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Burning heart〜ココロに火を灯せ

2枚目のカバーアルバム『秋の日に』に収録されているうちの2曲。
中森明菜の “飾りじゃないのよ 涙は” と “DESIRE−情熱−”。

ここまで、テレビでの歌唱は、

●“飾りじゃないのよ 涙は”
 11月3日『スッキリ』
 12月3日『ベストアーティスト2022』
 12月14日『FNS歌謡祭2022』
 12月19日『CDTVライブ!ライブ!クリスマス4時間SP』の4回、

●“DESIRE −情熱−”
 12月23日『ミュージックステーション ウルトラSUPER LIVE 2022』の1回。


●“飾りじゃないのよ 涙は”

初披露(11月3日)の後、
 ↓
体調不良による番組出演キャンセル(11月25日)
「ロマンスの夜」有楽町公演(11月28日、29日)の延期、
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復活を期すも歌詞が飛んでしまいレロレロ(12月3日)、
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神戸公演(12月7日、8日)を成功させてきっちり立て直し、
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鬼神降臨ド集中から武部聡志音楽団をバックにローリング(12月14日)を経て、
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歌唱前にカメラに向かって意気込みを言えるだけの余裕、歌い出しからフェイク全開、ぎりぎりガナらずにクレッシェンドしていく圧倒的な歌唱(12月19日)へと進化を遂げた。


●“DESIRE −情熱−”

もともと歌詞の内容に合わせたジェスチャーしたがりではあるけれども、‘ヒールを脱ぎ捨て’ でまさか靴を脱いで放り投げるとは。しかもその放物線の美しさたるや。danceのステップ…、人差し指を立てて寄り目…、降魔の微笑み…。意表を突く動きに気を取られそうになるが、出だしから気合いの入った歌声はフルスロットル。
1番のサビ ‘炎のように〜’ で目を閉じたのは、続きの ‘〜燃えて’ を歌おうとして、その直前で ‘まっさかさまに燃えて’ と歌ってしまったことに気づいたからのように見えた。‘まっさかさまに堕ちて’ はこの歌のキモ。だから、2番では2番の歌詞を歌わずに、敢えて1番の歌詞を正しく歌い直したのではないか? …にしても、そもそもなぜ ‘まっさかさまに燃えて’ になったのか?! と深読み好きの私は思ったのだった。

当初はなんだかこなれていないような印象を受けたのだが、見る見るうちに「期待される“らしい”歌い方」を会得したのはさすがだと思う。その過程を目の当たりにできたのはファン冥利に尽きる。
…だが、歌いにくそうに感じるのはなぜだろう。この歌たちの裏拍が、エレファントカシマシの表拍に慣れた耳にはそうに聴こえてしまうのか。

考えられる理由はふたつ。
ひとつには、宮本が最初に選んだ歌ではないからなのではないか、ということ。
雑誌のインタビューなどで、司令塔氏からもっとロックな曲があった方がいいという助言を受けて、それならばと中森明菜の曲を選んで加えたと経緯を語っている。アルバムとしてのまとまりを考えるとプロデューサーの狙いは十分に理解できるし、長い付き合いの強固な信頼で結ばれたプロデューサーとアーティストの関係性のもとに、吟味された末の選曲であり、練られた上での戦略なのだろう。

もうひとつは、この中森明菜の歌の世界というのは、もともと彼の中にあるのではないかということだ。


カバーされた他の歌たちは、宮本浩次の隠されていた純情可憐さを引き出した。
歌いながら泣かなかった曲はない、というほどの思い入れと感情移入。「描かれている女性の怖いくらいの想いの強さみたいなものを非常に美しいものとして捉える傾向が」あると自身で分析する(「MUSICA」2023年1月号 Vol.189)、歌のヒロインの過剰なまでの純情が、それを美しいと感じている歌い手の想いとしてしっかりと歌に乗っている。そしてそれを表現できるだけのテクニックによる下支えと、オリジナルの歌謡曲風味を活かしたまま、宮本仕様にリメイクされた絶妙なアレンジによって、一途さゆえの危うさと表裏一体を成す可憐なピュアネスが浮き彫りにされる。
改めて見せつけられた類い稀な歌唱技術と、オレがオレのオレを俺俺俺と男唄を絶叫してきたロック歌手とのギャップが、その新たな魅力を照射する。

だが、この2曲はそうした歌たちとは異なる世界。
いかにも彼に似合いそうなジャパニーズロック。
その親和性こそが、両刃の剣であり、呪縛でもある。
これが歌いにくさの理由なのではないかと思うのだ。

“飾りじゃないのよ 涙は”。
‘私は泣いたことがない’。この歌い出しに「歌いながら号泣しちゃって…」と何度も聞いているファンは総ツッコミをしたけれど、井上陽水による大名曲、この歌では彼は泣かないのではないかと思う。
なぜなら、灯りの消えた街角で、速い車にのっけられても、急にスピンかけられても恐くない。宮本浩次は。‘好きだと言ってるじゃないの’。涙は飾りじゃない、真珠でもダイヤでもない、きれいなだけならいいけど悲しすぎる。だから私に涙を流させないで、と。
伝わらない気持ちが、もどかしさを通り越して苛立ちになり、豪気で気丈な彼女が、2番では ‘泣いたりするんじゃないかと感じ’ 始める。その気持ちの変遷も、宮本自身の苦悩に通じるような気がする。その部分に感情移入したなら、彼は泣くかもしれない…。歌いながら、ときおり片手で目を塞ぐような仕草をするのはなぜだろう…。

そして “DESIRE −情熱−”。
この歌こそ、歌を通して描きたいことがエレファントカシマシの楽曲に近い…ように感じる。自らの内から沸きおこる激情がまっさかさまに堕ちる、炎のように燃える、その刹那を Get up! Burning heart!と強靭なビートで歌い上げる。
これは、彼がずっと歌ってきた情熱に通じはしないか。闇の中で見えた日常こそが RAINBOW、すげえスピードででっかい渦巻の中を急降下していく《まっさかさまに‘燃える’ desire 》。その坩堝の底で、ココロに火を灯し、魂を奮い立たせ、情熱を燃やし続けたい、そんな歌たちに。
心の灯を燃え立たせる、まさに文字通り Burning heart。


だからこそロックなのだけれども、だからこそ両刃の剣にも呪縛にもなり得る。
「難しかった、いいか悪いかさえわからない」のは、それは逆に世界観が近くて「わかる」からなのではないか。似合うことがわかっているから、自分のパフォーマンスでその歌の世界を表現できているかどうか、自作の新曲と同等の緊張感があった。CDで歌声の奥になんとなく感じたとまどいの正体は、これかもしれない。


だが、この2曲は、ライヴで化ける歌でもあることは立証済み。
回数を重ねるごとにどんどん良くなる。
生バンドをバックにすれば水を得た魚。
ロックっぽくてかっこいい魅せ方ならば彼のフィールド。
『うた動画』の “DESIRE −情熱−” のかっこよかったことと言ったら!

《チャレンジ》という言葉で表現されるこの歌たちへの挑戦は、両刃の剣であるこの歌の、外に向いている方の刃を研いで磨き上げる作業。
ロック歌手にしてエンターテイナーであるところの宮本浩次の、鮮やかな剣さばきを試す場。
原曲に挑む己との鍔迫り合いに勝って自分の歌にできたと思えたなら、呪縛から解き放たれるのだろう。


まだまだ進化は止まらない。

有明「ロマンスの夜」がとても楽しみです。
期待しかない。期待を裏切られる期待は膨らむばかり。
夢はそうよ、見る前に醒めてしまったら何にもならない。



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