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関係性を深めるためのコミュニケーションにはリスクも必要

今回は、最近参加したとある会議内で話題になったことについて、少し整理をしてみようと思う。
どんな話題かというと、チームメンバーとのコミュニケーションの取り方や、他者との関係性構築に向けたアプローチの変化と、それに対する違和感について。

そのざっくりとしたシチュエーションとしては、仕事上、日常的に20歳前後の学生たちのコミュニケーションの取り方をみることが多いので、以前と比べて「へぇ〜」って思ってしまうことがあるし、チームで何かに取り組む際に起こりがちなメンバー間の不協和音に対する学生たちの捉え方を目の当たりにして「そうなんだなぁ」って思うこともある。
具体的には、前者の場合、常にいいねいいねって言い合うことが多く見受けられるので、特に深い議論をする場合とかは、ほんとにそう思ってんの?って感じる瞬間が時々ある。よく言えば、褒め合う文化のようなものがあるように見えるものの、一方でそれはとても表面的にも見える。つまり、おそらく何かしらの違和感があったとしても、それを言葉にして発すること自体に抵抗がある感じ。話をきいてみると、自己肯定感の低さや、他者との衝突を避けたいという思いなんかが関係していることが多いようだ。
また、後者の場合は、主張が強すぎてぶつかるケースはまだマシだけど、衝突してまで自分の意見を出すことは避け、結果としてモヤモヤが各人に溜まっていき、気がついたときには修復不能となり、最悪の場合はチームが空中分解してしまうようなケースもある。この場合も構造は前者とほぼ同じで、事なかれ主義的に振る舞うことで生じる弊害だと言えそうだ。

ただ、そういう関係性のあり方で互いの関係性が深まるとかうまくいくとか、チームの目的が果たせるというのなら、それでもいいんだろうなって思うけど、そばで見ている限り、そうではないようにも見える。
だからこそ、褒め合うばかりとか、当たり障りのないやりとりだけでは、質のようなものを高めることは難しいんじゃないかって思ってしまう。
今後の世の中を担うのは今の若者なので、今の若者のやり方が結局は正解になっていくという考え方に賛成している自分もいるので、ほんとに一概には言えないと思ってるし、そこから何か別の新たなアプローチが標準化していく可能性があるのならそれはそれでいいかもって思っているものの、なんか違和感があるのも事実。

そんな捉え方の幅を持ちつつではあるけど、僕なりの考えは、シンプルに表現すると、タイトルの通り。

つまり、前者の例の場合には、相手との関係性を深めるためには一歩踏み込む必要があるし、そのためには自分自身が傷ついてしまう、もしくは相手を不快にさせてしまうかもしれないっていうリスクを冒す必要があると思っている。その心配が杞憂におわり、その壁を越えることができれば、思い切って話してみて良かったってことになるし、後者のことが起こった場合は素直に謝るしかないし、そのあとは、相手の捉え方に委ねるしかない。結果、嫌われてしまうことになる可能性もあるけど、相手のことが理解できて、違う形でコミュニケーションがとれるようになるのならば、それはポジティブに捉えていいと思う。

後者の例の場合には、まず関係性に対するイメージを変える必要がある。
各人がチームの目的を果たすために意見を戦わせること、衝突することは悪いことではないし、喧嘩していることにもならない。そして、チームメンバーが友人関係のように仲良しメンバーである必要もない。(仲が良いことに越したことはないけど)そういう理解のもと、雰囲気が悪くなってしまうことを恐れたり、自分の考えを否定されることを恐れたりすることなく、自分の意見は表明した方がいいし、違和感があればその場でハッキリ主張した方がいい。それをせずに裏でごちゃごちゃ言うのだけは避けたいところ。

やはり、いずれの場合も自分からアクションを起こさない限りは、ある意味疑心暗鬼で何もわからない状態が続くだけであって、何の進展も見込めないし、何の解決にもならない。

思い切って言ってみたら、意外と大丈夫だったってことの方が多いと思うので、そうした方がいいと思う。


ということで、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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