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ウェイバー・ベルベット──時計塔の探求者⑥救国の英雄

※『Fate/Zero』二次創作です
※『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』『ロード・エルメロイⅡ世の冒険』ともに未読です
※『FGO』は未プレイです
※ライネスは男の子で、名前は同じだけど別人です
※登場するメインキャラクターはウェイバー、ギルガメッシュ、イスカンダル(ウェイバーと直接会うことはありません)です
※時計塔の描写は『Fate/Zero』の説明から逆算できるものにしています
※トップ絵は大清水さちさん https://twitter.com/sachishimizu に依頼しました

     6.  救国の英雄

 小さな小屋コテージは居心地がよかった。映画か何かのセットに入りこんだようで、ウェイバーもライネスも不思議な気分が抜けない。まるっきり中世初期のままの小さな世界。家具は全て木製で、石造りの壁が漆喰で塗られている。
「あれは本当にサーヴァントなの?」
 アーサー王の姿を持つホムンクルスがウェイバーとライネスにお茶を出してくれた。ヴェルヴェーヌのお茶はマーリンの時代から飲まれている。ほんのり甘い、いい香りのお茶を木のカップで飲む体験は異次元だ。
 ウェイバーは戸惑いながら頷いた。
「間違いなく。彼はアーチャーたる英雄王ギルガメッシュです。受肉したって本人が言ってました」
 ライネスにしたような説明を繰り返す。
 ブリギットは半信半疑という顔だったが、最後は頷いた。
「人間ではないってことは分かるのよ。わたしが治せるのは一般的な生命体だけ。彼はその対象ではないわ」
「そういう見分け方なのか」
 ライネスがお茶をすすって大人しい。ウェイバーはなんだか楽しい気分になっていた。
「彼を倒せるとしたら、前回の聖杯戦争で最後まで残ったセイバー、すなわちアーサー王が最も有力な候補です」
「お前のサーヴァントを呼べばいいじゃん。ライダー、めっちゃ強かっただろ」
 ライネスの言葉にウェイバーは渋い顔にならざるをえない。
 彼の顔に泥を塗る行為などウェイバーには耐えられない。
「ライダーはアーチャーに倒されたんだ。英雄王はライダーにとって鬼門だった。全ての宝具が通用しない」
 目を閉じて、ぼそぼそ喋るウェイバーにライネスがえっと乗りだした。
「そうなんだ」
「そう」
 ウェイバーにとって、それはどうにもできないことだ。
「バーサーカーがいい線いっていたけど、おそらく、ここでは呼び出せないし、あれが誰だか判らない。対して、セイバーの『約束された勝利の剣エクスカリバー』には一撃必殺の力がある。この下には彼女が持っていた白き少女の柄カルンウェナンがあるし、所縁ゆかりのある土地で、所縁ゆかりの龍脈とくれば、ほぼ確実に召喚可能だ。彼女を呼ぶのが最適解だ」
「カルンウェナンて魔法の小刀だろ。そうなの!? この下っ?」
 足元に視線を落とすライネスにウェイバーが眉をひそめる。
「さっき、見えなかったか?」
 ライネスが口を開けたまま首を振る。それはウェイバーには驚くべきことだった。あんなにはっきり見えていたのに。ブリギットが肘をついて目配せする。
「分かった? ウェイバー?」
「……はい」
 ウェイバーは小さく頷くしかなかった。
「貴方には一族の庇護下に入ってもらうわ」
「え?」
 今度はウェイバーが固まる番だった。
 何がなんだか分からない。
 ブリギットは立て板に水で今後の予定を並べ立てようとした。
「貴方はまず、龍脈管理の基本を身につけてもらうわ。貴方なら今夜の一度で覚えられるでしょう。とても筋がいいから」
「あの、話の腰を折って申し訳ないですけど、そもそも僕には龍脈をどうこうできるような大きな魔力はありません。無理だと思います」
 ウェイバーとしては非常に淡々と事実を告げるしかない事柄だった。
 だがブリギットは聞く耳を持たない。
「何を言っているの。貴方、今やっていた●●●●●じゃない。それも、ここ●●から冬木ふゆきの霊脈に触れていたでしょ?」
「あれはイスカンダルと話すのと同じで。集中すれば龍脈が読めるだけです。誰でもできますよ、あんなこと●●●●●
 ウェイバーには四六時中、継続できる簡単なことだった。気が散るように思うこともあるが別段、負担は感じない。むしろ心落ち着く快適な時間とさえ言えた。
 だが、この一言はブリギットの熱情に油を大量投下しただけだった。
「そのあんなこと●●●●●が、できるかどうかが資質なの! 魔力の大きさは関係ない。貴方は龍脈から必要最低限の力だけ汲み上げていたでしょう。地の属性を持ち、貴方のように優れた知性をもって、余計なことをせず、均衡の中で調整できる。それが求められる資質なの。貴方は数世紀ぶりに現れた完璧な資質の持ち主よ。特に頭脳と性格が、ね」
「……」
 ウェイバーは苦虫を噛みつぶしたように口を引き結び、無表情に固まっている。
 ブリギットはなんとしてもウェイバーを時計塔から引き抜きヘッドハントする気なのだ。それだけは分かった。
「父のように地の属性を持ち、とてつもない回路を持っていも、資質が合わなければ、はい、それまで、なの。特にうちは古い血統のせいで、子供にどの属性が現れるかさえ判然としない」
「あー、属性かあ。うちも、かなり混乱してきてますよ」
 ライネスが木のカップを茶碗のようにかかえて、うんうんと頷いた。
「叔父上に風が出たときは親族会議もんだったそうですし」
 古い魔術血統の家がかかえる問題点とも言えた。優れた血統と交配したからといって、狙った属性や魔術回路の子供ができるわけではない。サラブレッドのように長い時間をかけ、実験しているのと同じだ。ときには全く的外れな結果に終わることもある。
 ライネスやブリギットのような成功例は多くないのが実情だ。
 多くの子供たちが家を継がず、魔術から遠ざけられ、凡俗に落ちていく。そういった隠れた血脈からウェイバーのように返り咲くものが出ることは滅多にない。
「それからテムズの向こうに荘園マナーがあるから、仕事に集中できる環境を用意するわ。時計塔を出てもらって、放り出されている、あちこちの龍脈をケアしてほしいのよ。わたし一人じゃ荷が勝ちすぎるわ。どうしてパパは、あんなに才能があるのに、これだけはダメだったのよっ」
 うわあああとテーブルに伏すブリギットは、医者として庭で微笑む姿からは想像もつかない。
 もはや完全に家庭内内紛に巻きこまれている気分である。
「あのー」
 ウェイバーが困惑とともにカップを握りしめた。鉄色の瞳が茫然とあらぬ方を睨み据えている。
「僕、時計塔の部屋しか住むところがないんですけど。そこを出たら一文無しというか、ロンドンの高い家賃なんて払えませんよ」
「冬木に所領が」
「僕の土地じゃないです!!!」
 ブリギットの反応は貴族そのものでウェイバーには頭が痛い。ダグラス・カーは貴族ではない。だが彼らは長く宮廷魔術師である。それに古い一族は所領を持つケースが多い。彼らにとっては、住む場所=所領である。タウンハウスだろうが、邸宅だろうが、借家という発想がない。ましてやウェイバーのような寄る辺ない立場など考慮していないのだろう。
「第一、あそこは遠坂とおさかの管理地でしょう。僕なんかとは関係ないですっ」
 マッケンジー邸が実家とはいえ、そこに当然、自分が住めると勘違いするほど、ウェイバーは厚かましくない。あくまで夫妻の好意あっての関係である。それを疑うわけではないが、胡座をかいているわけでもない。
「あのね」
 ブリギットがウェイバーを青い目で睨む。
管理者セカンドオーナーはわたしたちの仕事の成果を受け取る立場。わたしたちの調整があって、初めて魔術的な龍脈の利用が可能になるの。冬木は聖杯が設置されてから荒れ放題で問題があるわ」
 憤然と肩をすくめるブリギットにウェイバーは唖然とするしかない。
