見出し画像

小山田氏炎上事件における山崎氏の編集責任について

 立ち位置を最初に記しておくと、私は学生の頃、山崎洋一郎氏が編集長の時期も含め、時々「ロッキン・オン・ジャパン」を買って読んでいた。同誌は私が写真に興味を持ったきっかけのうちの一つでもあり、その点では多少の恩義を感じてもいる。当時コーネリアスに興味はありCDで買った物もあったがファンではなく、問題の記事は昨年初めて読んだ。昨夏を契機に事件の経緯を追いつつ作品の殆どを聴いた現在は、コーネリアスの音楽の虜となり、毎日聴いて暮らしている。

 結論を先に書くと、私は、もし山崎氏がインタビュー内容とかけ離れた捏造記事を書いたと確定されても、その責任を追及する権利があるのは、直接の被害を受けた小山田氏本人や所属事務所、レコード会社、作品の配信停止等をせざるを得なかった関係者のみだと考えている。直接の被害者以外が責任追及をすることは、小山田氏の炎上の時と同様、過度な社会制裁が発生しかねないので、危険だと感じる。

 では実際の編集責任の度合いがどうだったのだろうか。雑誌のインタビュー記事について、掲載前にアーティスト側のチェック無しという取り決めで受けていたとして、口約束なのか契約書は交わしたのか、契約書に書かれていたとして、実際に話した内容から記事はどの程度の逸脱が許されるのか、日本の音楽雑誌業界全体の商習慣はどうなっていたのか、素人の私には判断が下せない。

 関係者の証言と録音テープが出揃わない限り、誰もこの件で公平な判断はくだせないと思う。責任の追及ではなく、冷静な検証が行われることは私も望んでいる。

 しかし、とりあえず過去のことは一旦横に置いて、これからのインタビューの在り方について、アーティストの本意とのすり合わせをどう行うのか、インタビュー内容が非難を受けキャンセルが発生した時の責任関係をどう引き受けていくのか、各メディアはまだの場合しっかりと方針を立てていただきたい。

 山崎氏やロッキンオン社の編集責任を指摘される方々は、ご自身がメディアに携わっている人が多く、職業意識のから来る声も多いように見受けられる。出版物として世に出すことの責任は大きい。業界内で真剣に考えていっていただければと思う。ただ、検証を求める声をファンや関係者から上げると、小山田氏の落ち度を少なく見せる為ではないかなどと、外部からうがった疑いの目を向けられやすい。できれば、関係ない所からの声で点検が行われてほしい。

 また、私が今回の炎上の際にメディアの姿勢で一番問題を感じたのは、炎上をVIEW数を稼ぐ道具としか見ない、被害者加害者双方の人権を無視する企業や個人があまりに多かったことだ。そちらの問題も、もっと社会として共有して考えていければ、過度な炎上による被害も小さく抑えられるのではないか。

 編集責任を訴える中には、炎上事件で心の傷を受けてきたファンが、納得できる解決を求めたい、小山田氏の復帰を早めたいという心理的動機も、多少は含まれているかもしれない。もしそうだとしたら、人としてごく自然な欲求でもあると思うけれど、ぐっとこらえて、責任の追及や確認については関係者に任せた方がいいだろう。ファンが事務所の機能を補填しようとすると、必ず無理が出る。

 ファンにできることは、まずアーティストを純粋に応援することだ。それぞれの傷は、各個人もしくはファン同士で向き合うこと、また、作品に触れることや実生活を通して徐々に癒していけるだろう。たとえ誰かの行為がきっかけで起こった事件だとしても、責任の所在を性急に推定することは、とても危険で負の連鎖につながる行為だと、私は考えます。綺麗ごとに聞こえるだろうけれど、小山田氏の9月の謝罪の言葉に寄り添って、ゆっくり進む覚悟を決めることが必要なのではと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?