第八章:私はなぜ救うのか

実際宝石職人が死ぬかどうかはどうでもよかった。

既にすべてを失っているのだ。

ところで地中に埋めておいた宝石は無事だったようだ。

魔女は人里離れた場所に移り住み、宝石を使って生活した。彼女一人であれば宝石職人がいなくても生きていけるだろう。

魔女は宝石と子猫を交換しようと思い、学者風の姿に扮して街へ出かけた。


目当ての猫を買って店の外に出ると、さびれた街道にみすぼらしい子供が座っている。住む家がないのだ。

痩せこけて容姿は醜く、臭いもひどく、猫のように撫でてやりたいとすら思わない。髪は切らずに伸ばし放題で子供が男の子か女の子かすらよくわからなかった。

珍しいものではない。ここでは親がいない見捨てられた子供はいくらでもいるのだ。しばらく物乞いで生きていけるが、そのあとも誰かに愛されたり、あるいは芸があって生き残れるのはほんの一握りで、殆どは大人になってなんの教育も受けなかった彼らは殆ど相手にされず、殆どが酷い仕事を任され、病気になり恋することも知らずに死んでいく。

この中の一人がいなくなろうが救われようが誰も気に留めない。

全てを救うとしたら何人の宝石職人が倒れるだろうか。

一人くらいなら養えるだろう。しかし誰も養おうとしない。

一人を助ければ一万人がなぜ私のほうを助けなかったのかと恨みごとを言い、この世界の助けなかった人全ての罪悪感が増す。助けない自分たちが恥ずかしくなるが、助けたくはないのだ。

それ故、彼らは救った側を「偽善者」と呼ぶ。彼らから総出で「人を救うのは偽善だ」「焼け石に水だ」だと責められるだけだろう。口々に助けない私のほうが善だというための証拠を投げかける。自分が善だとはさすがに言わないが、自分が正しいとは思ってもらいたいのだろう。

それが貧しい人でもそう口にする人は多い。むしろ貧しい人に多い。自分が救われないのであれば、誰かがいい思いをする慈善など糞よりも憎いのだ。

特別で一時的な災難は別だ。支援が一時的で済むからだ。しかし継続した問題はいつまでも見過ごされる。特に自分の隣にある問題は見なかったことにしたい。とりわけ、こんな酷い臭いをしている汚い人間に対してはそう思うのだろう。

1人を救って2人しか幸せにならず、他の全てから妬みを買いたいと思う人はあまりいない。だから家族までだとか、友達までだとか、あるいは同じ国、同じ宗教、同じ健常者…など、何かの理由をつけて救う人を厳選しなければならない。

見捨てられた場所は見捨てられたままになる。そうあってほしい。なぜなら自分は未だ見捨てられていないからだ。まだ死骸の宝石を拾える側だから。だから見捨てられるものは見捨てられたままでなければならない。私は努力で勝ち取ったので見捨てられるものは見捨てられたままにしなければならない。私は救われる側で、この人たちはそうではない理由が欲しいのだろう。

それこそがこの国の平和の基盤だ。

魔女はよく知っていた。

この中の一人を助けることに自分と社会には意味はないと。

だから魔女は言った。

「おいで。」

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きれいな服と食事、そして物語風にした子供が楽しめる教育(魔女はとても教えることが得意だ。)、毎日を過ごす暖かい部屋と眠る場所、そして小さな子猫、

魔女は子供に全て与えた。

わあ、と子供ははしゃぎだした。風呂に入れて髪の毛を整えて服を着せてやればなかなか可愛いものだった。

子供は男の子だった。

男の子は魔女に質問をした。

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この魔女の物語はここでいったんおしまいです。お疲れ様でした。

(有料部分には、

物語とは全く関係ない、とてもつまらないし、

一行しかないとっても短い”あとがき”があります。)


この先の男の子の物語は、

寄付額が総額10万円を越したら公開するつもりです。

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