした。
「美味かろう」
「……ああ」
アルトリアは喋るのも面倒な気持ちだった。こんな美味いものは食べたことがない。そう思った。
「我があれから教わった料理の一つだ。街では得られぬ醍醐であろう」
「うん。確かに」
もぐもぐとアルトリアは粥を噛みしめる。じゅわっと染みる鴨の旨み。シンプルなのに飽きがこない。アルトリアにとって大発見だった。ギルガメッシュが粥の上に焼けた鴨の肉を串から外して入れてくれる。
「そら、好きなだけ胡椒をかけよ。塩もあるぞ」
「かたじけない」
それは香しく、うっとりするような味わいだった。じゅわっと染みる鉄の味が舌に嬉しい。焼けた鴨と粥を一緒に食べると、それも違った味わいだ。
アルトリアは焼けた串を手にとってギルガメッシュに満面の笑みを向けた。
「貴方は料理が上手いのだなあ」
「左様か?」
ギルガメッシュが驚いた顔をした。アルトリアは大きく頷く。
「野戦の時も美味いものがあれば兵は元気に戦える。これは本当に力が湧いてくる。身体がぽかぽかしてきたぞ」
「それならよい。料理はあくまで真似事に過ぎぬが、そなたがそう申すなら。まあ、よかった」
静かなギルガメッシュの横顔が朴訥に見えて、アルトリアは目が離せない。いつも狡猾さと計算高さの消えない顔が、素直でのびのびとした表情を浮かべている。
これが本当のギルなのかもしれぬなあ。
アルトリアはもくもくと焼いた鴨を串からかじる。ナイフで切り込みを入れて、ほんの少し塩と胡椒をかける。肉の切った断面にかけるのがコツだ。塩も胡椒も、こうして食べると本当に美味かった。全ての食材の味がどしんと身体に響いてくる。
テントの上に星が昇ってきた。
「ギル、もう春だな。獅子が現れておる」
「ほほう。少し火を強くするか。冷えてきたようだ」
串に刺した肉をアルトリアが片付けてしまうと、野趣溢れる夕餉が終わった。簡単に飯盒をゆすいで湯を沸かす。ギルガメッシュが出してくれた小さなコップに白湯を注ぐ。余ったナッツがデザート代わりだ。いつもは漫然と口に運ぶアーモンドやピスタチオの甘みがよく分かった。
「満足したか」
「ああ。本当に美味かった」
「左様か」
ギルガメッシュが愉しそうにアルトリアの顔を覗く。周囲はすっかり闇に落ちていたが、時間はまだ浅い。二人は白湯のカップをかかえて、火に薪を足しながらぽつぽつと話をした。
「もう街の食事に飽いてな」
ギルガメッシュの言葉がアルトリアの腑に落ちた。
「……貴方は食が細いから少し迷ったが、やはりか」
「気づいておったか」
ギルガメッシュが目を瞬かせてアルトリアを見つめる。アルトリアは気恥ずかしくなってコップをかかえて足を寄せた。
「なんとはなしに。貴方が食事のときに愉しそうではなかったから」
「ふむ」
ギルガメッシュが空を仰いだ。
「ここの料理は我が生きた時代とは変わっていてな。それはそれで当然のことと思う。食材も増えた、輸送法も変わった、一年中、野菜や乳が手に入るとなれば、自ずと食も変わろう」
「私もそう思う。私の国もだいぶん変わった」
「さにあらん」
ギルガメッシュがふわりと腕を伸ばし、アルトリアをカフタンの中に入れてくれる。冬用のチャドルとはいえ、少し肌寒く思っていたところだった。火の前にいると、暖まった空気がテントの布に引かれて背後に流れていく。それでも寒くなってきていた。アルトリアは甘えたい気持ちでギルガメッシュの脇に顔をうずめる。ふわんといい香りがした。薪の燃える匂いとほんのり移った鴨の匂い、ぽわんと心が温まる。
ギルガメッシュは薄く微笑んでアルトリアを抱き寄せた。
「ここでは同じような味に出会わぬのだ。あの時代の優れた料理の数々が時を渡らなんだとは、いささか不思議に思う。まあ、あの時代にはあったが、今は見ぬ植物もある。致し方ないのやもしれぬ」
