眠り姫問題はパラドックスなのか?

眠り姫問題はパラドックスなのか?
以下、ウィキペディアであった問題です。

実験の参加者である眠り姫は、実験の内容を全て説明され、一日経過後、薬を投与され日曜日に眠りにつく。

眠り姫が眠っている間に一度だけコインが投げられる。

  • コインが表であった場合、眠り姫は月曜日に目覚めさせられ、質問されたのち、再び薬を投与され眠りにつく。

  • コインが裏であった場合、眠り姫は月曜日に目覚めさせられ、質問されたのち、再び薬を投与され眠りにつく。そして翌日の火曜日にも目覚めさせられ、質問されたのち、再び薬を投与され眠りにつく。

この時投与される薬は一日の記憶を完全に忘却する記憶消去薬で、次に目覚めさせられるまで絶対に目覚めないという作用がある。 眠り姫が目覚め質問を受ける際、その日が何日であるか、以前に目覚めたことがあるかどうかは決して知ることができないとする。

起こされた時にされる質問とは「コインが表だった確率は幾らか?」というものである。

どちらの場合でも、水曜日になれば眠り姫は目覚めさせられる。水曜日は質問を行わず、実験はそこで終了する。

この問題に対して、1/2や1/3などの議論がなされているが、いや、これ、単に問題が不完全なだけでしょ。
実験者視点でみれば1/2だし、被験者視点でみれば1/3なだけでしょ、と思う。

もう少しアレンジして、コインの表が出ればディズニーランドに行くことができ、裏ならディズニーシーと仮定してみましょう。
さらに、ランドなら写真1枚撮ることができ、シーなら2枚撮ると置き換えてみましょう。
(ディズニーに行くのは第三者であり、眠り姫はコインの結果も、第三者がどっちへ行ったかも分からないものとします)

ここで、「ランドに行く確率」は?と問われれば、1/2と答えるでしょう。しかし、試行回数も知らされず、ただ目の前に写真が置かれ、その「写真がランドの確率」は?と問われた場合、答えるのが難しくなります。

もし、試行回数1回でシーの場合でも1枚だけ選んで、目の前に出すのは1枚だけだという条件なら、1/2と答えるでしょう。
しかし、ここで写真に焦点を当てて、3枚の中から1枚を選んだと考えた場合、1/3になります。
写真は3枚もないのです。試行回数1回なら、ランドの1枚かシーの2枚しかないはずなのです。さらにいうと、ランドに行ったかシーに行ったかの1/2しかないはずなのです。ここで3枚から選ぶと考えてる時点で、複数回の試行を前提としているのです。
かなり多くの試行を重ねた後、実験者がすべての写真のうち任意の1枚を選んで、それがランドである確率は?と問われた場合、眠り姫は1/3と答えた場合正解になります。しかし、それは眠り姫が、統計的に正しい答えが求められることを認識している場合に限られます。(分かり易く試行後としてますが、第三者が写真を撮った瞬間に毎回質問しても同じです)

「ランドに行くのか?」と「目の前の1枚の写真はランドか?」
聞きたい根本的な事柄が違うのに、同じ「確率」という言葉で同一視していることが混乱を招く原因だと思います。

ランドに行く確率は1/2です。
写真がランドである確率は1/3です。
つまり
コインが表である確率は1/2です。
被験者が表と答え、全パターンを確率論で答えるなら正解率は1/3です。

それだけのことなのに、ふたつの事柄を「確率」という言葉で一括りにしてしまっている不完全な問題だという印象しか残らないんですよね。私にはパラドックスという表現が適切だとは思えません。

もし、正解なら100万円もらえて、しかも1万回実験させてくれるなら、私はコインの確率は1/2と知りながら、そりゃもう、自信をもって嬉々として「裏」だと毎回答えます。その方が期待値高いですからね。
もし、失敗したら殺されるなら、表か裏か1/2だと認識したうえで、1/2のギャンブルに出ざるを得なくなります。自信をもって裏だなんてとても言えませんね。だって、確率は1/2なんですから。
(余談ですがインスピレーションが働かなかったら表と答えますけどね。表なら、この1回で生存確定ですけど、裏で正解しても今が2回目ならセーフですが、1回目ならもう1回苦渋の選択の場面に直面しますから。これは人それぞれのような気がします。目覚めたということは確率の高い裏だったと捉える人は、これが最後かもしれないがもし次があっても自分は裏と答えるだろうと思える人は裏と答えるでしょう。しかし、目覚めた時の統計的確率は確かに裏が多いですが、やっぱり、コインの確率は1/2なので、私みたいに、裏で正解してもさらにもう1回の確率が1/2ある事実に耐えられない人は表と答えるような気がします。)

つまり、コインの実際の確率は、1回でも確率論として定義されるのに対して、被験者の答えが表だったとしてそれが正解の確率を求めるときは、複数回の試行を前提としている点と、それを眠り姫が認識してさらに確率の分母を実際にコインを投げた数ではなく眠り姫が回答した数にしている点で、バランス悪いなぁというのが正直な気持ちです。

もう少し詳しく言うと
「実際のコインの確率」と
「眠り姫が表と答えてそれが正解する確率」は全く別なのに、あやふやなまま問題にしているということです。

眠り姫を主軸に考えると、例えば、受験合格者と不合格者を1:2の比率で集めたときに、眠り姫がその中の一人を選んだ場合、任意の一人ではなく、1:2の比率で集めた人を限定して一人選ぶわけだから、実際の合格率は関係なく、そりゃ33.3%になるよねって感じです。

もう少し極端にやってみると、サイコロを振って1が出た時だけ1回起こす。その他の2~6は水曜まで起こさないとした場合、サイコロの1が出る確率は1/6、眠り姫の1が出る確率は100%になります。これでも今のような論争は起こるのでしょうか?この場合は、サイコロの確率と、眠り姫が1と答えた時の正解率は別々に議論されるような気がします。コインという身近な存在や起こす回数が1回と2回、つまり使う数字は1/2、1/3、2/3となり近い数字が出ます。
そのせいで、混乱が加速している気がするのは私だけでしょうか?

コインの表が出た場合の次に裏が出る確率はパラドックスだと感じてますが、眠り姫問題は、何か違う気がするのです。

この問題は、本当にパラドックスと言っていいのでしょうか?

記事を読んでいただきありがとうございます。興味を持っていただけたらサポートよろしくお願いいたします。