1/20の滴り「500円のお弁当は悪くない」

割と偏食なので、
いわゆる市販のお弁当というものを普段ほとんど食べないけれど、
今日はわけあって500円のお弁当を買って食べた。
最近、スーパーでもよく売っているけれど安いのにおかず満載ですごいことになってるね、お弁当。
自分が食べられない食材が入っていないものをチョイスしていただく。

お腹がすいていたのでまあそこそこおいしく食べていたのだけれど、
口の中でもぐもぐしていたときに急に感じたことがあった。

「ん?これってなに??」

いや、口に入れたのはハンバーグだ。
でもなんだかハンバーグじゃないような気がしてきたのだ。
そしてコロッケ、ソーセージ、野菜炒め・・・・口に入れるもの全てが
なんだかそうであってそうでないものに感じてきてしまい
半分も食べずに残してしまった。

挙句の果てに吐き気までしてきた・・・・・。
う~ん・・・・そうか、この数々のおかず揃えて500円となるときっと、ね、うん、そうだよね・・・・。
咄嗟に「これは人間が食べるものじゃない」という考えが浮かんでしまった。
そしてすぐに取り消した。
そういう考えはなかろう、私よ。

だって、これだけのものを500円でいただけるなんて
経済的に困窮している人たちにとってはありがたいことではないか。
実際に、そうやって暮らしている人を私は知っている。
500円のお弁当をさらに値下げしたものを毎日食べている人を知っている。
そのおかげで生きていけている人がいる。
そして、こういうお弁当を作り、売ることで利益を得ている人たちだっている。
作り、売ることでお給料をいただきそのお金があって子供が学校に行けてご飯を食べて家族で暮らしていけるのだ。
なのに私が単純に否定して非難していいわけがない。
もし、私が今の暮らしではなく何かがあって経済的に困ったりしたときに
このお弁当を食べないでいられるのか?

悪い側面しか見ないのは自分のよくない癖だよな。
と思いつつ、でも私がこのお弁当をおいしくないと感じたのは事実なのだ。
アーユルヴェーダでいうところのオージャスがない食品だと感じたのは本当のことなのだ。

誰もができるだけ安全な食べ物を食べられる世になるといい。
夢みたいな話だけれど、そう思った。
そして今、自分ができることってなんだろうと考える。

私の信条「まずなによりも自分」ということで考えると
やっぱり食べ物を大切にすることか。
安易に買って食べ残して捨てるというのはもうやめよう。
値段に関係なく、その状況に応じてでいいからできるだけ自分がおいしいと思うものを選択しよう。
嫌いなものを無理して食べるとかはしない。
食べ物を大切にするってそういうことじゃないよね。

そしてフッと思い出したことがあった。

以前、ジョーティッシュ(インド占星術)を観ていただいた時に
「✖✖✖だから(理由失念、後で確認要)あなたはフードドネーションをした方がいい」
と言われたことがあった。
ということで早速調べた。
いろいろ方法はある。
そしてもうひとつ思い出したことがあった。
私、以前からホームレスの方々への炊き出しに参加したいと思っていたのだった。
それが自分のあれこれの忙しさですっかり忘れていたな・・・・。
今年は必ず行動しよう。

多くの人を支えている500円のお弁当ありがとう。
どこに光を当てるのか。
決めるのは自分自身だ。
その上で、自分ができることはしていこう。
全てにおいてそうしようと、お弁当に教えていただいた日。
捨ててしまって本当にごめんなさい。

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