第二章:子供のその後

そうして魔法使いはいつまでも気の利いたセリフを言わなかった。

大人が嘘でも子供に対して言うであろうセリフを魔法使いは言わない。例えば「貴方がいてよかった」とか「あなたが大好き」だとか、善意の育ての親が子供に対して言うであろう場面で、一度もそのように接しなかった。

いわゆる”物語に出てくるようなロマンティックで華やかで明るくて人を喜ばせてくれるよくある定型句”をことごとく発言してくれなかった。

嘘でも、一度でも、魔法使いがそんな気のきいたセリフを子供に言ったとしたら、子供は魔法使いを親のように慕っただろう。魔法使いもそれを利用して心をコントロールすることも容易だっただろう。

だがそんなことはしなかった。魔法使いはそのことを知らないわけでも知能がないわけではない。

子供は魔法使いの家に住んで長い月日がたったので、魔法使いの常識的に見て不可解な態度や、自分の魔法使いへ対する上手く口にできない”気持ち悪さ”も不安も特に気にならなくなった。

何不自由ない規則正しい生活、将来のためになる学問(魔法使いはとても教えることが得意だった)話術の上手い召使いとのボードゲーム、飼い猫のブラッシング、作られた充実と絶対的な安心が不満や違和感を感じさせる余地を失わせたのだった。

娘は取り立てて美しいわけでも不細工というわけでもない普通の容姿だったが、魔法使いの手入れによって魅力的に育った。

特に知性と教養がにじみ出る立ち振る舞いが彼女の姿を美しく見せた。それなりの男性のお眼鏡にかなう機会も少なくない。

少なくとも街道で男とも女とも思われなかった時からすれば、予想以上だ。娘は自分の美しさがまんざらでもなかった。しかし、年頃になっても他の娘たちとは違い、その美しさで男を楽しむことはなかった。娘は幼いころに凌辱されたことがあったので男が憎かったのだった。

だから代わりに男を誘惑して引き寄せ、その気になったところをこっぴどく拒絶する遊びを楽しんだ。

それはボードゲームで召使いをやり込めるときの楽しさと似ている。相手の思考を読みながら、相手の常に上を行って場をコントロールする。勿論予想外のこともあるがそれを駒を使って勝利に導く。優越感とスリルの組み合わせだ。男とは、娘にとって自分の美しさを自覚するための信憑性のある鏡に過ぎない。

「私がなぜそのようなことをするかは魔法使いも知らないことだろう、魔法使いは武骨で人の心がわからないのだろうから…」と娘は思っていた。親代わりの魔法使いに対する娘なりの子供じみた反抗だったのかも知れない。

そんなとき、ガタン、という音がした。外のゴミ箱が派手に倒されている。よく覗くと走る男がいた。街道のものを倒しながら進み、時折転倒しかけ、かなり慌てている様子だ。

何事かと思うと後ろから何かが追いかけてきていた。娘の耳に不意に”貴方はできるようになりなさい”という声が聞こえた気がした。

理由はなかった。可愛らしい猫がニャーニャー鳴いたら撫でたくなるようなものだ。その猫がどんな猫かも知らないのに家で飼おうとする。

猫を撫でてみたい。特に理由のないことだ。

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