アルトリアは彼が憐れになった。故郷に帰っても懐かしむものがないとしたら、それはいかほどに心痛むことだろうか。
ギルガメッシュがくすくす笑った。
「いっそ、そなたの国の方が懐かしい味に出会えたわ。カレーだの、カレー風味の肉のスープだの。インドの料理の方が口に合うくらいだ」
「だが、それも、違うのだろう」
アルトリアが低く囁くと彼はかすれる声で笑った。
「左様。同じではない。今日食したものこそ、懐かしむべき味であった。あれと野山を駆け巡った思い出だ。そなたも賞してくれたゆえ、心底から誇らしく思うぞ」
からからと笑うギルガメッシュが可哀想になって、アルトリアはカフタンの中でぎゅっと彼を抱きしめた。意外に厚みのある胸が頼もしい。しかし、その中には繊細で少年のような心が宿っている。彼はどのような気持ちで荒れはてた故郷を、変わりはてた風土を見つめていたのだろうか。
ギルガメッシュがふいと立ち上がる。彼はテントの中に吊していた鴨を取り上げた。
「もう火を消そう。よいか」
「あ、ああ」
アルトリアは反対にテントの中に移動する。そこは小さなランプが一つ下がっていて、ほの明るい空間だった。火の前と違って下に分厚い絨毯が敷かれているので寒くない。少しほっとした。
「明日も早いのであろう」
「焦らずともよい。柳薄荷が生えているのは、すぐ丘の向こう側だし、もしやするとあちらの丘に香水薄荷も出ておるやもしれぬ」
「ああ、レモンバームだな。茶に入れると美味いのだが」
「見えるほど近い。鴨は明日もおるであろう。ゆっくり休もう」
ギルガメッシュが火を軽く手で押した。アルトリアは彼の消火の仕方にぎょっとしたが、生前から同じようにしていた可能性もある。だいたい薪の火が消えると、流石に周囲が薄暗くなった。と思ったら、外にはランプが増えていた。アルトリアが瞬きして見上げると、彼が鴨を灰の下に埋めながら言った。
「もう獅子や野犬はここにおらぬようだが、一応な」
「獅子!? ここにいたというのか」
ぎょっとするアルトリアをギルガメッシュがにやにやと振り返る。
「可愛いぞ。素手で捕まえられる程度にな」
「それはきっと貴方と貴方の友だけだ」
「分かっておるではないか」
ふわっと微かな風が起こってテントの入口が閉められた。
翌朝、アルトリアが目を覚ますとギルガメッシュはいなかった。テントの中は薄明るく寒くはなかった。アルトリアは枕元にまとめられた服を身につけ、そっとテントの入口をめくって上げた。
火の前にギルガメッシュの背中がある。長身で絶妙のバランスを持つ美しい背中。カフタンの赤い色がよく似合う。惚れ惚れと見とれていると、彼が振り向いた。
「目が覚めたか。身体はどうだ」
彼は穏やかに微笑んでいた。なんだか愉しそうだ。アルトリアもつられて笑う。
「とてもよい。なんだか温かいのだ」
「左様か。顔を拭くといい」
彼が水筒を差し出した。
「向こうの泉で汲んだ水だ。沸かさず飲んでも大丈夫だぞ」
「ありがたい」
アルトリアはごそごそとチャドルの袖からハンカチを出し、水を含ませて顔を拭く。それだけですうっと涼しくよい気分がした。ついでに水筒から一口水を含む。岩の味がする冷たい水だ。ギルガメッシュはアルトリアの様子を静かに見守っている。
「助かった」
「うむ」
水筒を差し出すと、彼は丁寧に受け取った。
「そなたの取ってきてくれた薄荷で茶を淹れておる。朝餉にせぬか」
「それはよいが、何も作っておらぬし」
「夕べ仕込んだものが焼けておる。ちょうどよい頃合いだ」
ギルガメッシュが火の近くの灰をごそごそ掘り返すと、灰の山の中からほっこり焼けた鴨が現れた。ギルガメッシュが水で濡らした布でさっと灰をふき取る。ひょいと薄い金色の光が瞬くと大きな銀盆が現れ、その上にギルガメッシュが二羽の鴨を並べる。アルトリアは興味津々で乗りだした。
