1/19の滴り「そっちの方がすげ~~~ってショスタコヴィッチ三郎太が言ったからって」

こういうつぶやきをした。

私が長年「コノヒトはこういう人だ」と思い込んで
(その裏には単純で腐臭漂う感情があって)自分よりも下に見ていた(端的に言うと完全に馬鹿にしておったわけですよ、はい)人が
実は全くもってそうではなく
あんなこともこんなことも考えている人で
かつ、あんなことまでできて、それが自分のソレよりもずーっと優れていたということだ。

(なんと抽象的すぎる説明・・・・・。ま。いいか、コレ、基本はあたしの日記みたいなもんだし(ただし日記を書いていて、でもこれもしかしたら誰かに読まれちゃうかもクフフっつって、鍵付きの日記なのにわざわざ鍵を閉めないで机の上にわかりやすく置いておくっていう、そういう日記)。

「あんなことまでできて、それが自分のソレよりもずーっと優れていた」というのは、
生きていれば何度だってそういう目にあってきていて
特に私は、自分のソレをちっともいいと思っていないので
誰のを目にしても「そっちの方がすげ~~~~~!(←ショスタコーヴィッチ三郎太)(懐)」って思う。
そして、悔しさと自己卑下を隠すために
その対象を「憧れ」「尊敬」に変えて「あなたは素晴らしい!サイコー!」とかって崇めたりする。
そうすると楽だから。
でもその裏側は単なる僻みと妬み。

でもその対象が長年、自分より下に見てきた人だったら
なかなかそう単純にはいかない。

***

そもそも。
誰かを上にみるのも下に見るのも結局は「比較」だ。
優劣をつけてジャッジして蔑むか崇めるかしている。
そこに潜んでいるのは
自分を蔑ろにしているという事実だ。
本当の真っ裸の自分を見ていないからだ。

***

ごめんなさい。
私はキミを蔑んでいた。
何も知らないくせに。
キミは素晴らしい人だ。

でも、それは私が駄目な人であるということではない。
キミも素晴らしい、私も素晴らしい。
キミは持ってないものがあり、私にも持っていないものがある。
ただ、それだけだ。

でもでも、
私はキミが大好きだから、
キミをリスペクトするし、協力する。
キミがわからないことは、私が補おう。
私がわからないことは、キミに補ってもらおう。

それだけだ。
誰に対しても、そういうことだ。

***

ということに今さら気づかされた。
今まで生きてきたことってなんだったんだよ。
本当に何もわかってないんだ、私は。
わからない人生を、長年かけてわかるようになる。
そのために生まれてきたのかもしれないな。
愚かに見えるかもしれないが、
昔も今も数多ある人生の中で、そんなのがあってもいいかもしれない。

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