美しく苔むす境内 平泉寺白山神社に行く 福井旅行その3
2023年11月 平泉寺白山神社へ行く
平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)に興味を持ったのは、その公式サイトを見てでした。どのようないきさつによってか、ともかくもたどり着いたそのサイトで見た苔の美しさにやられてしまい、いつか行ってみたいとの強い気持ちが生じたことを覚えています。その機会がやってきた。いわばこのときの福井旅行のメインイベントなのでした。
福井駅から平泉寺白山神社へのアクセスは、公共交通機関の場合、えちぜん鉄道を使って勝山駅まで行って、そこからバスを使います。こう書くと一見悪くないアクセスに見えますが、しかし、一乗谷朝倉氏遺跡や永平寺に行くのと比べると、格段にレベルが上がります。
勝山駅まで行くのはいいのですが、バスの本数がかなり少ないのです。平日だと一日に4本。わたしが行ったときの記録によれば、9:40頃には参道前にいてさあ今から観光開始、となっているのですが、次に来る帰りのバスが13:10でした。歩いていける範囲にほかに何があるわけではないので、後述するように時間を持て余し、歴史探遊館をじっくり見てもなおバスの時間まで結構ある。みたいな感じになりました。
平泉寺白山神社に登る前に、バス停近くの歴史探遊館でお手洗いをすませようとしたのですが、探遊館に入ろうとすると、自動ドアが開きません。あれ、開かないじゃんと思ったら注意書きがあって、熊対策で自動ドアを停止しているとのこと。ついでに神社に行く人への注意として、熊除けのために一人では歩かずに、熊除けの鈴をつけましょう、みたいなアナウンスもされていました。ちょうどこの年この時期は、どこどこで熊が出たとのニュースがあちこちで流れていた時期です。おー、ひょっとしてここで熊に出会ってしまうかもと、若干の恐怖心が芽生えたのでした。
さて、一の鳥居を過ぎて少し行くと、左に下る石段があり、その先には御手洗池があります。
泰澄大師というかたが、717年にこの泉を発見した際、白山の大神が出現されたという、由緒ある泉らしいです。
参道に戻ると、二の鳥居があって、後ろには拝殿が見えます。
二の鳥居の先では参道が二股に分かれていて、ひとつは直進して拝殿、本社に進む道、ひとつは右斜め前方に進んで、三之宮に進む道です。三之宮に進む道には拝殿の先で合流できるので、そのまま直進することにします。
と、すでに拝殿間近まで来ているところで思ったことは、「意外と狭いな」でした。こんな近くに拝殿があるんだから、マップのその先、一番奥にある三之宮も、そう遠くはなさそうです。先ほども記したように、帰りのバスは13:10。時間は有り余るほどあるのです
いや困ったなあ、と思っていたら、ちょうどよく脇道を見つけました。回り道はいくらしてもいいので、こちらの脇道に進むことにいたしましょう。
なんともおもむきのある脇道じゃないですか。
ちなみにこの石畳、写真でも伝わりそうに思いますが、丸い石が使われていて、丸みの凸が表面にあるので、うっかりすると足を滑らせひねりそうになります。一乗谷朝倉氏遺跡の石畳は、角張って表面が平面的な石を使っていました。地理的には近くても、作り手の志向が違うのか、あるいは作った時代的背景が違うのか。
足下に小さな標識を見つけました。
おお、発掘地があるらしい。というわけで足下に気をつけながら石畳を降りていくと、
一気に視界が広がります。僧坊発掘地、と標識にありましたが、直線的な段になっていて、区画されていたのがわかります。
本当に一部分だけ、復元されているところがありました。
これによると、平泉寺の石畳を使ったまちづくりは当時の最先端で、一乗谷の城下町にも影響を与えたみたいです。
とはいえ、目で見ても、歩いてみても、感覚的にはこちらのほうがかなり荒い気はします。「影響を与えた」なので、こちらのほうが時代的に早かったからなのか。周り見たさについきょろきょろしてしまいますが、足元を見ていないと危ないです。
と、ここで発掘地についての説明書きを見つけました。
どうやらこの発掘地一帯は、国史跡「白山平泉寺旧境内」という場所みたいです。これによれば、旧境内は一向一揆により全山消失、現在ある白山神社は、境内の中心部分のみが再興された姿だとか(明治の神仏分離令によって、平泉寺は廃されて白山神社に)。さらに、平成元年(1989)度の発掘調査で、かつての平泉寺の境内が、現在の白山神社の境内の十倍以上の広さであったのがわかったとあるので、相当大きな勢力を誇っていたことがわかります。それに打ち勝つ一向一揆なのだから、その力もまたすさまじい。信長に灰にされた一乗谷といい、一向一揆に灰にされた平泉寺といい、戦国時代における越前の勢力争いの激しさを思います。
また、平成8年度と11年度に、石畳道と石垣等の修復を行っているというので、上の写真で見た足下注意の石畳も、そのときの修復が及んでいるものなのでしょう。
さて、さらなる脇道を見つけたので
奥に進んでみると
若宮神社という社がありました。
社の手前、大木が印象的です。
枝を張り巡らして、なんとなく千手観音を思わせます。
途中、スズメバチの巣があるからと通行止めのところもあったのですが、なんとも楽しい脇道探索でした。
ということで戻ってきて、これは三之宮に続く鳥居、だったように思います。
という平泉寺白山神社でした。
このあと昼食を食べ、探遊館をじっくり見、探遊館の外の椅子に座ってkindleを読むといったように、時間的にはかなり余らせてしまうことにはなりました。しかしそれでも、かなり楽しめた場所でした。個人的には現在の白山神社そのものよりも、発掘調査中の遺跡のほうが楽しくて、一乗谷といいここといい、かつてあって、今はなにもなくなった空間というのが、どうやらわたしは好きなのかもしれません。