私の中にも絶対にあるものとあの人も私かもしれないこと

九人にもちゃんと名前があるんです

福田村事件より

ドキュメンタリー作家の森達也監督が好きでして。
自分の思想にかなり影響を与えている存在というか、自分が長年持っていて言葉にできなかった自分の軸になっているものを言語化してくれた存在というか、とにかく好きです、はい。

その森監督が初めて劇映画を監督されたということで上映が始まってすぐに観に行った「福田村事件」

先日、会社で音楽好きということでたまにおしゃべりしている別の部のオジサンUさんが、私の部に来てまたおしゃべりしていた時に「福田村事件」をご覧になったとのことで話が盛り上がりました。
いや、会社でこういう話ができるなんてビックリなので思わず私も素になって(基本、ゆるい部署なので素に近い自分ですがやっぱり会社だと抑えめにしておりますw)あれこれ語ってしまいました。

そのおしゃべりの場にいた私の上司は未見とのことで翌日早速観に行かれたて、その時に私の分のパンフレットも買ってきてくれまして(当日は行列で買えなかった)早速、仕事の合間をみて読んでいます。

その中にその当時あった事件の年表があったのですが、そこに水平社宣言が掲載されていました。
ちょうどその前日に相方氏が水平社のことを話していて、実はわたくし、不勉強なことに水平社を全く知らなかったんです・・・。
劇中にも水平社宣言が出てくるのですがわからないで観ていました。
で、「あ!これか」と読んだわけですが・・・・彼らの色んな思いがものすごく伝わってきて感極まってしまいまいした。

福田村事件を観ていても思うのですが、
誰の中にも、もちろんもちろん私の中にも「差別する気持ち」は絶対にあります。
「絶対にない」と言うことは私は危険だし傲慢なことだと思っています。
悲しいことではあるけれど、
自分の中にあると思うからこそ、常に意識し敏感でいようと思うのです。
無知であると認識するからこそ、知ろうと思えるのです。
と、あくまで私個人はそう思っています、はい。

冒頭の言葉は
朝鮮人に間違えられて殺害された香川から来た薬の行商団の中で生き残った男の子がつぶやく言葉です。

殺害された人たちも私と同じく日常を生きる人です。
「あいつら」じゃない、
泣いたり笑ったり怒ったり食べて寝て幸せに生きていきたい人間です。

鮮人だから殺していいのか

福田村事件

村の自警団に囲まれた行商団の沼部(永山瑛太)が叫んだ言葉。
彼ら行商団は被差別部落の出身だったそうです。
次々と仲間が殺されていく中、残った者たちが突然、水平社宣言を暗唱しはじめます。

吾々は、必ず卑屈なる言葉と法懦なる行爲によって、祖先を辱め、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが何んなに冷たいか、人間をいたはる事が何んであるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

水平社宣言

人間が生きてきた歴史の中で多くの踏みにじられた人権があった。
でももうそういうこと、なくしたい。
だって、
私は自分の権利を踏みにじられたくない。
不当な差別は受けたくない。
理不尽な理由で傷つけられたくないですもん。
同じように、あの人だってこの人だってみんなそうなんです。
私は自分の幸せを一番に考える。
でも、1人だけ幸せになるのではなくみんなも幸せでいてほしい。

だから
私にもある差別の気持ちを、見て見ぬふりしない、直視する。
目の前で起こる残酷な出来事は
間違いなく私の世界=私が生み出している現実であることを否定せず
私は私の平和を目指し行動したい。

そんな風にあらためて思いました。

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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