「第一、貴方、英霊召喚に必要な魔力を大龍脈グレート・ペンドラゴンから集めるつもりでしょう」
 ブリギットの一言にウェイバーは居住まいが悪い。それは正鵠だった。
 地の属性を持つウェイバーにとって、龍脈から魔力を調達するのは自然な発想だった。それが何かに抵触する可能性は考えたこともなかったのだ。
「はい。知らなかったので、そういう事情を」
「たいていの魔術師は知らないわ。でも、今回は別。あまりにも問題が大きいから」
 ブリギットが木のテーブルに肘をついて、ため息をつく。
「このまま放っておくと本当に魔術協会全てが滅ぼされかねない事態だわ。貴方たちが正気を保ってくれなかったら、かなりマズかったわね。元来、一世代程度の問題で左右していいものではないんだけど、祖師から申しつかった条件を越えてるわ。今回は龍脈の使用を許可します」
「ありがとうございます」
 ウェイバーはカップをテーブルに置く。すると、かの王と同じ姿を持つホムンクルスが今度は干した果物を出してくれた。
「ドウゾ ベルベット サマ」
「ありがとう」
 しなびた杏をかじって、ウェイバーはもぐもぐと口を動かした。
龍脈管理人ロンマイ・ケアテイカーって、魔術の役に立つんですよね」
「もちろんよ。ケアされていない龍脈は使いものにならないわ。管理人の不足で途絶してる場所もあるし。そもそも龍脈の整えられていない土地なんて、王国マルクトのない生命の樹セフィロトと一緒よ」
「魔術的には成立しない」
「そういうこと。本来はすべからくケアされるべきだけど、適格者が現れるのは半世紀に一人いるかいないか。現実は惨憺たるものになってるわけ」
 ブリギットの苦悩は深そうだ。
 ウェイバーは、自分の将来にこんな選択肢が発生しようとは考えたこともなかった。そもそも龍脈管理人なんて聞いたこともなかったのだし。
 もしかしたら、基礎魔術理論の新しい観点を見つけられるかもしれない。
 そもそもの地脈から立ち上げる理論て、ちゃんとしてないよな。
 斬新かつ革新的な理論。それがあれば。
 人の役に立つこと●●●●●●●●──魔術の未来●●●●●のために。
 世界に伝播する貢献。それが目の前に啓かれている。
 僕の『東』が見えてるんじゃないか。
 行ってみればいい、彼のように。そうしたら分かる。
 『彼方にこそ栄え在りト・フィロティモ』──適格者は過去を遡っても極少数。自分にはその資格があると。では誰も歩いていない道が、そこに遺されているかもしれない。まだ見ぬオケアノスの果てを踏破できるかもしれない──
「分かりました」
 ウェイバーは了承した。
「さっきみたいに、やれればいいってことなら、僕には比較的簡単な仕事です」
「Amazing! 」
 ブリギットが厳格な医者の顔をかなぐり捨てて、はしゃぐ。少なくともブリギットは喜んでくれている。最初の一歩になってるじゃないか。
 だが。
 ウェイバーは揃えた黒髪を揺らしてブリギットを覗きこんだ。
「一つ、提案します。時計塔に住んだまま、その仕事もするっていうのは、どうですか。この上からでもできるし。それなら、お互いWIN-WINでしょう。僕はまだ勉強したいことがたくさんあるし、友達もいるし」
 ウェイバーの視線に気づくと、ライネスがにかっと笑った。
「俺もまだ知り合ったばっかだし。友達がいなくなるのはイヤかな。ブリギットおばさん、うちに免じて少し猶予をやってくんないかな。就職内定でいいじゃん」
「それだ、それ。それでお願いします!」
 手を組み合わせて祈ってしまうウェイバーに、ブリギットが呆れたようにため息をついた。
「あんなところにいたいの? 変わってるわねえ。あの階にいる奴らときたら、まともな人間の方が少ないくらいなのに」
 ブリギットが立ち上がると、ドレスの裾がさわさわとテーブルの端で衣ずれた。
「まずは貴方の特訓よ。今夜で身につけてもらわないと、英雄王を排除できないわ。ライネス、貴方は休んでいいわよ」
「俺も見学させてもらえないかな」
「なら、いらっしゃい」
 伺うようなライネスにブリギットが黒髪を波打たせて微笑んだ。


 夜半までブリギットの集中講義が続いた。ライネスは属性もあわず、本来は関係しなくてもいいのだが、真面目にブリギットの授業を聞いていた。ウェイバーは指示されたことは既にできる状態で、ブリギットを仰天、驚喜させた。
 夜の底が白む頃、やっと二人は小屋に戻れた。
「流石に疲れた」
 ウェイバーが眠そうに頭を振る。艶のある黒髪がぱらぱら鳴って特有の音を立てる。ライネスも眠くて仕方がない。
 工房の奥に寝室があって、中世らしい、小さな部屋ほどもあるベッドが二人の寝床だった。
「今夜はここで休んで。ライネス、貴方は特別よ」
「ありがとうございます」
 こういうときは急にちゃんとするのがライネスで、ウェイバーは少し感心する。
 二人がベッドに上がりこんでも、ぶつからないほど広い。ベッドには、なんとセイバーの姿を持つホムンクルスも一緒に入ってきた。青いドレスを脱ぎ、すぽんとアンダードレスだけになる。人形だと分かっていても、サイズはウェイバーとほぼ同じなので緊張してしまう。
「一緒に寝るのかい?」
 ウェイバーが驚いて覗きこむと彼女はこくんと頷いた。
「本当は彼女の寝床なのよ、ここは」
「あ、そうなの」
 ライネスが腹這いになって肘をつき、にこっとホムンクルスを覗く。つるっと滑らかな麻のシーツで川の字になる。
「今日だけ泊めてくれるかな。外は危なすぎてさ」
また彼女が頷いた。瞬きしないホムンクルスが寝るというのが面白い。
「ドウゾ オキャクサマガタ」
「何もしないから安心して。仲良く眠ってね」
 ブリギットがランプを落とす。瑪瑙色の光が消えると、小屋の中には夜だけが残る。原初の夜の静けさだ。
 意識がすうっと遠のいた。


 翌日、目覚めると、逢魔が時だった。
 最後の確認と打ち合わせをする。
「マダム・ダグラス・カー、確認したいことがあって。ギルガメッシュが、こちらのホムンクルスとそっくりな人形を連れていたんですけど、様子が違っていて。黒化ニグレドを起こしているような容姿だったので」
「完成したホムンクルスが黒化? そんな例は聞いたことがないけど」
「色が変わってたよな、ライネス」
 ウェイバーに言われると、ライネスも頷いた。彼はまだパンを切っては食べている。食事はブリギットが用意してくれた。テーブルの上には中世宜しく、塊肉と馬鈴薯のローストと大きなパン、チェダーチーズ、蜂蜜入りの甘い飲みものがピッチャーで用意されていた。ナイフで切って自分で食べる方式で、大半が二人の腹に消えていた。
「ドレスが黒くて、なんか露出度高めになってましたね」
「それは英雄王の趣味でしょ、たぶん」
「それだけじゃなくて髪とか目の色も変わってた。目がギラギラしてて、変な感じだったけど」
 ライネスの言葉にブリギットが眉をひそめる。
「そんなタイプは提供してないわ。うちのモデルだったのよね?」
「こんな高ーいホムンクルス、そこら辺にあるわきゃないでしょ」
 ライネスがカットボードにナイフを置いて、ため息だ。
 時計塔産のホムンクルスは非常に高価にも関わらず、寿命が短い。長持ちしない高級車を買いつづけるような行為で、一種のステイタスシンボルでもあった。当然、指定モデルも限られる。アーサー王の姿を持つモデルはさらに高額で、実質的にダグラス・カーしか持っていないとも言えた。
 ブリギットがドレスの中から何やら手帳を取りだし──どこから出てきたものやら、ウェイバーにもライネスにも全く分からない。ヴィクトリア朝のドレスは複雑怪奇だ──ぱらぱらめくった。
「そうね、先月に一体、出荷されてるようね。たぶん英雄王が持っているのがそれでしょう」
「黒化したホムンクルスだとしたら、俺は相性悪いな。白化アルベドさせて灼ききるのが鉄則だが、俺は水だぞ」
 ライネスがパンを噛みしめて悩ましげだ。
「うちのホムンクルスは戦闘力、高いわよ」
 ブリギットに言われるまでもなくウェイバーには分かっている。並みの魔術師ならば、あの人形に勝つことは難しいだろう。