「見ておれよ」
ギルガメッシュがナイフを取って、手際よく鴨を二つに割った。
「おお」
アルトリアは瞬きする。それからじっと鴨を見つめた。腹の中に詰めたアーモンドとミントが香しく、麦にもちゃんと火が通っている。ギルガメッシュが腿を切り分けて塩を振り、アルトリアに差し出す。
「まずはここから食してみよ」
「頂こう」
アルトリアは豪快に腿にかぶりつく。それはしっとりと汁気があり、信じられないほど柔らかかった。
「胡椒もあるぞ」
ギルガメッシュが差し出す小瓶をぱっと振る。肉はいっそう風味を増し、信じられないほど旨味に満ちていた。
「なんだ、これは」
茫然と、しかしむしゃむしゃと腿肉を片付けるアルトリアにギルガメッシュが微笑んだ。
「麦も食してみよ。真の美味ぞ」
「どれ」
ギルガメッシュが鴨の腹から麦をぽこっと外すように出す。それをアルトリアは手で崩して口に運ぶ。目の覚めるようなミントの香りと麦の甘み、鴨の旨味が一体となり、ナッツの香ばしさや歯応えがアクセントになっている。
「んー」
無言で食べるアルトリアにギルガメッシュが微笑んだ。
「天火で焼くのとは違った旨味があろう」
「うむ」
アルトリアは食べるのに夢中で話すのを忘れるほどだった。少し筋や硬いところにナイフを入れたとはいえ、この柔らかさは驚くべきものだった。鴨の弾力や特有の鉄の味を失うことなく、しかし家禽のように柔らかいのだ。
「灰の下で焼くと、このようになるのだ。他の調理法ではこうはならぬ。美味いであろう」
「全くだ。このように美味い鴨は初めて食したぞ。貴方はいったいどうなっているのだ」
アルトリアが見上げると、ギルガメッシュがまたきょとんとした。
「何が」
「空は飛べるし、料理は上手いし、それから、その」
アルトリアは口ごもって俯いてしまう。ギルガメシュは優しく微笑んで顔を寄せる。
「それから、何だ」
「ゆ……夕べはとてもよかった! そういうことだっ!」
顔を真っ赤にしてアルトリアはくるりと背中を向ける。しかし手にはしっかりともう一本の腿を握っている。ギルガメッシュは額に手をあて、身体を折って笑いを堪える。
「く、はっ、なんだ、それは」
「……」
無言のアルトリアにギルガメッシュは小さな真鍮のカップで薄荷茶を差し出す。
「これも美味だぞ」
「……かたじけない」
すうっと爽やかなミントの風味が口に広がり、アルトリアは恥ずかしくなった。身体の奥がぽかぽかする。彼が作ってくれた温かい御馳走と、彼だけがくれる極上の魔力が渦巻いている。
ギルガメッシュももう一羽の鴨を捌いて、腹の中の麦を口に運ぶ。その横顔が晩冬の陽射しに白々と映えて美しかった。肉をかじり取るような仕草をしても、彼の気品は失われない。それほどに彼は美しいのだった。
アルトリアはぽすんとギルガメッシュのカフタンの肩に頭を預ける。彼は黙って優しく頭を撫でてくれた。
陽が高くなると、二人は周囲の散策に出た。ギルガメッシュが先導し、アルトリアはついていく。
一つ丘を越えたところに陽当たりのよい斜面があった。そこは木が少なく、すでにヒソップの若芽が伸び出ていた。
「おお、ヒソップだ。本当にある」
「な、言うたであろう。まだ春も浅いゆえ、多くは刈れぬが」
ギルガメッシュが新芽を一つつまんでアルトリアに差し出す。それは特有の甘みをともなった辛い香りを放っていた。
「素晴らしい! なんと澄んだ香りなのだ」
「野生の香草は香りが違う。特にこの辺りは雨が少ないゆえ、香りも強くなる」
「なるほど」
アルトリアとギルガメッシュは家に持ち帰る分を少しだけ摘んだ。こういった場所の野草は難しいバランスで生育している。少し枝を切りすぎただけで枯れてしまうこともある。だから充分に伸びた古い枝と、新しい枝を取り混ぜて刈る。今日使う分はほんの少し芽だけを摘んだ。
