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歴史メンタリティって何だ?

歴史は、人や物事を多面的に見る力や多様な価値観を知ることで、人生を生きやすくできるツールにすることができると思っています。

歴史を学ぶ意味について

8歳ぐらいのときに読んだ歴史マンガと、その頃少年誌に連載していた織田信長を主人公としたマンガが楽しくて、歴史に興味を持ちはじめました。

小学校5、6年生のころに学校の図書室に偉人の伝記シリーズが新たに入荷されて、貸出カードの一番に名前を記したくて片っ端から読みました(8年後、同じ本を妹が借りようとしたら自分の名前が残っていたようです)。

中学生のときからずっと歴史の成績が良くて、その自己肯定感を維持しつづけるために常に歴史の勉強をしつづけてきました。

出版社に就職したらちょうど人文書分野を強化していて、歴史実用の企画担当を多数行えることができました。

結局のところ、自分がずっと歴史が好きで勉強してきたり本を読んできたりしてきた理由は、そんな大したものではないなと思います。


ただ振り返ってみると、歴史の勉強は、自分自身を相当に支えてくれたとも感じています。
 
なにしろ歴史とは、途方もない数の人々が好き勝手(失礼)に生きて死んだものを繋ぎ合わせてできているもの。だから一貫したストーリーや因果関係があるときもないときもあるし、「いや、そうはならんだろ(なんでそうなった)」みたいなこともたくさん。

当然、各国の歴史を並べてみれば「多様な価値観なんて当たり前」ということが分かるし、今の異端を『おかしい』と断罪することがいかに危険であるかも教えてくれるし、「世の中は変化していくことが当たり前」ということも実感できる。

そのおかげで、自分の理解を超えたものや変化に出くわしても、致命的な精神的ダメージを負わずに生きてこられたと思うし、“生きづらい”といわれる今の世界も総じて見ればそれほど悪くはないと思えています。

素人だからできる、生きやすさツールとしての歴史

このnoteでは、日々の生活になるべく多くの心の平穏をもたらして“生きづらさ”を和らげられるよう、歴史を学ぶ上で意識していた多様な見方や、それをどのように活用しているのかをアウトプットしたいと思っています。いわゆるキュレーションというやつになると思います。

といいつつ結局はただ好き勝手に歴史の素人意見を述べるだけで、そんな高尚なものにはならないだろうなとも思っていますけどね。

【注意】
このnoteはあくまで、歴史を学び自分なりに心の平穏に役立てよう、という趣旨で作成しています。もちろん過度な拡大解釈や曲解などは控えますが、歴史に関する正確な出来事の教授や解釈・考察を議論するようなものではないことはご了承ください。

  • 今の世の中は、これまでのたくさんの人たちの願いの積み重ねによって築かれたものである

  • 普遍的な価値観はないし、いま正しいとされることも間違っているとされることも、未来にどう評価されるかは誰にも分からない

  • 思っている以上に、人は願いや思い込みなどをもとに生きている

正しいことなんて誰にも分からないし、多様な価値観があることなど当たり前で、一人ひとりが分かり合えないことも当たり前で、そこにいちいちストレスを感じる方がおかしいけど、その“ストレスを感じてしまうこと”があるから人は歴史を紡ぎ、社会は進化をし続け、自分達はその進化の果てを享受し、そしてこれからも自分がいようといまいと人と社会は進化をし続ける。
 
多様な価値観があふれ、大量の情報が日々飛び交い、“生きづらい”とされる世の中で寛容さとバランス感覚を保つために、歴史を学ぶことはとても有効なツールだと感じています。
 
歴史を学び、多様な価値観を恐れず、時に理解に苦しむ偉人の行動に対して背景を考察し、一定の共感性と逆に崇拝しすぎない距離感を保つ。自らの常識や当たり前が、いかに相対的なものであるかを知り、自分を知ることで相容れなかった他者を自分の中に融合させていくことができる、人生を生きやすくするメンタルを身につける。それを私は勝手に「歴史メンタリティ」と呼ぶことにしています。

趣味として楽しむ歴史素人の私たちは、自らの歴史的解釈に対して学術的に正しいかどうかの責任を負われる範囲は狭いと思います。そうした“趣味の範疇”という立場を活かし、歴史を様々な立場から複合的に考察し、勝手に自分の生きるヒントにすることができるのは、私たち歴史素人の特権とも言えると思います。

【歴史メンタリティの(勝手な)心得】

◯歴史とは、日々変化・揺らいでいくもの

◯歴史上の出来事を、賛否で評価することはできない

新しい資料の発見だけではなく、私たちの価値観や世界情勢、トレンドなどで、歴史の評価や捉え方、それどころか功績までも簡単に塗り替えられていくのが歴史。「良い」「悪い」の判断基準自体、現代の日本の価値観に基づいた恣意的なもの。

 だからこそ、私たちは史実とされているものの様々なアプローチや捉え方を知り、正面から受け止めすぎずに、かといって否定もせずに、柔軟に軽やかに受け止める メンタリティを身につけていくことができると思います。

◯人の気持ちは分からない

◯本人も、自分の気持ちが分からない

結果や背景は知ることができても、本当のところどう思っていたのかは分からない。そして人には自分が認識していること以外に、無意識化の判断・行動があり、それは本人でさえよく分かっていない。これは、現代の人間はもちろんのこと、過去の偉人にもあてはまることだと思います。

だからこそ、私たちは歴史から学び、その人の意志を肯定的に勝手に考察でき、それを自分のメンタルコントロールに生かすことができると思います。

◯物事には必ず「横」と「縦」の背景がある

異端や突然変異のようなことにも、必ずそれが生まれる背景がある。そして背景とは、その瞬間に社会で起こっていること(横の背景)と、何年・何十年・何百年と積み重ねられてきた文化や価値観など(縦の背景)があり、これらが複数・複層的に重なって起こっていることだと思います。

だからこそ、私たちは歴史的事業が起こる背景の深さを知ることで、自らの人生に起こる理不尽や不可解にも短絡的・感情的に反応しすぎることをコントロールし、深い考察で受け止めることができると思います。

◯なるべく多面的に、そして肯定的に捉えてみる

生きやすくなるためのヒントは、他者を断罪することより、理解し肯定すること。歴史メンタリティは、それを再現性ある方法で自らにインストールするための価値観のTipsとなることを目指したいと思います。

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