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ただ「目」が描きたいだけでした

子供の頃は絵をかいていれば幸せだったな。でも外遊びも大好きだったな。雨の日はお絵かき、本読み、晴れてる限りは外で遊ぶ。子供の見本やん。必死で遊んでたな。ドッジボールもバレーボールも命がけ。でも命がけでやってたのも10分後には忘れる。

遊んでくれる友達を延々探す。塾や習い事で子供も忙しい。遊んでくれるなら、正直、小さい子でも大きい子でもよかった。顔を知ってるだけの子でも、お母さんが遊んじゃだめって言ってた子でも遊ぶ。危険なことに出会わないで大人になれたのは感謝しかない。何に?自分の運とか、忠告してくれた大人やご先祖様とか氏神様とかかな?

無神論者だけど、いつからかそこに鎮座ましまして其処で遊ぶ子供らを護ってくれてる(?)お地蔵様に出くわすと思わず頭を垂れる。江戸時代よりもっと昔々、飢饉や洪水の際に、村人の誰かが祈りを込めて彫ったのかな。粗末な道具で食うや食わずの生活なのに。そんな自分のことも顧みず、お地蔵様を作った無名のスカルプターに想いを馳せる。粘土や絵の具を洗うのが嫌でデジタルでやってる私よ。恥ずかしいわ。いい時代に生まれたことを感謝し、利他の心で生きたスカルプターたちに涙と空想が暴走する。
絵が描けるだけで幸せだな。







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