「ネコ撫で声の、ホントの声」アミ(事務員&キャバ嬢)

キャバクラのVIPルームの片部屋でこれから面接が始まろうとしていたとき、店長が一旦席を外した。
漏れてくる音を察するに、どうやら隣の部屋にお客が入ったらしい。こんな早い時間からVIPルームなんてこの店は景気が良いねえーと軽口で女の子の緊張をほぐしながら、僕は女の子と面接再開を待っていた。だがこのあと、僕たちは思いの外待たされることになる。

「ごめんねケイトくん、もうちょっとだけ待ってて」と店長がわざわざラインしてくるあたり、よほどの太客なんだろう。
良いでしょう。この場は僕が持ちますから、お任せくだされ。女の子の気持ちは水物、一滴たりともこぼしゃしませんよと意気込んでみたものの、どうやら僕の話はあまり刺さらなかったようだ。時間と共に、明らかに女の子のやる気が失せていくのがわかった。やっべえ。

隣の部屋では、早速カラオケが始まった。
陽も陽かよ、早く来てくれ店長、、、と内心焦りながら、微かに聞こえてくる歌声に僕は耳を預けた。
「駐車場のネコはアクビをしながら〜」なんて男の声で聞こえてくるもんだから、若い女の前でモテに走らないその客が余計に恐ろしかったが、「あ、ゆずだー」と女の子が反応してくれたことをきっかけに僕は場を盛り返していく。

駐車場のネコといえばこの前、久しぶりに帰省したときの話なんですがね。地元の駅に着いたら、だだっ広い駐車場を通るんですよ。
いつも通り僕がそこを横切ろうとしましたら、敷地内の自販機から急に何かが飛び降りて来まして、見たらそれはネコなわけですよ。野良のネコ、真っ白な野良ネコさんだったわけです。
実家にはちょいと広めな庭がありますから、野良ネコっちゅうもんは子供のころからよく見てきたわけですけれども、野良は逞しいですよ。
笑っちゃうくらい体もムキムキですし、発情期は毎晩ウァーオ、ウァーオですから。だからあいつら、シーチキン持ってったくらいじゃニャーニャー来てくれないわけです。
ところがですよ、その白ネコは僕のところにまっすぐやってきて足に絡みつくんです。僕の歩調に合わせてスラロームしながら、それはそれは気持ち良さそうな目つきで、ニャーと鳴いて顔を擦り寄せてくるじゃありませんか。
その可愛さたるや、長年連れ添った飼い猫。いや、それ以上と言ったって決して過言じゃありませんと一席始めながら、僕はアミさんのことを思い出していた。




僕より5つ歳上のアミさんは、初対面の時からおおらかで、明るい人だった。
街で知らないヤツがいきなり声をかけてきたら、ふつう多くの人はシカトする。でもアミさんは「どうしたの?」と、逆に笑顔で僕をリードし始めてくれた。新人だった当時の僕は背伸びするのをやめ、その優しさに自然と身を委ねていく。

アミさんはダブルワークのキャバ嬢で、昼は事務の仕事をしていた。その後も街で会うたび、彼女は僕にコーヒーをご馳走してくれた。見返りに「てか聞いてよ」なんて愚痴を始めることもなく、むしろ僕のことを色々掘り下げて相談に乗ってくれた。

出会ってから一年ほどして、アミさんは僕に新しい店の紹介を頼んだ。クセのない見た目とその明るさから、ほとんど労力なく店は決まった。
その後も客ウケよし、黒服の評判よし、と文句のつけようがないさすがの彼女。何もかもがうまくいっているはずだった。

ある日、飯を食おうとカフェバーに入るとアミさんがいた。紹介以降、会うのは久しぶりだった。彼女は友人らしき女性とお酒を飲んでいたが、僕に気づくと笑顔で手招きした。友人も嫌がるそぶりを見せなかったので、僕はそこに同席することに。



「わたしさ、最初、へらへらしてると思わなかった?」

1時間ほど経った頃、唐突にアミさんが言った。
へらへらとは思ったことがないけど、言われてみれば、ふわふわはしてたかもしれないですね。

「でしょ?わたしね、そうやりながらさ、相手の反応見てるの。そうやってバカやりながら、向こうがどう出てくるか見るわけよ」

僕は、その作為を一度も感じたことがなかった。気づかぬうちに自分も試されていたと思うと少し怖かったが、今こうしてここにいるということは、そのテストにパスできたということだろうか。

アミさんは、ビールを3杯とレモンサワーを2杯飲んだところだった。隣の女性は同じ店のキャストらしい。彼女は、アミさんよりもハイペースで酒を飲んでいる。
そんなことしてたなんて、全然気づかなかったですよ。

「ねえケイト。あんたさ、なんでスカウトなんてやってるわけ?」

あんたさ、と僕を呼ぶアミさんは初めてだった。タバコを吸う彼女も、少し睨むように見つめるその視線も初めてだった。何がそうさせたのか、ただ彼女は、かなり酔っているようだった。そしてどうやら、僕の返答が気に食わなかったらしい。
なんででしょうね。でもひとつ言えるのは、僕が未熟だからなのかもしれません。