さらに昨日アルトリアがミントを見つけた丘の上から反対側に降りると、ギルガメッシュが水を汲んだという泉があった。泉の岸辺には様々な植物が生えている。ここにも薄荷が多くあり、二人は茶に使う分と食べる分だけ摘み取った。
「ギル、あった! レモンバームだ」
南側の陽当たりのよい一帯にちょろちょろと緑の葉が芽吹いている。まだ二枚、三枚と頼りない様子だが、香りは群を抜いている。
「ほう、今年は春が早いようだな」
「これも茶に入れよう」
「我が国では肉を焼くときにも使う」
「では試そう。幸い、よく伸びている」
アルトリアが少しずつ伸びた芽をとっては袖の中に入れる。この中東特有の女性用外套チャドルは慣れるとなかなかに便利だった。大きな袖が、日本の着物と同じように、ちょっとした物入れとして活躍してくれる。アルトリアが歩くと突き抜けるような柑橘系の芳香が漂った。
さらに夕刻、浅瀬に戻ってくる鴨を狙って二人は狩りをした。ギルガメッシュは鹿がいないことを嘆いたが、彼が生きた頃より雨が少ないそうで、仕方がないのだろう。
二人は同じように鴨を捌き、食事をした。
ギルガメッシュがレモンバームの葉を刻んで鴨肉に揉みこんだ。そうすると檸檬の香りが焼いても残り、鴨肉の強い風味が爽やかに感じられる。それは新しい魅力だった。
口にするなり、アルトリアは目を輝かせた。
「なるほど。こんな風味になるのか。素晴らしい」
「そなたも好きか」
故郷の味を賞められるとギルガメッシュも嬉しいのだろう。アルトリアの顔を覗いて、にこっと微笑む。その顔は驚くほど若々しく、いきいきとして見えた。彼は得意気に焼き上がった鴨肉の串をアルトリアに渡す。
「さ、好きなだけ食せ」
「ありがたい」
アルトリアは鴨肉の串を何本も平らげた。さらにギルガメッシュが目先を変えて、鴨の心臓と肝臓、新鮮な血があるときだけできる茶色い粥を作ってくれた。
「これは好き好きの分かれる味と思うが、今日は巴旦杏も入れて食べやすくなっておる。まずは試してみるがよい」
アルトリアは飯盒をかかえてスプーンを構える。
「貴方の作ってくれるものにハズレはないと思うが」
その瞬間、ギルガメッシュが顔を真っ赤にして頷いた。
「とにかく食してみよ。気に入らぬなら、やめればよい」
「どれ」
昨日の粥は金色に輝いていたが、今日の粥はどろっとした茶色でもったりしている。アルトリアが口に含むと強い血の風味がして、口いっぱいにレバーペーストのような味が広がった。たくさん入った肉の欠片や心臓がよい歯応えで、アーモンドにあたると香ばしさが弾ける。まるで兎のシチューのようなこってりとした味だ。
昨日と同じ材料で作られているのに、全く違う味わいが引き出されている。それも驚くべきことだった。
「どうだ」
顔色を窺うようなギルガメッシュなど、そう見られるものではない。アルトリアは満面の笑みで答えた。
「美味い。とても濃厚で元気の出る味だな」
「好きか」
「ああ。貴方も食べるといい。とても上手に出来ているから」
自分の言えた義理ではないと思いつつ、それでもアルトリアは勧めた。彼が自分の国の文化がどう評価されるのか、案じているのが分かったからだ。
ギルガメッシュは見とれるような笑みを浮かべてスプーンをとった。彼は飯盒の蓋に盛りつけた粥を上品に口に運んだ。それだけで彼は美しかった。きりりと引き締まった横顔や涼しげな口元は、食べるという仕草の中でも、少しも美しさを失わない。
「ふむ」
彼は自分の作った粥に満足したようだ。
「悪くない」
「悪くないどころか、これは贅沢な旨味だと思うぞ。血は捌いたときしか食べられないのだし」
「全くだ」
ギルガメッシュがからから笑う。紫色に光る夜空に彼の声が響く。口をさっぱりさせる薄荷とレモンバームのお茶も美味しかった。春一番の香草の香りは目が覚めるように冴えている。