「この場合、英雄王を仕留めるのが先決で、ホムンクルスは後回しだ。出たとこ勝負で持っていくしかない」
 ライネスがチーズをナイフで削ってパンにのせる。
「何それ。作戦あるって言うてたじゃないですか」
「作戦は英霊を呼び出す方法だ。刻々と変化する戦闘での具体的な闘い方じゃない」
 ウェイバーはウェイバーで、そこが悩ましい。
 ライネスがパンをもぐもぐと呑みこんだ。
「第一、俺とお前が繋がってるって何の話だ。昨日もずっと一緒にいたけど、あのときみたいな光景は見えなかった」
 水色の瞳が真摯にウェイバーを見つめる。ブリギットは黙ってテーブルに肘をつき、若者二人の会話に耳を傾ける。
「ケイネス先生の刻印で、僕とお前の間に魔力供給路パスが開いてるんだよ」
「はい?」
 ライネスがウェイバーと自分の間で手を行ったり来たりさせる。
「まさか、こうなってるってのか。え、ちょ、ま。え、お前、立ち位置ソラウさん?」
「ばあか。そんなんだったら気持ち悪くて生きてられないだろ」
 ウェイバーは蜂蜜入りのドリンクを木のコップに注ぎ足す。エルダーフラワーとオレンジの味がして、とても美味しい。
「だよな。安心した」
「安心すんのかよ。まあ、御蔭で英霊サーヴァントの召喚は間違いなくできるわけだけど」
 ウェイバーはコップを空にすると、手を地面と二人の間で行き来させた。
「ちゃんと説明すると、お前は聖杯に干渉してる。で、僕が基本的に、龍脈に対して魔術的な基底イェソド・キシュフが開きっぱなしになってる。そうなんですよね、マダム」
 ウェイバーの確認にブリギットが苦笑しながら頷いた。
「そういうことになるわね。貴方はずっと龍脈に対してチャンネルが開いてる状態なのよ。本当の適格者を見るのは初めてだから、驚くしかないわ。それで平気なんですものね」
「んー、意識してるわけではないので」
「全く信じられないわ。超絶的な頭脳と記憶力、魔術を読む眼力、開放型の基底が揃ってるなんて奇跡の個体よ。貴方は」
 ウェイバーは少し気恥ずかしい。魔術に関して賞められたことがないからだ。顔を赤くして俯き、説明を続けた。
「で、聖杯は常に龍脈に繋がっている」
「あれ、冬木の霊脈にぶっ刺さってるんだろ。でも動いてないんじゃ?」
 ライネスがコップを片手に目を眇める。
 ウェイバーはにやりと笑う。
「休眠中ってのは聖杯戦争を基準にした判断だよな。確かに今は聖杯戦争を起こせる状態にない。だが、それは何故だ」
「なんだっけ? 英霊召喚に必要な魔力を貯めてるからって聞いたけど」
「そう。聖杯は必死に魔力を充填してる。休んでなんかいない●●●●●●●●●。あの装置は冬木に設置されてから、こっち、一瞬たりとも休まず稼働中●●●なんだ。必要な魔力さえ供給されれば、この瞬間にも聖杯戦争を始めることはできる。はっきり言ってしまうと、英霊の召喚そのものは●●●●●●●●●●いつでも可能なんだ●●●●●●●●●
 ライネスは唖然とウェイバーを見つめ返す。
「……何、それ」
「これはロード・エルメロイが遺した最大の財産なのかもしれない」
 ウェイバーはライネスに分かるよう、指を折って説明した。
「①聖杯のシステムに介入して穴を空けているケイネス先生の刻印。②それが、きちんと発動可能な血族に継承されている」
「それが俺だな」
「そう。そして③マキリの契約システム痕跡を持つ人物が刻印を持ったため、魔力供給路が再び開いてしまった。これが僕だ。④その人物と刻印の所有者に対して、刻印の術式によって聖杯への魔力供給路が開かれている。これは聖杯が二人をマスターだと勘違いしつづけているってことだ。そのため現在も僕、お前双方が聖杯にアクセスできる。システムの前提とされていないエラーだ。これが絶対のベース」
「うん、分かった」
「さらに⑤聖杯が立つ龍脈に触れられる僕が、お前と僕を龍脈を通じて繋いでしまっているんだ。だから、正確には僕から龍脈」
 ウェイバーが自分から大地を指す。その手をライネスに返す。
「聖杯経由でお前って供給路が開いて、上書きされてる状態なんだ」
「おー」
 ライネスは不思議そうに、だが納得した顔に変わった。
「つまり、叔父上の術と龍脈管理人ロンマイ・ケアテイカーのお前が揃ったから現出してる現象ってことか」
「そういうことになる。ケイネス先生の術が聖杯に誤作動を起こさしめてるから発生した状況だ。そうでなければ意識できるほどの繋がりはできなかったと思う。誰が欠けても発動しない。本当の偶然だ。そして一番大切なことは、僕が聖杯に対して魔力供給路を保全されており、龍脈から聖杯に魔力を注入可能●●●●●●●●●●●●●●ってことだ。この状態なら、格段に魔力のロスが少なくなる。僕でも必要な魔力を比較的短時間で注入できる」
「今回だけよ」
 ブリギットのきつい一言にライネスまで恐縮した空気に変わる。
「分かってるって、おばさん」
 ウェイバーも事情が分かってしまうと、龍脈の浪費は望ましくない事態だと理解している。
「一人、召喚するだけでも限界ギリギリの調整だ。召喚そのものは聖杯のシステムに則るから、お前は大きな魔力は必要ない。ただし、イレギュラーな召喚だから、投影が不安定になる可能性はある。その場合は、僕が術式をかぶせて補佐できる」
「どういうこと?」
 乗りだすライネスにウェイバーは左手を開いて振ってみせた。
「ケイネス先生のパスがあるからな。僕はお前の魔力の発動に干渉できる。簡単に言うと補正アプリみたいな挙動が可能ってことだよ」
 ライネスは電子機器を使わないので、例えが分かりにくかった。
「うーんと、……俺が失敗しそうなときは、お前が上手くいくように修正してくれるってこと? か?」
「そう。召喚そのものと転写は聖杯に組みこまれた第二魔法がシステムに則ってやってくれる。こちらでの安定性は遠坂の術式だ。基本的な物体制御に近いから、術式は理解した。本来は属性が合わないんだけど、僕のことを聖杯がマスターだと誤認してるから。呪文の付加は可能なはずだ。狂化するのと同じ感じかな」
 それは、すでにウェイバーが『始まりの御三家』のうち、マキリと遠坂、二つの秘術を解明したということだった。
 ブリギットが寒そうに肩をすくめて、ドレスの肩を揺らした。
「おお、本当に貴方は凄まじいわね。貴方の前では秘術も何もあったもんじゃないわ」
 ウェイバーは困ったように微笑んで黒髪をさらりと鳴らす。
「そういうつもりじゃないんですけどね。解っちゃうだけなんで」
 ウェイバーがライネスに向き直ると、集中する水色の瞳を真正面から見つめた。
「とにかく、何かあっても補佐する。お前は純粋に英霊を呼ぶことだけ考えて、思いきり、行け。ライネス」
 ウェイバーの指示にライネスは頷く。
「分かってる」
 召喚者はライネスと決めた。
 ウェイバーが呼ぶと、条件が狂い、イスカンダルが召喚される可能性が高くなってしまうからだ。ブリギットは戦闘は全く駄目だそうで、現場に残れない。適任はライネスしかいないのである。
「そうだわ、ウェイバー。貴方はすでにマーリンの結界にフリーパスよ。やってみると分かると思うけど、簡単に結界を管理できるはずだし、いつでもここに入ることができる。最悪の場合はここに逃げこみなさい」
「それなら助かります。でも、いつから? 何もしてませんけど」
 ブリギットが目配せする。
「昨日、陛下のおやつをもらったでしょう。あれはマーリンが貴方を住人として認めたってことなのよ」
「!」
 ウェイバーは目を見開く。足元から高揚感が昇ってくる。イスカンダルにもらったのとは違う、魔術師としての誇らしさだ。そんな気持ちになれる日が来るとは思っていなかった。
 これで行ける。
 覚悟、決まった。
「ライネス。貴方は駄目よ。ここに関してはウェイバーの指示に従いなさい」
「はーい、分かってまーす」
 窓の外の時間は実際の時間と連動している。騎士王を導き、守護する星々が昇ってきた。
 時が来た。
「マダム、水銀を」
 ウェイバーが立ち上がる。ライネスもとんとナイフをカットボードに突き立てて、手に拳をぱしっとぶつける。