「あんた良い大学出て、口も回って、顔だって悪くないのに、いくらでもいい会社入れたでしょ。なのに、なんでここなわけ?わたしのことバカにしてんの?」

なぜこんな話になってしまったんだろうと記憶を探っても、素面の僕でさえ、ことの発端が掴めなかった。隣の女性は顔を赤くしているものの酒には強いらしく、こちらを煽りも止めもせずに自分のペースで酒を飲み続けいていた。
いやいや、僕がアミさんのことバカにしてるわけないじゃないですか。だがそれは、火に油を注ぐようなものだった。

「わたしはさ、高卒で事務の仕事してさ、でもそれだけじゃお金が足りないから夜も働いてさ、バカな女のふりして笑顔振りまいて、それなりに楽しくもあるけどこれ以上の生活したいって思っちゃったらもう体売るしかないのかなあって考えて、けど我慢、我慢ってできるほどできた人間でもないし、そこまでしたくないから体力の許すかぎり時間売るしかないんだよ。あんたにさ、わたしの気持ちがわかる?わからないよね?あんたみたいなできた人にわかってほしくなんかないもんね。そんなの、惨めなだけだもんね。でもね、ケイト。あんたもかわいそうなんだよ。あんたが相手にする女なんてさ、所詮わたしみたいな女だよ。何もできなくて、でも何かできると思ってるバカな女だよ。きっと、スカウトなんて仕事は簡単だと思うな。誰でもできる楽な仕事だと思う。でも、ケイトにとっては難しいだろうね。あんたにはわたしたちの気持ちがわからないと思う。わたしたちも、あんたの気持ちはわからない。だからさ、この先もスカウト続けたいならどっちかじゃないかな?子供と遊ぶみたいに、相手と同じ目線にしゃがんで甘えさせてあげるか、こいつはクズだってとことん相手を見下して、上から目線で話すか。でもケイト、あんたには両方難しいでしょ?」

乱暴なようで、アミさんの言葉は核心を突いていた。その後の僕は、言われた通りの壁にぶち当たることになる。
女の子の目線にしゃがみ込んでみれば、延々と繰り返される幼稚な話に僕のプライドが拒否反応を示した。反対に、黙って聞けよと一方通行に接してみれば、感情という名のカウンターが僕の心を何度かクリーンヒットした。
かなりの間、僕はそのふたつを行ったり来たりすることになる。アミさんが言った通り、僕は自分をどこに置けばいいのかわからなくなっていた。

だが、あんなに僕を責め立てたあの日のことを、アミさんは覚えていないらしい。もしかしたらとぼけているだけかもしれないけど、アミさんの表情はこれまで通りだった。
相変わらずおおらかで、明るくて、客に愛想がよく、黒服たちからも信用され、「ケイトー!」と笑顔で手を振るいつものアミさんがいるだけだった。

果たして自分はどういう人間なのか。迷路のように出口のない日々を、僕は彼女に相談しなかった。なんとなく、それだけはしちゃいけない気がしたからだ。出口は自分の足で歩き切るしかないのだろう。そんなわかりきったことが、意外と難しかったりもする。僕は、アミさんのような強い人間になりたいと思った。


さて、そんな見ず知らずの僕に野良の白ネコがこれでもかと甘えてくれてるわけですから、エサのひとつでもやらなきゃ男が廃るってもんです。
とはいえ、食べ物らしき食べ物がひとつもありません。駅に戻ればコンビニがありますから、ネコ缶でも買ってやれます。ですがそのときの僕には、食べ物以上に時間がなかったんですねえ。
お前さんごめんな、愛でてやりてえ気持ちはあんだが、先を急いどる身なもんで、ここは容赦してくんねえか。
ネコは、ずっと僕についてきながら甘えております。ニャー、ニャー、ニャー。お前さん、そんなに僕のことが好きなのかい?ニャー、ニャー、ニャー。
ああそうか、そうなのか。それならもうしばらくの辛抱だ。このままもう少し歩けば、僕の家だ。さあ行こう。このまま一緒に、僕のお家へ。
とまあ、しばらくそのネコは僕の足下にい続けたんですが、広い駐車場を抜けた途端、足が軽くなったんです。
見ると、ネコがいません。そいつは、駐車場の敷地で止まっていました。何度かこちらを見たまま鳴き、僕が戻りそうにないとわかると来た道を戻っていきました。そして、もといた自販機の上に飛び乗ったのです。

店長が戻り、ようやく面接は再開された。機嫌を取り戻した女の子は、面接では笑顔を浮かべていたが、どうやら体験途中に居眠りをしたらしく、結果は不採用となった。
僕の駐車場のネコ話を聞いたとき、「変なネコ」と彼女は言った。「でもキャバ嬢みたーい」と笑いながら。

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