見えない世界
先日パラリンピックを見て、懐かしく感じたことがありました。
発端は20年ほど前になりますが、10年ほど続いた関係のお話です。
当時小学生の私は少し遠い学校に通っていました。
何かを失ったことも得たこともない何の変哲もない子供だったと思います。
特徴といえば、知らない人に物怖じしないこと。
好奇心旺盛なこと。それくらい。
少し歌が好きで上手なくらい。
それくらいでした。
そんな6歳のころ、一人の女性と出会いました。
その方は、当時の私から見ても大人のお姉さん。
彼女は白杖を抱えて、バスに乗り込もうとしていました。
初めて白杖を使う方を見て、なぜなのだろうと思いましたが、
後ろに並びながら様子をうかがっていると、
全く目が見えないのだということを知りました。
乗合バスがやってきて、彼女が白杖で段差を叩いていました。
彼女が実際に白杖を使う様子を見て、
初めて白杖の使い方を理解したのです。
当時好奇心の塊だった私は、
彼女に話しかけるタイミングを探そうと考え始めました。
その時、バスの運転手の方からアナウンスが入りました。
6歳では難しい言葉はわかりませんが、下記のような内容だったでしょう。
「本日目の不自由な方がご乗車中です。
降車時にお手伝いいただける方は、何卒ご協力をお願いいたします。」
運命だと思いました。
私は彼女に話かけました。
「お手伝いします。どうしたら良いですか?」
大した敬語も言葉遣いもできませんでしたが、精一杯話しかけました。
当時私は背の順で前から2番目という背の低さだったためか、
お姉さんは予想以上に低い位置からの申し出に驚いていました。
しかし彼女はすぐに笑顔になって、
少し高めだが耳障りの良い声で
「ありがとうございます。
私の一歩前に立って、先導していただけますか?」
と先導の仕方を丁寧に教えてくれました。
その後どこまで一緒に行くか、
先導するときに何を気を付けたらよいかを
歩きながら丁寧に教えてくれました。
彼女は生まれながらに見えないのではなく、
高校生のころから徐々に見えなくなってしまったのだそう。
そのためか、彼女は話を聞く際に目は開かないものの
私の目を見るように顔を動かしてくれていました。
一度その日は約束の場所まで送り、
私はまた会えたら毎回お手伝いをしようと決めました。
数日後、帰り道にバスを待って並んでいると、
お姉さんは私の後ろに並びました。
「こんにちは、郁です。」
声をかけると彼女は、わかった!という顔をして
話をしてくれるようになりました。
彼女は目が見えませんから、声で性別くらいはわかるけど
名乗らなければ誰なのか確定できません。
音がないことは、良いことではありません。
エンジン音がしない車は彼女たちにとっては凶器です。
避けるすべがないから。
できるだけ端を歩いているつもりでも、歩けていないときや
黄色い線の内側を歩こうと思っていても出てしまうこともあります。
彼女たちはそのたびに、助けが必要だと学ぶことができました。
それは目の見える私には想像しえなかった世界でした。
そこから数年は、毎週のようにお会いできましたが
中学生になるとお会いすることが全くなくなりました。
しかし高校1年のころ、部活がなく早く帰った日のこと。
久しぶりにお姉さんにお会いすることができました。
お姉さんは全く変わらず、美しい佇まいでバス停に並んでいました。
「お久しぶりです、郁です。」
そう話しかけると彼女は、
初めて話しかけたときと変わらない驚き方でしたが
すぐ笑顔になり、
「お久しぶりです、郁さん。
しばらくお会いしないうちに、ずいぶん背が大きくなったのですね。
でもお声が変わらないので、すぐわかりました。」
と返してくれました。
彼女からたくさんの学びを得たことを忘れてはおりません。
高校卒業してからというもの、
ほぼお姉さんにお会いすることはできなくなりました。
当時は小学生のころから携帯電話を持っている今の時代とは違います。
もし今の時代にお会いしていれば、お電話をしていたのでしょう。
私でよければ頼ってください、と。
しかし、実際連絡先も知りません。
またせめてお会いしてお礼の一つでもお伝えしたいです。
私が一人では学べなかったこと。
それは『相手の立場や状況に立つことで得る想像力』でした。
彼女の見えない世界を介して、
すこしだけでも近づけたことに感謝しています。
彼女の見えない世界は、とても色めき立っていて素敵でした。
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