「Is it time?」
「Yeah, C’mon!」
 ウェイバーとライネスが拳をぶつけ合う。ブリギットがまたドレスの中から、きれいな色硝子の小瓶を出した
「これを使って。普通の水銀でいいのよね」
「はい」
 ウェイバーは水銀の小瓶を握りしめてライネスに合図した。鉄の眼差しがライネスを引っ張る。ウェイバーが薄い肩をそびやかせる。肩の先で揃えた黒髪がめくるめくように躍った。
「Here We Go!」
「Yes, Sir!」
 ライネスも立ち上がると空間が変わった。
 ウェイバーが進むと、美しき庭がめくれ、静寂の中庭が現れる。ライネスとブリギットがともに進む。
 中庭の中心に召喚のための魔法陣を描く。ライネスはウェイバーに教わりながら巨大な魔法陣を設置する。この段階からマスターとしての聖杯の査問は始まっているので、ライネスは必死だった。
 白銀に輝く魔法陣が完成すると、ウェイバーが頷いた。
「開くぞ」
 ウェイバーがわずかに視線を上げただけで均衡結界が沈下、中庭の結界も解除された。
 瞬間、ライネスは思わず周囲を見回した。
 回廊に横たわるいくつかの死体、気分が悪くなるような血臭と生臭さ、かすれた悲鳴が聞こえてきた。庭を囲む回廊の奥で人影が交差する。夜闇に群れ飛ぶ鴉は制御されておらず、屍肉をつつく野生を露呈する。
「英雄王ギルガメッシュ! 朝貢の品を用意した」
 ウェイバーが呼ばわると、庭のきざはしに彼が現れた。
 血濡れた庭に黒い影が立つ。
 罪深き金色の髪が夜闇に浮き、血色の瞳は真っすぐにウェイバーを見つめる。秀麗な顔立ちは昏く月闇の淀みに際立ち、長身の後ろに、暗黒のドレスまとうホムンクルスが立っている。ギルガメッシュはだらりと立って、隙ひとつなく、ウェイバーは歯の根が合わないような恐怖を感じた。
 いいな、こういうのだよ。
 僕が求めているのは。
「今から英霊サーヴァントを召喚する。言っておくけど、確実に特定の英霊を召喚できるという保証は聖杯のシステムに存在しない」
「承知の上よ」
「もう一つ。召喚者は僕じゃない。ここにいるライネス、ランサーのマスターだったケイネス・エルメロイ・アーチボルトの再従兄弟だ。一度、マスターとして認められた血統だから、適応する可能性が高い」
「許す」
 ギルガメッシュが穏やかに頷いている。
 ウェイバーは視線を下げ、中庭の結界を再起動する。均衡結界は下げたままにする。
「それから、英霊の召喚を第八に察知されると厄介なことになる。この庭に結界を張らせてもらう」
「よきに計らえ」
「じゃ、行くよ」
 ライネスが魔法陣の前に立ち、ウェイバーは彼の右手を左手でつかむ。
「呼べ、ライネス」
「ああ」
 ライネスにとって、それは人生を左右するほどの決心だった。
 何故なら、亡きケイネスと同じ道を辿ることになるからだ。
 おじさんもこうやってランサーを呼んだんだな。俺もやってやる。必ず呼べる。救国の英雄、アーサー王を──
閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ。繰り返すつどに五度ごたび、ただ満たされる刻を破却する。素に銀と鉄、礎に石と契約の大公、祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出でて王国にいたる三叉路を循環せよ」
  魔法陣に光が走る。ウェイバーは身体の芯が引き裂かれそうな感覚を味わっていた。大地から、ウェイバー自身が体験したこともないほど膨大なエネルギーを吸い上げ、聖杯に送りこむ。もともと貧弱な魔術回路が悲鳴をあげる。転送するだけでも、意識が遠のきそうな痛みが伴う。だが耐えきらなければならない。
 必ず生きて、魔術師としての生を全うし、彼の下へと参じるために。
「告げる」
 ライネスが魔法陣に向かって右手を挙げる。ウェイバーはそちらの術式も同時進行で調整する。召喚のためのシステムが起動する。やはり若干、不安定だ。冬木ふゆきで召喚したときより、術の展開が遅い。
 ウェイバーは修正するための術式をライネスの術に重ねていく。
「王女の四人に守られし国よ。月によって結ばれる三つの三角、ぺー、ツァディ、コフ、レッシュ、シンに集うタウ、救われぬ処女を受胎せしめよ。イェキダーとグフの結ばれし刻」
 ライネスの腕に激痛が走る。ウェイバーの術式展開ディプロイメントで、痛みが倍増していく。だが、ここでやめるつもりはない。ウェイバーの左手がライネスの手を通じて、術式を洗練する。魔力の消費は細るように小さくなるのに、術がすばやく立ち上がる。
 それは体験したことのない、凄まじい展開だった。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 魔法陣から光が立ちのぼり、渦を巻く。
 システムはウェイバーが供給した力を猛烈な勢いで食い潰し、英霊の座を開く。それはウェイバーにとって懐かしく、ライネスにとって身震いする光景だった。
「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者、汝三大の言霊纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!!」
 収束する光が形をとる。
 白銀の爪先サレット、風に舞う金糸刺繍のペチコート、高貴なる青ロイヤルブルーのドレスは腰当タスの重みでふわりと落ち着き、金色の象眼が輝く白銀の甲冑にひらめく青いリボン──
 ああ、の王なり。
 月色の髪を結いあげ、幼ささえ残る顔立ちに開く鋭い翡翠の瞳。白い瞼が上がると、その顔は王気で輝き、眩いばかり。
「久しいな。ライダーのマスターよ。また見みゆるとは幸いかな。だが、助力は今宵限りぞ」
 その手には紛うことなき『約束された勝利の剣エクスカリバー』──誰あらん、英国の魂たるアーサー王その人である。
「分かってる。来てくれて、ありがとう」
 ウェイバーは胸がいっぱいになる。また会えるとは思わなかった。イスカンダルではないけれど、どの英霊とも再び会うことはないと思っていたので。
 アルトリアが口元を引き締めて、あの笑い方をする。翡翠の瞳が矢のように英雄王を突き刺している。
「是非もない。あの狼藉者が我が庭を荒らすとあってはな」
 視線を滑らせるアルトリアの元にブリギットがひざまずいた。ドレスの裾を芝に引き、深くかがんで臣礼をとる。
「Your Majesty.(陛下)」
「懐かしい顔をしているな、名乗れ」
「陛下がお隠れ遊ばされてより千五百年。長く、長くお帰りをお待ち申しておりました。祖師マーリンの流れを汲むダグラス・カーが継嗣ブリギット・グレインと申します。本日、拝謁の栄に浴し、我が生涯最良の日となりましてございます」
「面を上げよ」
 ブリギットが顔を上げる。彼女の青い瞳は春のように高揚し、今にも涙を流さんばかりだ。
「我が忠誠は永遠に御身の上のみにあり、違えることはございません。今宵、お役に立てないことを恥ずばかりにございます」
「ふふ」
 アルトリアが笑った。それは光が舞うような美しさだった。
「剣を執るのは私一人でよい。そなたは隠れておれ。女子供の役目は私の後ろにいることだ。それが私に力をくれる」
「心得ましてございます」
 すうっとブリギットの姿が消えた。彼女が庭に戻ったことがウェイバーには分かった。あそこから見ているつもりだろう。その方が有難い。守る余裕はないからだ。
 ライネスの右手に令呪が赤々と浮かび上がる。それはケイネスの手にあったと同じ、華やかで高貴なる紋様だった。
「一夜限りと言えど、我が契約者マスターだ。名を聞こう」
「コンノートのメイヴに連なるアーチボルト、が支族アーチゾルテが長子ライネス」
 儀式でしかしない名乗り方がすっと口に出る。
 分かったよ、ウェイバー。
 ライネスはじっと美しいアーサー王を見つめ返した。これがお前が感じてた気持ちなんだな。お前がライダーに抱きつづけてる気持ちなんだな!
