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aftersun/アフターサンを観た

映画『aftersun/アフターサン』を観に行ってもう70時間くらい経過しているんだけど、ずっと、ほんの少しでもつつかれたらはち切れそうなくらい、いつでもうっかり泣いてしまえる生活を送っている。

すごい映画だった。

ストーリーは11才の娘と31才の父親がトルコで過ごしたひと夏のホームビデオを、父親と同じ年齢になった娘が振り返るという構成。

映像の綺麗さや音楽の良さはともかくとして、きっと観た人全員が「おもしろかったね!」と言い合って帰る作品ではないと思う。
すごく対象をえらぶし、実際私は付き合ってくれた夫に人生最強の退屈な110分を過ごさせてしまった。

それでも、本当に、すごい映画だった。


こどもがうまれ、養育し、庇護する立場になったからと言って、すぐに完璧な「親」になれるひとはいない。
大抵の親は「親スーツ」のようなものを用意して、こどもと過ごす時はなるべくそのスーツを着用するよう努める。

私も息子が人生に登場して以来そのように彼と関わってきたけれど、もともとのキャパシティや能力、精神性の問題で、私の用意できた「親スーツ」はびんぼっちゃまくんのびんぼうスーツのような形状だった。

前面から見たらなんとか「親」であるように見えるけれど、後ろは完全におしり丸出しの丸腰状態。
私が「親」としての6年間つねに体ごと息子のほうを向いて、全身全霊の全力で向き合ってきたのは、ひとえにこのおしり丸出しの背面を見せないようにするためである。

すこしでも気を抜いたら自分がどろどろに液状化して""本体""が顔を出してしまうことは明らかだった。びんぼうスーツのような張りぼてのニセモノ親スーツを着用して、なんとか騙し騙しここまでやってきたのだ。毎日、背中を見せないことで精一杯。

aftersunの父親カラムも、明らかに精神的に問題を抱えながら一生懸命丸腰の「背中」を見せないように娘のソフィと向き合っている。

ほかほか眠る息子の隣の部屋で声を殺して嗚咽する夜や、いつも一生懸命「大丈夫」なふりをしていること、それでもたまに自分の余裕が足りなくて映画のなかで例えるならあの「カラオケの夜」のようなさみしい思いを息子にさせてしまうこと、翌日心から謝ること、息子は私を許すしかなく、私はそれでまたひとつ自分が許せなくなること。

何もかも身に覚えがあって、最初から最後までずっと胸がつぶれる思いだった。

Under Pressureが流れるシーンからはそのままずっと泣きっぱなしで、ただこのこころの動きはあまりに私の個人的なものだったため、
感想を言い合う前から隣にいた夫はさぞや退屈だっただろうなぁと思うと、エンドロールの間は涙を乾かすことに必死だった。(全然乾かなかった。)

こどもの肌に日焼け止めを塗ること、ローションを含ませたコットンで保湿すること、心から心から心から大切で愛しているという気持ち、なんでも話してほしいしなんにも話さなくてもいい、あなたのどんな助けにもなりたいという思いと、
あの真っ暗な海のような底なしの孤独は完全に両立する。

こんなに空洞をかかえたがらんどうの人間が「親」をやっていいのかとほんの少しでも自分を顧みてしまったらもう一歩もあるけなくなることは分かりきっているので、ただひたすら、私は自分の用意できたびんぼうスーツ状の「親スーツ」で息子に背面を取られないよう、カバディのように彼と向き合い続けていくのだ。

最後に空港で別れるとき、エスカレーターをひとつ上るたび父親を探し、おどけて見せながらだいすきだよ!と叫ぶソフィは、毎朝3秒に一度振り返っては私の姿が見えなくなるまで手を振ってくれる小1の息子にどうしたって重なる。
愛していて大切で特別で何よりも守りたくて、こんな愛情をもらえる資格が自分にある自信は全然なくて、向けられる信頼のあまりのまっすぐさに途方に暮れてしまう。あの感覚。

何はともあれ私は終盤泣き通しで、退屈しきって疲弊している夫とぽつぽつ感想を話すにも、すこし気を抜いたら大声で泣き出しそうだった。

とても、とてもすごい映画だった。とんでもない映画だった。
私のような方へ、本当におすすめです。
(そんなひといる!!?????)


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