見出し画像

「増補ためらいの看護」読書会          記録と感想、今の思いなど…。

書き始めるのに1ヶ月近くもかかってしまった。
会が終わってしばらくは、交わされた言葉が頭を駆けめぐり、一つ思い出すと次の考えが溢れだして止まらない状態でした。考えがまとまらないのと同時に、まとめるのが勿体無いなという気持ちもありました。
そして今、少しづつ記憶が薄れる中で、書き留めておかないといけないなという気持ちと、当日の出来事がやっと自分の体の一部になってきているという実感が湧き始め、これをもとに書くことにします。

「増補ためらいの看護」読書会は著者の西川勝さんも参加するという大変レアな会でした。著書には西川先生が精神科や透析治療、老人介護の現場で働いていた時の出来事や、それをもとに考えたことや感じた事が書かれている。現場でのエピソードには臨場感があり、その場に立ち会ったかのように光景が頭に浮かぶ。

私が初めに「ためらいの看護」を手にとったのは今から10年以上前、レッツに入社し、障害福祉施設で働き始めたばかりの頃です。期待や不安を膨らませながら、予習に近い感覚で読んでいたことを思い出します。今回の読書会を前に読み直してみましたが 、以前とは違い、日々の仕事への向き合い方を思い起こし、問い直し、自分自身を見つめ直すような時間を経験したのです。「はぁ、やっぱ西川先生には敵わんなぁ。」とか思いながら。

夜の18時からの開催でしたが、会には11名ほど集まり、前半は西川先生自身に当時のことや、本になるまでの経緯などを話していただきました。その後は参加者から本の中で気になったり、印象に残っている箇所を読み上げて、それについての観想を言ってもらったりしましたが、途中からは西川先生への質問コーナーになっていきました。

参加者さんと西川先生の応答をもとに、個人的に特に印象に残った言葉をいくつか書き出してみます。

・病気は人生を豊かにしてくれる。
・患者と看護師(又は施設職員)の関係と、人としての私との関係性
・患者になるか病人になるか、僕は病人でありたい、患者になったら医者の敷いたレールに乗るだけになる。
・アイデンティティの確立というのは、良いことに捉えられることが多いが、崩れることを孕むので危機でもある。
・医者と患者が対等にコミュニケーションを取るのは難しい。患者は良いことばかり言いたがる。 

患者との医師との関係性については、障害福祉施設で働く私にも日々思い当たることがありまして、一つは、一人間としての(私)の意見を伏せて利用者に接する事なのですが、例えば、気持ちよく微睡む利用者さんに、お昼寝はほどほどに〜とか、薄着だと風邪ひくよ〜など、「施設職員の私」はそんな事言ったりする。でも「一人間としての私」は「春の午後の昼寝ほど気持ちの良いもの無いよね。」「健康な若者がたまに風邪ひくくらい、いいんじゃない?」と思っているのだ、口には出さないけど。私が彼らのただの友達だったら、もっと自堕落で楽しい日々を過ごしただろうにとたまに夢想する。でも、それは叶わない。私は職員で、彼らは利用者で、だからこそ出会い、ほぼ毎日一緒に過ごしている。

病気は不安と不快をもたらすもの。
友人や家族、身内が病で苦しむ姿は見ていて辛い。
ほとんどの病気は治るものだと思いたい。

障害福祉サービス事業所で働き始める前はそう思っていた。今は障害福祉施設での経験だけでなく、老いによる度重なる体の不調も多分にあるとは思うけど、「病気は付き合っていくもんだ。」という至極真っ当な、当たり前といえば当たり前の、昔から賢者が言ってたフレーズが自分の口から自然と出るようになってきている。ありきたりだけど「〇〇病です。」と診断されてやっと、なんでもない日常のありがたさを知るものだ。それでも私はまだ西川先生ほど「病気は人生を豊かにしてくれる。」とは言い切れない。

この後もし、自分が病気になったとして、人生の舵を主体的に握れるだろうか。
病気の人が目の前にいる時に、その行動の全てを医療に紐づけるような意識を拭えるのだろうか。
利用者の傍らで「社会性を育む」と言ったその口で、「コミュ力信仰とは違うぞ!」と言い、その言葉の中で迷子になる頼りない自分。

会の終わり近く、西川先生は敬愛して止まない恩師である哲学者の鷲田清一さんの言葉を引用し、それによって私は少し心がほぐれたような、背中を押されたような気持ちになった。

―「強者に従うのは必然である。しかし、弱者に従うのは自由である。」―

障害福祉のことをろくに勉強せずに今の仕事に就いた私は今に至るまで、「支援」と呼べる物を提供してきたことがあったのだろうかと自問することが時々(度々じゃないんだなコレが)あった。
けれども、「ためらいの看護」の一節一節に線を引き、考え、感じ、分からないながらも向き合っていた時間や、西川先生の言葉にどこか救われた気がしたその足元には、「支援」をしてきた痕跡があるんじゃないかと思えてきたりして。。。今も思い返す度に何かを考え直す、そんな読書会でした。

〜次回、5月21日の「かたりのヴぁ」の記録をお楽しみに〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?