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故郷に戻してもらえない朝鮮人労働者が怒りを爆発させる

 宮城県宮城郡多賀城村所在横須賀海軍施設部多賀城工事場管理菅原組配下新川組多賀城出張所に於ては客年12月北千島より転換せる鮮人労務者360名が、本年7月25日を以て期間満了となるを以て之を更に1ヶ年継続就労せしむべく、7月14日事業主主体となり特高課、協和会関係者協力の下に定着指導奨励会を開催せり。然るに之より先之等労務者は従前の作業場に於ける事業主の酷使に対し相当憤懣〔ふんまん〕を抱蔵し〔心の中にもっていて〕、何れも期間満了せば直ちに帰鮮せんとする気配横溢し居りたるものの如く、而も偶々〔たまたま〕右奨励会席上に於ける朝鮮語通訳が所轄署員の挨拶を通訳するに当り誤訳し隊長の了解にて全員が定着就労することに決定し居る旨を告示したる為、一同は憤慨し「隊長の措置不都合なり、隊長をやっつけろ」と怒号し席を脱して隊長を襲撃するに至りたり。而して隊長が事前に避難したる為目的を果たし得ざりし一同は之が鬱憤を事業主に向け、大挙して右組長佐川某及菅原組鮮人労務係藤山某らを襲ひ鉄拳或は薪にて、殴打し且臨席中の警部補(県特高課員当時私服)を同組員と誤認し薪にて殴打し夫々佐川、藤山の顔面其の他に全治一週間、警察官の眼瞼其の他に全治3週間を要する裂傷を加ふる等暴挙を逞くせり。為に右定着指導は混乱の為頓挫するに至りたり。

(出典:「特高月報原稿」、朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成』三一書房、1976年)

●解説
 刊行されなかった『特高月報』の原稿の一部。戦争末期になると、『特高月報』は、原稿は作成されても刊行はなされなくなった。戦後、この原稿は米軍に接収され、後に公開されている。紹介した文章は、1945年8月報告分としてまとめられていたものだ。
 「募集」や官斡旋を含め、日本内地に動員された朝鮮人労働者の就労契約は、2年と定められていた。これは、日本への定着は困るという考え方によるものだった。実際に、期間満了で帰郷した労働者もいる。ただ、戦争が長期化し、深刻な労働力不足が続くなかでは、朝鮮人労働者は雇用主にとって貴重な存在となり、手放すわけにはいかなくなっていった。そこで雇用主は、朝鮮人労働者に就労期間の延長を認めさせようとした。
 しかし、もともと望んで日本に働きに来たわけでもない者や、望んで来てはみたが酷い待遇に苦しんでいた朝鮮人たちは、期間満了すれば、すぐにでも故郷に帰りたいと願った。
となれば、雇用主は、無理やりに契約を延長するほかない。だが朝鮮人労働者は何としてでも帰郷を望む。そのため、労務係などとの間で衝突が生じる事例が多発した。
 この史料では、契約期間延長を認めさせる「定着指導」が特高警察の立ち会いのもとで行われ、その結果、暴行事件が発生した事実が記されている。通訳の間違いを事件のきっかけとしているが、根本的な原因は、働き続けるのは嫌だという朝鮮人に期間延長を無理強いしようとしたことにある。
 加えて、注目されるのは、「従前の作業場に於ける事業主の酷使」という部分だ。前の職場で酷い扱いで使役されていた、ということである。この原稿の作成者はそれ自体を否定していないし、問題にしてもいない。戦争末期、朝鮮人が酷使されるのは当たり前で珍しくもなかった。そのため、警察担当者の感覚はもはや麻痺していたのであろう。
 なお、その後、宮城県では憲兵隊や海軍施設部も交えて朝鮮人労働者と「懇談」を持ち、期間延長を認めさせている。