 俺も分かった。
「よい名だ」
 アーサー王が微笑んでくれた。それは天にも昇る気持ちだった。
「彼はランサーのマスターの再従兄弟だよ、セイバー」
 ウェイバーが視線の先にギルガメッシュを捉えている。彼はこちらの会話が終わるのを悠長に待ってくれている。
「それはよかった。私にとって、ディルムッド・オディナほどの騎士と剣を交わしたは爽快に尽きる出来事であった。ライネス、そなたの大叔父に引導を渡したのは私だ。許したもれ。見るに堪えなかった」
 アルトリアが目礼する。それはあまりにも畏れ多く、身が引き締まるようだった。
 ライネスは、ただ首を振る。それも聖杯戦争の避けられない運命なのだと今は分かる。これほどの力を持つ英霊を相手に小賢しい浅知恵など意味を持たない。そこでは、ただ流れの中でもがく以外に何ができよう。ケイネスも、そこから逃れられる存在ではなかっただけだ。
 アルトリアが剣を構え、肩越しに振り返る。
「そうだ、ライダーのマスターよ」
「何、セイバー」
「征服王から伝言だ」
 それはウェイバーにとって天啓にも等しい。その言葉は彼の声で心に響いた。
「『ウェイバー・ベルベットよ、勝て!』」
「御意!」
 ウェイバーは戦いに挑む前とは思われない、晴れやかな笑顔に変わった。すっと大地に手をつき、龍脈を調整する。ギルガメッシュに力が伝わらないようにする。
 そして、ウェイバーは信じられないものを見た。
 アーサー王が再びブリテンの地を歩む。大地が目覚め、光を放つ。一足ごとにブリテンが蘇り、地力が、龍脈が満ちてくる。大地に滞る淀みや穢れが祓われる。あれほど血濡れた時計塔が結界の外で浄められていく。その波は遙かハイランドへ、ブリテンの南から北へ伝播する。
 永遠の王の帰還!
 この島全てが言祝を謳う。
 それがウェイバーに大地を通じて伝わってくる。
 これが英霊の力──いや、英霊たるべき英雄が持つ力。
国を率い、民を統べ、時代すらも牽引しうるとは、こういうことなのだ。
「今宵こそ雌雄を決しようではないか、英雄王よ」
 アルトリアが『約束された勝利の剣エクスカリバー』を上げ、ギルガメッシュを指す。
 彼は異変に気づいてるようだった。周囲に視線を走らせて、満足げに唇を歪める。
「何度見ても美しい。全く稀有なる女よ」
 ふらりと黒い両腕を開き、歩み寄ってきた。
「雌雄など決しておるではないか。そなたは我が妻となるべき、ただ一人の女。剣を棄て、我が下へ来い。下らぬ運命に抗ってみせよ。その手に握るつるぎがなくば、
オレの手を永遠とわに握れよう。さすれば、そなたを悦と愉の園に閉じこめてやろうぞ」
「よく、その口で申したな。我が民を故なく殺し、苦しめたとあっては、どうあっても許しておけぬ。時の彼方に押し戻してくれるわ」
「何、戻るときはそなたも、ともに参るであろう。妻のつとめだ、当然の結果よ」
 あの血色の瞳がアルトリアだけを見つめている。
 だがアーサー王は動じもしない。騎士たちが闊歩した時代のごとく、まずは相手を挑発する。
「戯れ言を言う余裕があるのか。今夜の私はひと味違うぞ。なにしろ、ここは私の国だ。我がブリテンに足を置くことは許さん。さあ、剣を執れ。徒手空拳の男を斬ってもつまらぬわ」
 毅然と睨むアルトリアの言葉に、ギルガメッシュが冷酷な笑いを浮かべた。
「よかろう。学びの痛みが足りぬと見える。夜が明ける前には、そなたも分かろうからな」
 ライネスが緊張した顔で、アルトリアの背後に立つ。ウェイバーはアルトリアに対して龍脈を開いた。
 彼女の足元から光が花開き、『約束された勝利の剣エクスカリバー』の刀身が風に隠される。
「英雄王、覚悟!」
 アルトリアが踏み出した瞬間、その姿は視認できる速さを超えた。
 英雄王の背後には、ウェイバーが何度も見た金色の光が広がり、夜空を埋めつくす。そこから無数の宝具が飛びはじめた。
 ここから先は人間が立ち入れる戦いではない。
 ウェイバーはすばやくライネスの手を引いた。
「ホムンクルスを仕留める。あれが騎士王の足を引っ張ると面倒だ」
「分かった」
 黒いドレスのホムンクルスは芝にヒールを突き刺す勢いで、こちらに向かって来ていた。手には細剣レイピア、無表情に間合いを詰める。
「ライネス!」
「任せろ、人形なんざチョロいぜ! 十五水塔ブルジュ・バラーリ!」
 ライネスは凍りつかせようとしたが、予期せぬ反応をホムンクルスが起こした。
 ドレスの腕に魔術刻印が盛り上がる。
火炎旋風ファイア・ホイール
 平坦な声でホムンクルスが口にしたとたん、その身体は炎に巻かれ、さらに炎が二人に伸びてくる。ライネスの術は破られた。足元に広がる炎にウェイバーは後ずさる。さあっと霧が流れてきて火が消える。
「ウェイバー! 無事かっ」
「Thanks!」
「あれ、まさかアシュリーの刻印か」
 またホムンクルスが腕を上げる。
焔原追走フレイム・プレーリー
焔が地を這い、二人を追う。ウェイバーとライネスはもつれるように走って狭い中庭を横切るしかない。さらにウェイバーの横に鋭い槍が突き立った。ライネスはぎょっと目を凝らす。
 え、なんだ、これ。
 まさかコンホヴァルの急進ダート!?
 なんで、こんなもんが飛んでくるんだよ。
 ウェイバーは顔色ひとつ変えず、槍を回って追いついてきた。
「ライネス、系統が違うっ」
 後ろからウェイバーに叫ばれて、ライネスはぎょっと振り返った。
「何!?」
「あれは、おそらくカラムの刻印だ。二人の刻印が人形に入ってる」
「マジかよぉ!」
「刻印回収が優先事項だ。砕くなよ、ライネス!」
「ひいい、Yes, Sir!」
 ライネスが得意とする術は一気に凍らせて破砕するものだ。全く違う方法で人形を捕らえなければならない。
 後ろからは炎の鞭を振るいながら細剣レイピアを振り回す人形が追ってくる。
「どうすればいいんだよう、ウェイバー」
 炎に追われて走りながら考えるのは難しい。ライネスはいったん庭を霧で満たした。視界が遮られ、人形の動きが止まる。ウェイバーがさっとライネスの腕をつかんだ。
「ケイネス先生の術で使えそうなやつ、あるか。お前のでもいいけど」
「叔父上の!? なくもねえけど、ちょいキツいかも」
「刻印浮かせろ、読むから!」
 ウェイバーに腕を持ち上げられてライネスははっとした。真っすぐ頷く。ウェイバーの黒い魔法の瞳に賭ける。彼ならきっと、なんとかしてくれる。それが分かった。
「拘束できそうなのは、こいつだ。今の俺だと発動に時間がかかる」
 薄く光を放つ刻印にウェイバーが視線を走らせる。
 彼の黒髪がさらっと開く。霧が薄れて、影が見える。
解読完了クラッキン・サイファ! 次来たら、行くぞ」
「ひー、マジなの!」
 透ける霧を裂いて、人形が飛びこんだ。細剣レイピアを避けて身体を返す。ウェイバーの胸にライネスが転がりこむような体勢になった。さっとウェイバーがライネスの腕をつかむ。
「かぶせる! 行け」
 知らねえぞ、もうどうなっても!
 ライネスは水色の瞳を人形の胸に固定する。
Sphaera Halituousa熱蒸水珠!」
 ウェイバーが舞い散る黒髪の影で目を伏せる。彼の手から電撃のごとく魔力が走る。瞬間、ライネスは自分の身体に考えられない変化が起こるのを感じた。
 あれほど重いと思った術式──収束する魔力は羽のごとく軽やかに、理解が追いつかないと思っていた展開が加速して具現化する──
 こんなことがあるなんて。
 俺、こんなことができるのか。この術を使えるのか!