二人は肉を順に焼き、茶を嗜みながらゆっくり食べた。夜空と星を見上げて話をする。
「そのときは大変だったのだぞ。ガラハドはまあ落ち着いておったが、ベディヴィエールが怒髪天を突く勢いでな」
「よい部下ではないか」
「ああ。頼りになる男であった」
下らない話も、こんな場所ですると特別になる。アルトリアはお茶のカップをかかえてギルガメッシュの懐に頭を寄せる。彼も穏やかに抱き寄せてくれる。レモンバーム特有の甘い香りがぼんやりと冷たい夜気に漂っていく。
「でもな、私はもっと頼れる男を知っておるのだ」
「ほう」
ギルガメッシュの胸がどきどきする。アルトリアの些細な一言。あるいはかすめるような一瞬の表情にも英雄王は胸踊らせる。彼女は自分をどう思っているのだろうと気遣わしい。
アルトリアが肩に頭をすり寄せて見上げる。その顔に浮かぶ微笑みは月のように眩かった。
「貴方だ。ギルガメッシュ」
どきんとした。ギルガメッシュの強心臓がばくばくと早鐘のように動こうとする。
ギルガメッシュは妻に対して自身と同等の強さを求めた。それは同時に、神の血を引く自身と同等の誇り高さ、矜持の高さを求めることでもあった。アルトリアは稀有な娘で、ギルガメッシュよりずっと清廉で、理想に生きる誇り高さを持っている。故に、ギルガメッシュはアルトリアに頼られる実感を得たことがなかった。彼女の誇り高さを愛したが故に、妻に夫として頼りにされたことがないとは皮肉であった。
実際にはアルトリアはギルガメッシュを信頼し、頼りにして暮らしているのだが、ギルガメッシュがそうと気づける瞬間がなかったのだ。アルトリアはべったり甘えたり、何か人に押しつけたりすることのない娘だし、自分でできることは何でもしてしまうからだ。
そのアルトリアがギルガメッシュの胸に顔をうずめて囁いた。
「今更のようだが、私は貴方が実に頼れる男だと気がついた。なんというか、そう。腑に落ちたのだ。この数日で。きっと」
英雄王の胸は破裂せんばかりにいっぱいだった。
求めつづけた答えが今、腕の中に降ってきた。この上もなく誇り高い娘が、自分だけは頼ってくれるという、夢のような想像が現実になった瞬間だった。
「アルトリア」
万感の思いをこめて抱きしめる。彼女も嬉しそうに身体を預けてくれる。
彼女はギルガメッシュのカフタンの肩に顔をうずめた。
「貴方の妻になってよかった」
伏せた瞼から涙がこぼれそうだと思った。
ギルガメッシュの腕が強くアルトリアを抱きしめる。アルトリアもカフタンで膨れあがったギルガメッシュの身体を抱きしめ返す。二人は一つの生きもののように寄り添いあっていた。
ギルガメッシュは、この世の幸福の頂点にいた。
そして一度は死した自分から、イギギの神々がどれほど自分を妬んだとしても、すでに死した妻を奪うことなど出来はしないと分かっていた。
今度は失わぬ。
二度と再び、荒野を彷徨うことはない。
この祝福の瞳持つ娘が自分を見つめてくれるかぎり、豊饒の髪持つ娘が自分の手をとっているかぎり、どのような悪霊も不幸も運命も自分に近づくことは出来ないのだ。
何故なら全ての悪しきものを、聖なる光まとう我が妻が斬り祓ってしまうからだ。
彼女には誰も敵わない。神自らの与えた剣が、神々自身すらも遠ざけるだろうから。
アルトリアを娶って初めて、ギルガメッシュは定めの軛から逃れえたと確信できた。王たる身でありながら、その血を引くが故に断ち切れぬと思っていた宿命を、アルトリアが断ち落としてくれた。
それは奇跡のような出来事だった。
金剣ミクソロジー④ギルガメッシュ、厨房に入る-④ に続く
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