日本語は、表現する言語だと実感する
先月から入った句会の
今月の作句の締切が近づいてきました。
課題季語で二句、自由季語で一句の計三句をつくらないといけないのですが、
その情景を十七文字で表現するのは
思った以上にむずかしいです。
五七五におさまらなかったり
二重季語になってしまったりして
なかなか、句になりません。
形になっても、読んでみると音やリズムが悪く、やり直しです。
超初心者が、1人で詠んでいるので
独りよがりになっていないか判断もつきません。
そんな中で、思い浮かんだ情景をよりリアルに表現するために、繊細に多彩に日本語が存在することを感じます。
例えば、「仰ぎ見る」と「見上げる」
英語ではどちらも「look up」です。
日本語でも、意味は同じように使いますが、
言葉のニュアンスとして、
「仰ぎ見る」方がより高いところに視線が動く感じがします。
自分が見ている情景を表すのに、より近い表現を探し探しの時間です。
俳句は表現の勉強になるよと勧められての入会でしたが、
正にその通りです。
日本語を使って50年になりますが、
全く使いこなせていない感じです。
これまで、どれだけ適当に言葉を使っていたのかと思い知らされます。
しばらくは、日本語の渦に揉まれてみたいと思います。