「ぎゅあああ」
 黒いドレスが巻き上がる。人形は限界に近い熱量をもった水蒸気の珠に封じ込められる。白い肌は見る間に赤みを帯び、白く固まる。白化アルベドが進み、ドレスも髪も金色の目も澄んで白色に灼けていく。
固定晶ソリッド・ステーブル
 白化した人形が水蒸気の中で凍りつく。熱蒸水珠スフェラ・ハリトゥアサが収束すると、ブルーアイスに固定された人形だけが残った。
「やった、……」
ライネスは自分の両手を見て、震えが走る。
 今のは何だったんだ? なんで、あんな簡単に叔父上の術を発動できたんだ?
「はっ、はあっ」
 隣で膝に手をついて、息を切らせているウェイバーが信じられない。瞬時にあの術式を読み解き、自分に術を発動せしめたのはだ。実質的に、彼が術を起動したと言っていい。属性も魔力の量も合わないはずの術を、俺より正確に理解して発動できるんだ。こいつは──
 この虚弱に痩せた身体の奥に、どこまで底知れぬ力が詰まっているのだろう。


 アルトリアが走る左右に槍や刀が突き刺さる。
 ギルガメッシュが誇る『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』──無数の宝具を打ち出す規格外の宝具。だがアルトリアは対峙するのも初めてではない。紙一枚の危うさで降りそそぐ宝具を抜けて大地を蹴る。
 足が軽い。
 ああ、思い出す。マーリンが私を押してくれたときと同じだ。
 私は疲れなど知らなかった。悔やむこともなく、ただ前を向いて剣を振るった、あの頃を──
ね、英雄王!」
 大上段に全体重を乗せて斬りつける。
 ぎいん!
 ギルガメッシュの手に剣が現れた。というか、それは剣と言っていいのか。黒い艶のない円錐形の刀に赤く鍵型の光が走る。
 アルトリアは飛びすさって目を凝らす。
 あれは何だ。剣なのか? 刃があるようには見えない。だが斬れない。
 さあっと庭に霧が満ちる。どうやら此度のマスターは水をよくする魔術師らしい。アルトリアはしゅるりと風をまとって視界を保つ。ギルガメッシュがこの程度で止まるはずがない。
「英雄王! 私はここだ、撃ってこい!」
「ほう、やっと、その気になったと見える」
 アルトリアは危うく『約束された勝利の剣エクスカリバー』を構えて防いだ。
 霧を裂いて彼が跳んできた。てっきり、あの剣で来ると思ったが、彼が振りかぶったのは槍だった。その形に覚えがある気はしたが、咄嗟に見分けられない。アルトリアは反射的に剣で払った。
 しゅん……
 槍は回転し、弧を描き、なんとアルトリアの後ろから突き刺さらんとする。
風王結界インビジブル・エア!」
 風の鎧をまとって槍を防ぐ。ついでに剣で槍を弾く。あらぬ方に飛んでいく槍に目をとられた瞬間、霧の中から彼が現れた。
 金色の髪に夜を乗せ、昏い血色の瞳に空虚と絶望を湛え、その白い腕は冬の狩りのごとくアルトリアを捕らえようとした。彼は確かにアルトリアに口づけせんばかりに近づいた。
「我が妻よ、オレを斬れ」
「は?」
 理解を超えた言葉にアルトリアは目を見開く。その緑の瞳に赤い瞳が映っている。その奥に昏い情念が渦巻いている。明晰であった英雄王にはなかったように思える何か。それが口を開いている。
「なあ、そなたが掲げる美しき理想で悪を断ってみよ。オレを斬れば叶うぞ」
 彼の腕がアルトリアの腰を抱く。
 それはチャンスだった。このように狭い庭で『約束された勝利の剣エクスカリバー』を放つことは危険でしかない。ここ●●どこ●●かということ、結界があることは分かっていたが、なにしろマーリンが消えて久しいのだ。
 アルトリアがギルガメッシュの咽喉に剣を突き立てんとしたとき、金色の光にとりまかれた。
「ともに帰らん、我が妻よ」
「貴様と心中など御免被る!」
 アルトリアは迷わず剣をギルガメッシュの喉元に押しこもうとした。だが彼は軽やかに背を逸らし、とんぼを切って、背後に跳ぶ。
「ちっ」
 舌打ちして、アルトリアは剣を上げる。
「さあ、槍でも剣でも構わぬぞ。なんぞ持て。私と打ちあえ。貴様ほどの男と剣を交わすはそうないことだ。私の胸を騒がせてみよ。貴様にはできまい」
「ふふふ」
 ギルガメッシュが身体を折って笑っている。
「左様か、そなたもオレを欲しておるとな」
 彼の赤い目が射るようにアルトリアを見つめた。
「では知るがいい。我が寵の重さをな!」
 背後に展開される光の渦が無数に増え、夜空は全て彼の金色に輝いた。
 アルトリアは目を据え、足元に重心をかける。大地が私に力をくれる。まるでマーリンがいたときのように。私はここ●●に還ってきたのだ。私が身命を捧げ、故にこそ全てを私に傾けてくれるブリテンの大地に!
 アルトリアに向かって無数の宝具が乱れ飛ぶ。
 だが彼女は微笑んでいた。軽やかに大地を蹴る。
 最初の剣に彼女が飛び乗る。そして槍を蹴り、また剣──英雄王の宝を踏んで、アルトリアが昇っていく。
「行け! セイバー!!」
 背後からウェイバーが叫ぶ。彼はアルトリアが立っていた場所にひざまずいていた。大地に手をあてている。
「僕が結界を統御できる●●●●●! セイバー、撃てっ!!」
十五水塔ブルジュ・バラーリ
 隣に立つ背高のっぽの少年が短い金髪を燦めかせて腕を伸ばす。
 ギルガメッシュの周囲に白く輝く冷気がまといつく。
 だが彼は全く動じない。薄い微笑みでアルトリアだけを見つめている。
「やっぱ凍らねえか。行くぜ、Absolutus Nulla絶対冷却!」
 ライネスが右手をひねる。下から上から、絞るように冷気がギルガメッシュに集中する。それは恐るべき効果を現した。ほんのわずかではあるが、英雄王の身体を強ばらせたのである。
「マスターよ、礼を言う」
 アルトリアが三尖槍を踏んで跳ぶ。はるか上空で白銀の光が凝縮する。全ての宝具が仰角をとり、アルトリアに向かって撃ち出される。衝撃波にアルトリアの頬に一筋、血の糸が咲く。月色の髪が解けて天を舞う。
「『約束された勝利の剣エクスカリバー!!』
 全ての悪を断つ光が英雄王を呑みこんだ。
 ウェイバーは目を閉じ、意識の隅々まで結界に同調する。膨大な宝具のエネルギーを結界に吸収する。それをそのまま大地の下、大龍脈グレート・ペンドラゴンに注入する。これで、ほとんどの力を回収できる。
「ごふ」
 ウェイバーの身体に反動と衝撃が来る。あれほど詰めこんだのに胃は空っぽだ。弱い魔術回路がフル回転して魔力の大移転に対応する。気が遠くなりそうだ。胃液が逆流する。内臓にキてやがる。だからって止められるか。
 僕はイスカンダルの臣、世界を救えと命を受けたんだ。
 鉄色の瞳を上げて、自分の意識を奮い立たせる。
 眩い光が収束する。
 彼の姿は消えていた。
 ただアーサー王がゆったりと『約束された勝利の剣エクスカリバー』を手を振って納める。彼女は白銀の鎧を解いて、ウェイバーの下にやってきた。
「はは、初めて征服王とおるところを見たとき、そなたはまだ子供であると思ったのだがなあ」
 アルトリアが笑いかける。ウェイバーは軋む膝を立てて、やっと立ち上がる。思わず自分で笑ってしまう。あの日、冬木の港湾施設で初めて聖杯戦争の何たるかを見た。生命を懸ける覚悟を学んだ。それが、どういうことなのか。
「確かにね。あのときの僕は貴方をじっと見ることさえもできなかった。本当に駄目な子供だったんだ」
「だが今は、この庭を受け継ぐ者になったのか」
 穏やかな翡翠の瞳は初めて見た。髪がほどけたアーサー王は普通の少女に見えた。これが本当の彼女なのだろう。優しく可憐で、手折られそうな。
「そうみたいだ。僕でいいのかな」
 ウェイバーが柔らかく見つめ返すと、彼女は苦しげに笑った。
「私は構わぬ。ここは、あやつの庭だからな。いやいや、あの嫌なジジイにそなたが似ぬよう、あちら●●●で祈ってやるわ」
「そうなの?」
 思わず乗りだすウェイバーの前に蛍のような光が舞った。美しきアルトリアの姿が金色の粒子を放ちはじめる。
「ライダーのマスター、いやウェイバー・ベルベットよ。征服王に伝言はあるか」
 ウェイバーは揃えた黒髪を揺らして首を振る。スラックスのポケットに手をかけて首を傾げる。その顔は揺るぎない自信で落ち着いている。あのときとは違う。
「ありがとう。でも大丈夫。僕はいつでも彼と話せる。どこにいても」
「左様か」
 次にアルトリアはライネスに向き直った。
「そなたの助力に感謝する。御蔭であの男を仕留めることができた。そなたは若い。健やかに伸びよ」
はい、陛下イエス・マイ・マジェスティ
「ブリギット・グレイン・ダグラス・カー、参れ」
 アルトリアが呼ばわると、彼女の前に平伏したブリギットが現れた。
「御前に。陛下」
「また長く留守にする。ブリテンを頼む」
「拝命つかまつります」
 ブリギットが黒髪を波打たせて顔を上げる。彼女の頬を涙が伝った。
「陛下の勝利に栄冠を。永遠の言祝を御身の上に。常春の幸いが常にともにあらんことを」
「ありがとう。別れの時だ」
 アルトリアは急速に光の粒に薄れ、青い姿が消えていく。
「愛しき我が民よ。長命たれ、幸いあれ。さらばだ……」
 夜中の庭に静けさだけが残される。
 そこには何も残っていない。ただ青く凍れる人形だけが、今の出来事が現実だったと伝えている。
「うわああああああ」
 ライネスが叫ぶように号泣する。彼は憚らず大声で泣いた。ブリギットが立ち尽くして顔を覆う。そしてウェイバーは、
「やだ、ちょっと、ウェイバあーー!」
「ひいいい、おおーいっ」
 真後ろにぶっ倒れた。


 でかしたぞ、坊主!
 彼の手がめちゃめちゃに髪をかき回す。
「ちょ、それ、やめろって」
 ウェイバーは笑いながらイスカンダルの手を避けようとする。だが彼は止めようとしない。今度はぐっと拳を握り、ウェイバーの前に差し出す。
 久々に心躍ったぞ。なかなかの見物だった。
「僕は死にそうだったよ。なんか、まだ気持ち悪い感じする」
 ウェイバーは後ろに手をついて背中を反らす。イスカンダルは丸太のように太い腕を組み、ウェイバーの顔を覗きこんだ。
 これで貴様の世界は救えたのか。
「そうだね。少なくとも英雄王を時計塔から排除できた。細かいところ、どうなってるのか分からないけど、それは目が覚めてから、なんとかするよ」
 ウェイバーは晴れやかな気持ちだった。
 心の底からやりきったと思えるときだけ味わえる爽快感だ。
「たくさん問題はあるけど、少なくとも、これ以上の問題は起きないと思う。そしたら、後は少しずつ戻して、悪いところは変えていけばいい。時計塔は蘇るよ」
 笑うウェイバーを横目で彼がにやにや見ている。
 何やら面白そうな仕事に就くようだな、坊主。
「うん。決めた。たぶん、龍脈管理人そっちが本業になるよ。魔術の研究はどんな仕事をしながらでもできると思うし、いろんなとこ行くのも悪くはないかなって」
 ふうむ、坊主も見聞を広げる大切さが理解できたか。
「まあね。お前の御蔭だよ、イスカンダル」
 そう呼ぶのは初めてだった気がする。
 なんだ、急に。
 イスカンダルが目を丸くしてウェイバーに顔を寄せる。ちょっと照れているように見えた。
 熱でもあるのか、坊主。
「あるかも」
 いかんなあ。
「時計塔に初めて呼ばれたとき、僕はすごくワクワクしてた。新しい世界がとうとう開くんだって信じてた。でも現実は違った。すっかり卑屈になってた僕をお前が持ち上げてくれたんだ、イスカンダル」
 彼の大きな手がそっとウェイバーの頭を押さえる。ウェイバーは大人しく彼に顔を寄せて目を伏せる。
「でも今は、あのときよりもワクワクしてる。だってさ、ライダー」
 なんだ、坊主。
「僕は誰も行ったことのない場所に行くんだ。未踏の地を踏破する。それこそ『征服する』ってことじゃないのか。初めて僕が足跡をつけるんだ。何千年も忘れられていた場所、誰も思い出しもしなかった場所、もしかしたらオケアノスが見えるかもしれない」
 余の戯言だぞ。
「そんなことない。お前と僕は同じ『夢』を見るんだ」
 彼の硬い赤毛に手をかける。触れるほど間近で睨みあう。あの子供のような茶色の瞳がまっすぐ見つめ返す。ウェイバーの胸は早鐘のように鳴っている。
「待ってろ、ライダー。僕が『世界』を見せてやる」
 応よ!
 彼の手が痛いほどの力で薄い背中を叩く。そうされると内蔵まで揺れるような衝撃があって、最初は殺されると思っていた。でも今は、ほっとする。彼がいると分かる。このぬくもりが何よりも誰よりも大切なんだと知っている。
 お前だけが僕を導ける。
 よくぞ命を果たした。出立の前はよく休め。新しい場所を楽しめんからな。
「うん」
 背を抱かれた。ぎゅっと強く。たぶん彼は押してるつもりも力を入れてるつもりもない。ただ置いただけ。だけど、あまりにも彼は長身で骨がずっしり重いから。本当にお前の手は大きいなあ。


 目を開けても、まだ彼の温もりが全身を包んでいた。
 気持ちいいなあ。
「おばさん、ウェイバー、目を覚ました!」
「本当?」
 視線を巡らせると、マーリンの小屋コテージだった。数日経っているような気がした。金髪を散らしてライネスが覗きこんだ。外の光がきらきらしている。心細そうな顔をしていた。
「大丈夫か。気分は」
 悪くない。ウェイバーは心で応える。少しほっといてくれよ、あいつ●●●の熱が残ってるんだ。
 大きなベッドがぎしっと鳴った。
 ライネスが上がってくる。彼はやにわにウェイバーの枕元に手をついて平伏した。
師匠マスター、俺を弟子にして下さい。師匠の洗練極めた術式展開に惚れました。あんたみたいに、なりたい。俺を弟子にとってやって下さい」
「……」
 さしものウェイバーも目が覚めかけた。いや負けたら終わりだろ。あいつの手がこんなにはっきり感じられることなんて、そうそうないんだよ。
「僕はもうマスターじゃない」
「そう言わず。俺の師匠マスターになってください。お願い、マジで」
「…………ちょっと浸らせて。昨日の今日なんだよ、僕にとっては。セイバーと会ったことだって、ちょっとは浸りたいんだよ」
「そうよね!」
 今度は足元がぎしっと鳴った。もう見る気もしない。
「貴方も見たでしょ、陛下の麗しさ、素晴らしさ、美しさ、凜々しさ。あれぞ救国の英雄アーサー王の輝き。誰だって一目見れば、あの方が非凡なる人物で国を与るも当然の」
 ブリギットの演説は滔々と続いた。
「そうっすよねー! セイバー、ホントにきれいだったあ」
 ライネスが仲間になっていることに気づいて、ウェイバーは愕然とした。
 なんなんだよ、この騒々しさ。
 僕の周りはどうして、いつもこんな奴ばっかりなんだよ。全く、落ち着く暇もない。おまけにライネスの奴、完全にセイバーに心酔してる。
 ライダー、悪い知らせだ。
 なんだ、坊主。
 徴兵リクルート失敗。やっと手に入れたと思ったんだけどな。セイバーに持っていかれた。
 ベッドの中に潜ろうとするウェイバーの頭に征服王の活が響く。
 勘違いするなよ、坊主。
 貴様が集めるべきは余の兵ではない。貴様自身を夢と仰ぎ●●●●、貴様自身に忠誠を誓うつわものどもだ。そもそも、ほれ、貴様は余の臣であるから、貴様の兵は余の兵である。何の問題もなかろうが。違うか?
「あっははは」
 ウェイバーは弾けるように笑いだした。
 流石は英雄王の宝具で『王の軍勢アイオニオン・ヘタイロイ』を武装しようとしたイスカンダルだ。
「分かったよ、ライダー、本当にそうだ」
 のろのろと身体を起こすウェイバーをライネスが気遣わしげに見守る。
「あの、うるさくして、御免なさい」
「いいよ、慣れてる」
「本当に掛け値なしで、あんたに教わりたいんだよ。俺にはどうしたら、あんなふうに術を展開できるのか、全然、解らない。ホントにマジで、あんたのこと尊敬してる。あんたがうちといろいろあって、叔父上ともいろいろあったの分かってる。だけどさ、俺はあんたのこと、本当に」
 涙目で訴えるライネスの頭に、ウェイバーはぽんと細い手を置いた。
 I see.  分かったよ ライネス。教えてやる」
「マジ!?」
「ああ」
 身体に力が入らない。よろけるウェイバーの身体をライネスがそっと支えてくれた。
師匠マスター、貴方に従います。貴方の教えを胸に刻みます。貴方の行くところ、俺も行きます。生涯、貴方に随順します」
 ウェイバーは思わず見上げた。
 ライネスが口にしたのは中世以来、連綿と続く徒弟の誓いだった。
「僕に?」
「他に誰がいるってんだよっ、そろそろ、マジでうんYESって言って」
「Yes, my pupil.」
「!」
 ライネスがぎゅっとしがみついた。ウェイバーは支えきれず、ベッドに倒れてしまう。
「重い、ライネス……」
 イスカンダルより軽いけど。
 坊主、道連れは多い方がいいぞ。余のように万軍とは言わぬ。心託せる友を持て。さすれば旅は生涯続く『夢』となる。死してもなお、な。
「分かってる」
 それぞ『王の軍勢アイオニオン・ヘタイロイ』──夢の結晶だ。
 ライネスの背中をイスカンダルみたいに叩いてみる。年下なのに、こいつもデカくて、嫌になるけど。でも、やっぱり子供なんだよな。こいつも。
「やったあ。俺の師匠マスターだ」
 ウェイバーの肩でライネスが嬉しそうに笑った。


 ウェイバーが目覚めたときには三日も過ぎていた。
 それから数日、ウェイバーはダグラス・カーへの『入院』を指定された。魔術回路が疲弊し、損耗の回復に時間がかかっていたからだ。
「貴方とあの子の魔力供給路パスを消してしまうわけにはいかないから、簡単に治せなくなってしまったの。一度、普通に回復してもらって、貴方の身体基本値ベース・コンディションを採らせてもらわないと」
「分かりました。少しここで休みます」
 マーリンの小屋で過ごした数日は不思議な体験だった。イスカンダルとかなり強く自在に話せ、セイバーの姿を持つ人形が何くれとなく世話してくれる。暑くもなく寒くもなく、時に柔らかな霧雨が降る。庭で陽射しを浴びると、身体の奥まで温かくなる。色づいたニワトコの実エルダーベリーが枝から下がり、ランズヘッドの周りに秋明菊が花を揺らして庭を彩る。美しい庭は次第に紅葉し、秋を深めていった。
 ウェイバーは隔絶された環境で、自分が経験した全てが夢のような気がしていた。
 一週間ほど経って、やっと退院許可が下りた。
 西棟に戻ると、驚くほど何もかも元通りになっていた。学園棟は全て清掃が終わり、授業もいつも通り。食堂も普通に食事が提供される。建物に損傷はなく、瘴気も全て消えている。
 そして、あの新入生●●●のことを誰も覚えていなかった。
 ウェイバーたちのしていたこと、この地にアーサー王が降臨したことなど、誰も分かっていないのだ。
 食堂は閑散としていた。実に初等部の半数以上の子供が死んだ。時計塔もミドルティーン以下の子供たちで死者が多く、生徒数は三分の二程度に減少していた。さらに精神を病んで退校した女子生徒が数人。それは全て『子供同士の派閥抗争』という理由で片付けられていた。ある意味、嘘ではない。彼らがお互いに相争った結果なのは事実だ。
 アシュリー、カラムと並んで、それぞれの生徒の刻印は時計塔によって回収済みとのことだ。
 釈然としないが、ウェイバーは呑みこんでいる。
「おはようございます、研究生スカラー
「元気になったんだな」
「ありがとう」
 ウェイバーは病欠していることになっていた。今も彼の人気は保たれている。彼が食堂に戻ってきたと気づいた中級生たちが集まってきた。
「なんか時期外れの新入生がいるって聞いたんだけど」
 試しにウェイバーは聞いてみた。ライネスから聞いてはいたのだが、確認したかった。
 二人が顔を見合わせて真顔になった。
「いいえ、聞いていません」
「そんな飛び級は研究生スカラーしかできないのでは」
「あ、そうかな」
 ウェイバーは苦笑いする。
「十日くらい前、なんか夜にうるさくなかった?」
 続けたウェイバーの質問に、彼らは何を聞かれているのか分からないという顔になった。
「別に」
「何かありました? 花火の日ボンファイア・ナイトじゃないですよね」
 ライネスが訝しむ横目で見ているが、二人とも気づかない。ウェイバーは穏やかに笑って肩をすくめた。
「きっと具合が悪かったんだろうな。なんか、うるさい気がしちゃって」
 しばらく人に囲まれて快気祝いが続き、それからやっと静かになった。
「なんかもう、信じられねえ。何もかも」
 ライネスがソーセージをナイフで切って、ため息をつく。
「そうだな。本当に」
 ウェイバーは久し振りのフル・ブレックファストにスプーンを入れる。スクランブルエッグとトマト・ビーンズを混ぜて、口を結んだ。
 英雄王は死んでいない●●●●●●●●●●
 あの戦いの前、彼らはギルガメッシュを新入生として受け入れていた。それが書き換わっている。
 新たに術が掛けられた形跡がない以上、これはあいつの仕業だ。
 確証なんて一つもないのに、僕の感覚はあれが英雄王ではない●●●●●●●って言っている。だけど、彼が展開した『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』は間違いなく本物だった。
 あれはいったいなのだろう。
「上の先生方だって、どうなってんだか」
 おそらく術中に嵌まったままと考えていいだろう。一度かかった術を書き換えているのなら。中には事態に気づいているものがあるかもしれないが、時計塔の常として口を噤むはずだ。魔術師は「自分だけが知っている」ことを決して人に話さない。
 でも、それは僕もか。
「やっぱさ、誰かと食う飯は美味いよな」
 向かいで笑うライネスに自分はこれを話さない。今はまだ。
「そうだな」
 こんがり焼けたベーコンを噛みしめて、ウェイバーは頷いた。
 そう。今はいい。
 少なくとも時計塔には二度と再び現れまい。ここに来ても無駄だと彼は学習した。それに無傷ですんではいないだろう。でなければ、即座に僕に迫るはずだ。一度は呼べると分かったのだから。
 だが、いない。
 僕は英雄王ギルガメッシュを退けたってことか。
 ウェイバーは勢いよくトマトビーンズを平らげる。
「うん、美味い」
「師匠が元気になってよかったっすよ」
 ライネスが明るく笑う。それでいい。
「そだ、師匠。うちの親とスリーテン叔母様が師匠を花火の日ボンファイア・ナイトのパーティに招きたいって言ってるんす。来てくれます?」
「僕を? いいのかな」
「当ったり前っすよ。俺の師匠なんすから。うちの行事には全部、お招きしますんで」
 これにはウェイバーが固まってしまう。ほとんどジェントリ階級と言っていいアーチボルトと家族ぐるみの付き合いだって? これ、世界を救うより大変かもしれないんだが……
「分かった。お招きを受けるよ。カードとか返した方がいいのかな」
「マジで! やった! 細かいことはいいっす、俺から母さんマムに連絡するんで」
「一応、出すよ。後で住所教えてくれ」
「りょ!」
 ハイテンションなライネスにウェイバーは笑いだした。
「なんすか。変なこと言ってないと思うんだけど」
「いや。思ってもみなかっただけだ。世界はまだまだ分からないことだらけだな」
「なんすか、それ。師匠って頭よすぎて、たまに分からない」
「ははは」
 信じられない。僕はやったんだ。
 ライダー、お前の敵とれたぞ。 
 いつか再び、彼と対峙する日が来たら、そのときはまた生命を懸ける。そして生き残る。破れても負けても絶対に死なない。 
 そして世界へ。果てしない東へ旅をつづける。僕の神々の門バビロンに辿りつくまで。
 イスカンダルの臣として。

ウェイバー・ベルベット──時計塔の探求者 Epilogue 東征への出立 に
続く

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